「ボンジュール、ヒーロー! 全員トランスポーター内で着替えは済ませてあるわね」
人がひしめくトランスポーター内に、カツカツと素晴らしく均一なテンポでヒールを鳴らしながら現れた女性は、言わずと知れた敏腕プロデューサーのアニエス・ジュベール。濃紺のタイトスカートにきわどいラインまで胸元の開いた薄紫のシャツを事もなげに着こなす彼女は、その色っぽい唇を吊り上げて笑みを作ると、目の前の7人へと高らかに宣言する。
「企画書の通り、今回の任務はマンスリーヒーロー特集記事の写真撮影。ジェイクの件が片付いたとはいえ、こちらの被った損害も大きかったわ。ルナティックの事がまだ片付いていない以上、一部市民からのヒーローへの不信感は消えてはいない。そこで今回の目的は」
「んなピーチクパーチク言わなくてもわぁかってるよ! ヒーローのオフ風景を撮影して親しみやすさをUPさせんだろ? それよりなんなんだよこれ……」
言葉を遮られた女性は、その魅力にあふれた瞳をきつく吊り上げると一人の中年を睨み付ける。
年のころ三十台の変わった髭をした男性は、正義の壊し屋ワイルドタイガー。場の空気をぶち壊すのも大の得意技である。アニエスから向けられる氷の視線もなんのその、自分が着る可愛らしい虎耳のついた帽子付きパーカーを摘まんで心底嫌そうな顔をした。
それに反応したのは、彼の隣にいた二十代半ばの美青年。今を時めくKOH、バーナビー・ブルックスJr.だ。彼は自分の着る、ウサ耳のついた白いパーカーを指差すと相棒に言う。
「虎徹さん。これは僕のファンがくれたものです。ご丁寧に、相棒であるあなたの分もセットにしてくれたんですよ。確かにデザインは子供っぽくはありますが、UVカット効果もた……」
「だぁー! わあったわあった! 悪かった!」
もううんざりと言わんばかりに脱力し、年若い相棒に向かって力なく片手を振るワイルドタイガーは、最近妙に懐いてきたこの後輩の扱いを若干持て余していた。
「アラ。でもお揃いのスイムウェアにパーカーで可愛らしいじゃない♪」
右頬の下で両手を組む愛らしいポーズで二人に声を掛けたのは、ブルジョワ直火焼きファイヤーエンブレム。彼女はヒーロースーツを模した目元だけのマスクをつけ、ゆったりとした鍔のある濃茶の麦わら帽子をかぶっていた。黒のタイトなタンクトップに同じ色のスリムジーンズを着て、上に透け感あるシフォン素材の桃色ミニワンピースを纏い、腰の位置で金のバックルが付いたベルトで止め、ふんわりとしたシルエットに仕上げている。程よくあしらわれた金のアクセサリに、よく見ると金糸でステッチされているジーンズ、それに丁寧な仕事を施された麦わら帽子が大人の女を演出していた。
その隣に居るのは、少し赤い顔をした青髪の少女だ。濃紺のアシンメトリーワンピースを着て、柔らかそうな白のストールをかけている。ワンピースは片側サイドにプリーツがあしらわれ縦に大きく緩やかなビジュー付きフリルがデザインされている少し大人っぽいデザイン物だが、不思議とよく似合っている。ワンピースから出る華奢な肩を守るストールは、透け感があり綺麗なレースが丁寧に付けられていた。
「えっ!?……あ。に、似合ってるじゃない。子虎みたいね!」
ファイヤーエンブレムに突かれて我に返ったヒーロー界のスーパーアイドル、ブルーローズは、分かりやすい動揺を見せて彼女のため息を誘う。
