エドワード・ケディ。
当時のヒーローアカデミーにおいて、学年で一番の成績を誇る優秀なNEXT能力者。
明るい性格で面倒見がよく先生からの評判も上々。
将来を有望される若者、であった。
その彼の運命を変えるのはたった一発の鉛玉だ。
何の変哲もないありふれた自動拳銃。
それに装填されたカードリッジ内の一発。
煌びやかな色もない華やかな飾りもない鈍色の塊だ。
未来のヒーローが一転して殺人者となったその時。
彼は重く響く銃声と共に、排莢され不要となった薬莢が使い込まれたタイルを打つ音すら聞いた。
それほどに、あの一瞬は、彼にとって途方もなく長い時間だったのだ。
助けようとしたその女が幽霊のようにゆらり頽れるその時まで。
「では、こちらで少々お待ちください!」
はきはきとした声がしてアッパス刑務所に付属された面会室の扉が外側に開いた。その重い扉から入って来たのは、ひょろりとした顔色の悪い男だ。グレーのスーツをきっちりと着こなし、手には黒のビジネスバッグを持っている。
案内された男は何の淀みもなく面会室に入り、設えてあるパイプ椅子に腰掛ける。
その事に案内役の刑務官は小さな驚きを覚えた。
この面会室は、NEXT犯罪者を収監するアッパス刑務所独特の作りをしている。
四方は灰色の壁に囲まれており、出入り口の扉を閉めると細い換気口だけが外と繋がる圧迫感のある作りだ。部屋の中心には厚さ5ミリの透明版がそそり立ち、それにより左右に分断された空間のそれぞれに場にそぐわないパイプ椅子が1脚づつ設置されている。
この面会室を初めて見る者は、通常の面会室とは異なる異様な光景に圧倒されるのが常だ。
人は見た目に寄らないという事なのか、以前にもここへ面会に訪れた事があるのか。
見た所三十台前半のその男は、女のように長くウェーブのかかった灰の髪を後ろで一つに纏めている。右の前髪を一房垂らしている為、ドアの傍に立つ刑務官から表情は見えない。
「囚人番号2011、到着しました」
壁に内蔵されているスピーカーから違う刑務官の声が聞こえ、面会人を見ていた彼は静かに退出して扉を閉めた。
面会者側の扉が完全に閉まると、受刑者側の扉が開く。
現れたのは剃髪の青年だった。大量生産の囚人服に身を包んでいるが、元々の顔立ちが整っている事と姿勢の良さのお蔭か、囚人独特の草臥れた雰囲気は持っていない。
彼は後ろにいた刑務官に示されて、面会人の正面にあるパイプ椅子に座った。それを見送った刑務官は、自分も中に入ると扉を閉めて面会人を見る。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
面会人は刑務官に小さな笑みを送り、目の前の青年を見た。
青年はその精悍な眉をひそめる。
「あんた、誰?」
「ペトロフと申します。貴方が、エドワード・ケディさんですね」
「そうだけど」
不審に思っています、という心情を隠そうともしないエドワードに、ペトロフと名乗った男は薄ら笑った。それを馬鹿にされたと取ったのかどうかは分からないが、エドワードの表情が硬くなる。
「失礼しました。実は、こちらの絵を拝見しまして」
言いながら、ペトロフはビジネスバックからA4サイズのクリアファイルを取り出した。透明なファイルの中には、一枚の画用紙が入っている。
「……それは」
「ええ。貴方の作品とお伺いしました」
ペトロフがそっとファイルの中の画用紙を取り出した。
面になるよう取り出された画用紙には、恐らくはクレヨンで何かが描かれている。風景や人物ではない。明るい色だけを使って構成された丸い星のような、花のような図面。
絵画のジャンルで言うならば、抽象画に属するのだろうそれを見て、エドワードは驚きに目を見開いた。
「何故こんなものを私が持っているのか? 顔に書いてありますよ」
画用紙からペトロフの顔、そしてまた画用紙に戻ってからペトロフを見たエドワードの動作に、耐え切れなかったらしい面会人がくつくつと静かに笑った。
これには何も言い返すことの出来なかったエドワードが、舌打ちをして顔を逸らす。
あぁ。これ以上は話も聞いて貰えなくなるかもしれないな。
そう判断したペトロフは、不愉快にならない程度の微笑みを浮かべて来訪理由を告げる。
「こちらの作品は、受刑者の作品展示会で拝見しました。とても素晴らしい作品だと思ったので、ご本人に会ってみたくなったのですよ」