そんな二人のさらに隣から、元気のよい声が飛んだ。
「でも皆、すっごいかわいいよ! 見て見て! ボクらは探検隊なんだ」
「ドラゴン君も可愛いよ! とても愛らしい! よし、ヒーロー探検隊、出発だ!」
「っふ……くくく。そうだな。似合ってるぞ。子虎ちゃん? ってまだ出発じゃねえよ」
稲妻カンフーマスター、ドラゴンキッド。風の魔術師、スカイハイ。西海岸の猛牛戦車、ロックバイソン。
この三人だけは、統一感ある服装に身を包んでいた。
半袖のミリタリーシャツにミリタリーパンツ。背中にはリュックを背負ってアウトドアブーツを履いている。
ドラゴンキッドだけはまとめた緑髪の上からブーニーハットを被っており、シャツは淡い緑色、パンツの丈も膝上と元気よさをアピールするコーディネートになっている。
一方のスカイハイとロックバイソンは、ヒーロー時のマスクをそのままつけているため帽子を被ってはいない。シャツはベージュでパンツも一般的な丈だ。だが、スカイハイのシャツの胸元には、鷲のマークが彫りこまれたバッチが付いていた。彼がドラゴンキッドのブーニーハットを羨ましがった結果の折衷案だ。
「そこ! 誰がチャイルドタイガーだ! 俺の名はワイルドタイガー!」
「チャイルドでもワイルドでもコールドでもどうでもいいのよそこの馬鹿虎っ! いいから、黙りなさい」
ブルーローズとロックバイソンの発言に我慢ならねぇと身を乗り出したのは勿論ワイルドタイガーである。そのまま二人の元に向かおうとする彼を、耐えかねたプロデューサーの怒声が引き止める。
ワイルドタイガーにぐっと顔を近づけ、地の底から響くような低い声で、言葉を二分割して伝えるアニエスの迫力に、流石の壊し屋も震える様に首を縦に振るしかなかった。魅力しか見出せない女性と近距離で顔を突き合わせているというのに、彼の冷や汗は止まらない。
「あれ? そういえば、折紙さんはどうしたの?」
そんな二人の空気を気にした風もなく、ドラゴンキッドがきょろきょろと辺りを見回しながら問うた。広いトランスポーター内といえど、この大人数が入れば余りの空間はさほどない。いくら見切れ職人の折紙サイクロンといえど、男性一人が隠れ続ける場所は無いだろう。
そんな疑問に答えたのは、ワイルドタイガーを解放したアニエスだ。
「折紙は諸事情で少し遅れてくることになってるわ。あの子のロケ場所は海カフェだから、適当に擬態して合流するように伝えてあります。待ち合わせに遅れてくるって、いかにも休日っぽいじゃない?」
左手の人差し指を下唇の端に添え、優雅な微笑みを浮かべるアニエスは酷く魅力的だ。だが、この彼女の頭の中には自分の仕事に関する事しか詰まっていない。
パンッ!
綺麗なネイルに彩られた手が打ち合わされた。
ヒーロー達の視線を一身に浴びたアニエスは、自信たっぷりに宣言する。
「もう説明は不要みたいね。今回は写真のみ。会話の録音は行わない。但し、幾ら契約で縛った所で人の口の戸は立てられないわ。会話の内容には気を配りなさい。後は設定通り、各自の持ち場で自由に過ごして頂戴。以上」
はっきりとした口調で言い切ると、くるりと背を向けたアニエスは、挨拶一つ残して颯爽と去っていった。
「ボンフェット! ヒーロー」
*Bonne fête!(ボン フェット)=良い休日を!
空はペイントツールで塗りつぶしたような快晴である。
大きく存在を主張するオフホワイトの入道雲がまるで怪物のように空高く立ち上り、そのさらに上で発光する凶暴な日差しは容赦なく全てを焼く。アクアブルーの海やライトイエローの砂浜に突き刺さり、乱反射し、世界をキラキラと彩る。
「おぉ、世界はこんなにも眩しいものだったのか……」
「どうしました、タイガーさん? 暑さでおかしくなりましたか?」
額の上に手を翳し、力ない二本の足で砂浜に立ちながら、似合わない詩的な言葉を口にするワイルドタイガー(UVカット機能付トラ耳パーカー着用)に声を掛けたのは、相棒バーナビー(同じくウサ耳パーカー着用)だ。
心配そうな声を向ける彼は、容赦なく直射日光に焼かれるワイルドタイガーとは違い、寝心地もよさそうな白のロングビーチチェアに体を任せ、大きなビーチパラソルの陰の元、優雅に読書を嗜んでいる。いつの間にか、最初は用意されていなかったサイドテーブルがセッティングされ、その上に色鮮やかなトロピカルジュースが乗っていた。一般人がそこにいようものなら、何かの罰ゲームのようなセッティングだが、KOHバーナビーに掛かれば全ては彼の為に与えられたものと言っても過言ではないと思わせる。
シャッターを切る控えめな音は、全てがそんな彼をフィルムに焼き付けていた。
「……あのな。バニーちゃん」
「はい。なんでしょう」
ワイルドタイガーの声は力ない。これでは子虎と言われても反論出来ないであろう。そんな先輩の声にも、バーナビーは丁寧な返事を返す。潮風が彼の巻き毛を揺らして、既に耳慣れたシャッター音が鳴った。
「なんで! 俺一人炎天下の砂遊びで! バニーちゃんは日陰で優雅に読書なんだよ!」
つーかそいつら全然俺撮ってねえじゃん! 俺いらなくね!? そう言って撮影隊を指差した彼の、アイマスクの上からでも分かる豊かな表情を、フィルムがしっかり記録する。この時点で語るに落ちた正義の壊し屋は、片眉を顰めて何とも言えない情けない表情を作った。所謂シャッターチャンスである。
シャッター音を気にした様子もなく、バーナビーは困ったように笑った。
「ですが、ワイルドタイガーは砂遊び、バーナビーはチェアで読書……という設定がされている以上、僕にはどうする事も出来ませんよ?」
「そうそれだ! アニエスのやつ、設定守れっつってたけどあとは自由にしろって言ってたよな? てことは俺、お前の横でずっと砂を弄ってる必要なくねぇ?」
相棒の発言に、水を得た魚のように元気を取り戻してまくしたてるワイルドタイガーは、「それちょっと解釈違いませんか」と返すバーナビーの鼻っ面に人差し指を指してにやりと笑う。
この笑い方はろくでもない事を考えている笑い方だ。もう短くない付き合いで理解した彼の表情が意味するところに、バーナビーは両手を上げて苦笑した。
「アニエスさんに怒られても、知りませんよ」
「あれ。お前こねーの?」
「僕の設定はチェアで読書です」
「ノリわりーなぁ。せっかくの海なんだから、楽しまなきゃ損だぜー」
口にする言葉こそ何時もどうりのワイルドタイガーだが、その顔には『つまんない』と書いてある。夏休みに友達を遊びに誘って、断られた子供のような反応だ。
だがすぐに気を取り直して、彼は満面の笑みを浮かべる。
「ほんじゃ、ま。海底の砂遊びにでも行って来るか!」
掛け声とともにトラ耳パーカーが宙に舞い、バーナビーの視界から相棒の姿を奪う。
ひとしきりシャッターを切った後、スタッフの一人が慌ててバックを担いで後を追いかけた。
「ワイルドに泳ぐぜ~~っ!!」
バーナビーが次に見た彼の背中は既に遠く、はしゃいだ大声だけが青空に響く。
「本当に、仕様の無い人ですね」