すべて言い切ると、エドワードが顔を上げた。
「ああ、そういえば。なんかそんなのに出すとか言ってたなぁ、あの人」
「ご自分の作品に思い入れがない?」
どうでもいいと言った風な呟きに、これは意外と問い返す。すると、エドワードが初めて真っ直ぐにペトロフの瞳を見た。
「それは作品でもなんでもない。ただの確認だ」
確認。そう言った彼はふっと力を抜いて椅子の背もたれに背中を預けた。
「それが見れたってことは警察の人なんだ。何か聞きたいんですか?」
受刑者の作品展示会は広く一般に告知されている訳では無い。所内のほとんど使われない会議室や休憩室、そういった所で不定期に展示会が行われている為、入場者はほとんどの場合が通りがかった職員だ。その為エドワードがペトロフを警察関係者と思うのも無理はなかった。
だが、話を聞くにはいっそ都合の良い勘違いかもしれない。
そう思った彼は特に訂正も加えず肯定もせずに話を切り出した。
「一つ、お伺いしてみたいと思いました。貴方は自らの犯した罪について、どのように受け止めているのですか?」
ペトロフの落ち着いた声に、エドワードは「どちら?」と端的に返してきた為、変わらぬ調子で答える。
「その罪は同じものではないのですか?」と。
すると、剃髪の青年は楽しそうに笑った。
「ペトロフさん? 面白いな」
「あまり言われませんね」
はらりと落ちてきた髪を耳に掛けるペトロフの表情は変わらない。エドワードは「えー。勿体ないなー」とひとしきりふざけた後、しっかりとした声で言葉を選び始めた。
「今は、後悔はしてない。きっと俺は、あの場面に立ち返れば何度だって、ヒーローの到着を待たずに自分で解決しようとするし、本気で親友憎んで脱獄する」
両手を組み合わせて話すエドワードに、ペトロフは心の内で剣呑な視線を向けた。
そんな彼の目を真っ直ぐに見返してエドワードは続ける。
「ただ、結果的に俺が、……あの人を殺してしまったこと。刑期を終えるのを待たずに不正な手段で檻から出てしまったこと。これは社会的に許されない事で償わなきゃなんない。それは理解してる」
「……というと?」
ペトロフ自身が思うより冷ややかな声が出た。エドワードは、顔をくしゃりと歪めて笑う
「俺はただの人殺しだってことだよ。どこまで行ってもな」
妙に明るい声だった。
対するその表情は複雑で、泣くのか笑うのか判別がつかない。
その表情を、言葉を、解析にでもかけるかのように見るペトロフに、エドワードの表情がころっと変わる。
「お言葉返すようですけど、表情に出やすいって言われません?」
「それは、失礼しました」
述べた謝罪は上滑りする言葉でしかない。だがエドワードは、全く気にした様子もなく笑っている。
そこに、刑務官よりあと3分で面会時間が終了する旨が伝えられた。
「他に聞いときたい事は? アンタ面白いから答えてやってもいいぜ」
やけに上機嫌なエドワードの言葉がペトロフにかかった。
刑務所内では同じサイクルを過ごし、ほぼ同じ人間としか会話をしない。その為、たまの外の人間との会話に機嫌が良いのだろうか?
ペトロフがその提案を辞しかけた所で膝上の画用紙が目に入った。そうして、元々この絵を見たのがここに来る要因だったと思い出す。
「いえ。……いや、一つだけ。絵の事で」
「んー。あ、そっか」
エドワードからは一転、気の無い返事が帰って来る。しかしペトロフは、気になるものは相手の出方に関わらず解明しようとする性質の人物だ。よってそれが気にされる事は無かった。
「これはクレヨンで描いていますね。刑務所で希望者に支給されるクレヨンは12色入りのものの筈です。なのに何故、この絵には明色しか使われていないのですか?」
単純明快な質問に、回答はすぐ返らなかった。
エドワードの視線は斜め上を泳ぐ。そのまま口を開こうとしたので、ペトロフが先んじる。
「何か答えられない理由でも?」
彼の声の調子は変わらないものの、その言葉からは事実を話せという圧力を感じる。
「……好きなんだよ」
エドワードは言いかけた言葉を飲み込んで、視線を逸らしたまま新しい言葉を紡いだ。
「明るい色。だからそれしか使わね―の。嘘じゃないぜ」
その言葉に、ペトロフは眉をひそめた。
明るい色が好き。それはきっと嘘ではないのだろう。だが、それならば何故あんなにも躊躇う必要があるのか。嘘は言っていないが、本当の事をすべて話した訳でもない。そう言う事なのだろうか?
「そろそろ、時間ですね」
室内にいた刑務官が二人に声をかけた。
その声にエドワードがあからさまにほっとしてみせる。真実に辿り着いていないのは最早明らかだ。膝上の画用紙をクリアファイルに仕舞いながらも、ペトロフの思考はどうすればそれが明らかに出来るかを弾き出している。
「明るい色が好きと言いましたね」
そうして、既に椅子から立ち上がっていたエドワードに声をかけた。
自らも立ち上がったペトロフは、口元だけに綺麗な笑みを浮かべて彼を見る。
「次来る時には、明るい色のクレヨンを差し入れとして提供しましょう。その代り、私の納得いく答えを提示するように」
「は、って、また来るのかよ!? 意味わかんねーぞお前! 気持ち悪ィ!」
「気持ち悪いのは私です。こんなにもあからさまであるのに、真実には辿り着けていないのですから」
エドワードの叫びなど気にする様子もなく、ペトロフは淡々と述べて出入り口の扉をノックする。外側から扉を開いた刑務官が、「あれ、大丈夫ですか?」とエドワードを視線で指すが、面会人はすました顔で肯定の意を返し退室した。
「俺は了承してねーぞペトロフさん!」
面会室の扉が閉まる前に聞こえた叫びも、当の本人は全く気にする様子が無かった。
これ以降、二人の奇妙な面会は何度となく繰り返される事になる。
それはまた別のお話。
穏やかな、午後だった。
開いた窓から吹き込んでくる風はとても優しい。
アンティーク調のソファに座った家主――ユーリ・ペトロフは、その細い指で本のページをぱらりと捲った。
その足元でくつくつと忍び笑いが起こる。視線を本から自らの足元にずらすと、左足のすぐ傍で座り込んだ青年が、なにやら小さく笑っているのが見えた。
「どうかしましたか?」
「や。初めて会った時の事、思い出しちゃって」
ユーリの手が、青年の短い髪をさらりと撫でる。
青年は持っていた画板を正面に掲げた。そこに挟まった画用紙は、明度の高い空想の花々で埋め尽くされていた。
掲げられた絵を見たユーリは、どこか遠い過去を思い出すように目を細める。
「あぁ。それはまた、懐かしい」
「だろ? アンタほんとに意味わかんねー奴だったよな! 宿題出してはご褒美持ってきてを繰り返してさ」
「珍獣を餌付けしている気分でした」
上機嫌で喋る青年に少し手痛い言葉を落とすと、彼は持っていた画板を床に置き、ぐるっと頭だけ振り返って挑戦的に笑んだ。
「ぜひ聞かせてもらいたいね。餌も無いのに懐いた理由」
その問いかけにユーリは笑った。
なんだ、簡単じゃないですか。
上半身を倒して、ソファにもたれる様に振り返っている青年の額を左手で撫ぜ、そこに軽く唇を落とした。
そのまま耳元でそっと囁く。
「エドワード。貴男だから、ですよ」
思いのほか甘く響いた声を残して、ユーリは体を起こした。
そして、まるで何事もなかったかのように読書を再開する。
ぱらりぱらりとページを捲る音を聞きながら、エドワードは両腕を上げて目元を覆った。
「……あんたなぁ。……後から照れるなら言うんじゃねえよ! 俺が恥ずかしいじゃん!」
絞り出すような声で訴えた青年に、内容の把握もしないでページを捲っていたユーリは、静かにその本を閉じて項垂れた。
「……失礼、しました」
その耳元は薄ら赤く染まっている。
そんな。
とても穏やかな、午後だった。