小さなため息とともに零した声は暖かい。普段は見せないその優しい微笑みを、すぐ傍で見てしまったスタッフが自分の仕事を忘れて年若いヒーローに見惚れるのは無理もない話だった。
*****
「ん~っ。いぃ風」
「なかなか開放的な空間でイイじゃない」
そよそよと吹く海風の心地よさに、ブルーローズが両手を空高く上げて体を伸ばした。彼女の動きに合わせ、ワンピースがさらりと揺れる。
二人が案内された海沿いのカフェは、上の空間を広く取った開放的な作りの店だった。ダークブラウンを基調としてコーディネートされた店内は、大人が落ち着いてティータイムを楽しめる店といったコンセプトでつくられたものだろう。建物2階分はあろう高い天井には、南国で見かけるファンが取り付けてあり、リゾート感が出ている。何より注目は、その高い天井まで届く大きなガラス窓であろう。店の奥、ビーチが見える角地にあたる壁が、縦2面全てガラス窓になっているのだ。そこ以外も、海が見える壁部分は全て、人の背丈より少し高い程度の窓となっており、窓枠があるもののどの席からでもパノラマの景色を楽しめる。海側にはテラス席も用意されているようだ。
「ここでお茶してるだけでいいなんて、楽な仕事よね~」
店内の日陰になっており眺めも良い席を選んだブルーローズが、よく磨かれた木製の椅子に座りながら言う。その楽しそうな表情はどこか幼さも見せており、氷の女王というよりは、女子高生カリーナのものだろう。
「そうねぇ。たまにはこういう時間もいいものよね」
「これで遅れてくるメンバーがドラゴンキッドなら、女子会みたい」
「折紙が擬態して来るんだったら、女の子になってもらえばいいんじゃないかしら」
「うん! それいい!」
席に座っただけで楽しそうに会話を始める二人を、撮影班が静かに記録する。
ジャパンの諺に『女三人寄ればかしましい』というものがあるが、二人でも十分その意味を賄える勢いだ。
花々の会話は、まだ来ぬ折紙サイクロンの女子版衣装について咲き誇るばかりである。
「ジャパンマニアだから、きっと髪も瞳もブラックよ」「でも元々キレイな白い肌してるから、肌はそのままがいいわよねぇ」「私あれがみたいわ。キモノ! ミコサン!」「あらマニアック。でも折角のオリエンタルビューティーなら、ぐっと洋風ロマンティックなドレスを着せてみるのもイイと思わない?」「確かに。ガラスケースに入れられたドールみたい……」
年相応の女の子のように空想の話題を楽しみ、うっとりとするブルーローズに、ファイヤーエンブレムは暖かい眼差しを向けて微笑んだ。「貴女も可愛いわよ」なんて水を差すような事は言わない辺りが流石である。
丁度そこに、話題の人物である折紙サイクロンが到着したとの知らせが入る。
いったいどんな格好で現れるのかと興味津々で待ち構えていた二人は、現れた見切れ職人の初めて見る姿にぽっかりと口を開けた。
満を持して現れたのは、つややかな黒髪をポニーテールにまとめ、磨かれたヘマタイトのような瞳を持つオリエンタルビューティーな女性だった。年のころは15才前後。だが日系は若く見える特徴があるため実際年齢はわからない。
上品な白磁のような肌に、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な体が纏う衣は、黒の七分袖カットソー。そのアクセントは、胸の位置から下に向けて白の毛筆で書かれた『男盛り』のプリント(ちなみに背中のプリントは桜吹雪)。下はオリーブ色の七分丈カーゴパンツを、裾丈をアレンジして着付けていた。
「あ。遅れてすみませんでした。ちょt」
『舐めんじゃないわよっ!!』
申し訳なさそうに頭を下げるオリエンタル美少女の言葉を遮り、ブルーローズとファイヤーエンブレムの叫びがユニゾンした。二人とも握った拳がふるふると震えている。
先に発言したのは氷の女王。その名にふさわしい凍てついた声に、状況が理解できないオリエンタル美少女こと折紙サイクロンはびくっと体を揺らして直立不動になる。
「折紙。あんたなんで女の子になって来たの」
「え。……あの、来る前に、お二人が……女の子がいいって、聞いて」
折紙サイクロン自身は物を壊すようなNEXT能力の持ち主でないが故に経験がないのだが、器物破損で裁判所に出頭し尋問を受ける心境というのは、こういうものなのではないかと実感する。何も悪い事をしていない筈なのに、この凄まじいプレッシャーは何なのだろう。
彼が改めて、見習いたいとは違う意味でワイルドタイガーを尊敬していると、ファイヤーエンブレムが質問を受け継いだ。
「アタシ達に気を使ってくれたのね、優しいコ。ありがと。……け・ど、その恰好はなにかしら?」
「は?」
「その服! 今のアンタの外見に全然似合ってないその服よ!」
折紙サイクロンは、指摘されたカットソーを手で摘まんで見る。確かにそれは自分のお気に入りであるジャパンシャツの一つだったので、それを二人に伝えた。
彼女たちは、困り切った顔に『まったく意味が分かりません』と書いている折紙サイクロンを見て、こりゃ駄目だと肩を落とす。まあ仕方がない。基本的に人の身形を気にしない上に男性である折紙に、女性の衣服に気を配れと説いてもすぐ理解するものでもないだろう。
ファイヤーエンブレムとブルーロースは、同時に諦めのため息を吐いた。
「えっと。ヒーローのオフ撮影ということだったので、服だけでも僕のものをと……思ったんですが、いけませんでしたか?」
それを違う意味で受け取った折紙サイクロンが、酷く申し訳なさそうな顔をして近くの撮影スタッフに尋ねる。
おかしな服装で中身が男だろうと見た目は美少女である。そんな少女に不安そうに見つめられたスタッフは、思わず仕事を忘れて手を差し伸べそうになったが、ファイヤーエンブレムの発言で慌ててその手を引っ込めた。
「ごめんなさいね、折紙。アタシ達が悪かったわ……。とりあえず席に座りなさい」
ファイヤーエンブレムは少女に擬態した折紙サイクロンを抱き締めると、その頭を2度撫でて解放し席を進める。彼が言われるままに席に座るとき、隣に座ったブルーローズが「私もごめんね、折紙」と目線を合わせて謝って来たので、思い切ってもう一度理由を尋ねてみた。
「いえ。……あの、この服装がそんなにいけませんでしたか? 結構気に入ってたんですけど……」
「さっきも言ったけど、服が悪いというより服と人が全然あってないの。もっと可愛くなれるのに! って思っちゃう位」
隣に座った折紙サイクロンの鼻っ面に、綺麗な青のネイルが施された人差し指を突き付けて語ったカリーナを、対面に座ったファイヤーエンブレムが引き継いだ。
「アタシ達が、折紙が女の子で来てくれればいいって話をしていたのは聞いたでしょ? 貴方が来る前まで、その話で少し盛り上がってたのヨ。どんな容姿か、どんな格好かってね。そしたら貴方が予想通りの容姿で現れて吃驚したわぁ。でもそれと同時に、予想とはかけ離れた格好でも来るから……」
「あ、成る程。ノリの良すぎるツッコミ……みたいなもの、でしょうか」
話の流れを理解した折紙サイクロンのアンサーに、彼女はにっこり笑って大きな手を伸ばし頭を撫でた。それを見たブルーローズが「私も!」と参加して、彼の髪は既にぐしゃぐしゃだ。
「でもほんとに綺麗な髪と瞳ね。体もとても華奢。私も抱きしめてみていい?」
「はい。……えぇ!?」
条件反射で返事をしたものの、内容を反芻して飛び上がりかけた折紙の肩を、彼女が優しく抱きしめた。自然と女子高生の肩口に顔を埋めることになった折紙の顔は、一瞬で茹蛸状態になる。
(な、何か柔らかい! ふわふわしてる! 暖かくていい匂いがしてええなにこれ何でござるか!?)
周りから見れば、美しい少女のふれあいでしかないが、本人にとっては異常な事態である。
状況の突飛さについていけない大混乱状態の折紙だったが、聞こえたシャッター音で我に返った。
ブルーローズに抱きしめられたまま、自由な右手を突き出して「ちょっと待つでござる!」と叫ぶ。折紙サイクロン口調なのはまだ混乱している証拠だ。
声に驚いたブルーローズが折紙を放したのを良い事に、彼は出来るだけ彼女との距離を置いてから、まだ赤い顔で撮影スタッフに説明をした。
「怒鳴ってすみません。この顔も借り物なので、隠すまで撮影は遠慮して頂けませんか? すみません、すぐ隠します」
言いながら、ウエストポーチから歌舞伎化粧を施した目元だけの面を取り出して付け、スタッフに向かって「OKです」と指サイン付きで伝えた。所を、さっそく一枚撮られてしまう。流石のプロ根性だ。
「というか折紙! こーんな美人とどこで出会ったのよ~」
「ぜひ詳しく教えてほしいわねぇ」
撮影班の仕事に素直に感動しつつ折紙が席に向き直ると、なんだかにやにやした女子二人が待ち構えていた。これは完全に勘違いをされていると思った彼は顔の前で手を振りながら説明する。
「いえ。お二人が期待されているような事はありません。この方は、ジャパンPRイベントでいらしていた『ミコサン』という職業の方でして、僕は少年時代にこのイベントで彼女を見て握手してもらっただけなんです」
「ワォ! ミコサン!」
「ステキ! ミコサンと少年の恋!」
「……あの。お二人、とも?」
自分の発言をピックアップしてしか聞いていない二人に完全に置いて行かれた折紙は、上げた手の行き場を無くして呆然とするしかなかった。
その肩を、誰かがぽんと叩く。
振り返るとそこには撮影スタッフの一人。
「ああなると女は長いから、ほっといて注文していいと思うぜ。詳しくは知らんが朝も食べてないんだろ?」
そう言ってメニューを差し出してくれるスタッフの笑顔が、あの時のミコサンと重なるほど優しいものに見えたのは、今のところ折紙サイクロンだけの秘密だ。
*****
貸切となっている海カフェ内に、長く重いため息が響いた。
「……何故、こんな事になっているのかしら?」
右から左まで見渡す限り散々な事になっているヒーロー達と撮影班(探検隊組は救護室行き)を前にしたアニエスは、その美しい目元を小さく痙攣させながらも落ち着いた声で訪ねた。それが逆に恐怖を煽ることを、彼女は承知の上で行っている。
それを証拠に、撮影班はもう竦み上がってしまった。あのアニエス・ジュベールに睨まれたらどうなるかわかったもんじゃない。俺の今後はどうなるんだ。俺には家族が。みな、そんな心境だ。
だが、慣れているというか図太いというか。
ヒーローたちは竦む様子もなくにぎやかな反論を寄こすのだから、一般人である撮影班達にとってはたまったものではなかった。
「俺は間違ったことしてないぞ! 砂遊びしろっていうから、海の底で砂遊びしてただけじゃねえか」
「ちょっと! タイガーやスカイハイ達はともかく、何で私達まで怒られなきゃいけないのよ!」
「すまねぇ、アニエスさん……。つい童心に帰っちまった。面目ねぇ」
最初の声はワイルドタイガー。軽く焼けた肌に、濡れた髪を適当に後ろに撫でつけている様は男っぷりを上げているが、着ている物が虎さんパーカーでは全部台無しだ。
次の声はブルーローズ。瑞々しい美少女っぷりは特に変わった所は無いが、あえて言うならメイクが変わっている。クールなブルーを基調としたものから、愛らしさが強調されるピンク基調のものへ。
そして最後はロックバイソン。唯一反省の言葉を述べた彼は、体も顔も泥砂で汚れているものの、すっきりとした様子だった。
それぞれの様子に、アニエスは頭痛を覚え、指先で米神を押さえる。それから一人一人に低く抑えた声で、最後の慈悲を投じた。
「タイガー。私は貴方と言葉遊びをしているんじゃなくてよ。最初の説明時に今回の趣旨を理解していると言ったわね?」
「こっ、言葉遊びなんかしてねーだろ! 趣旨くらい理解してるっての!」
「そう。趣旨を理解して、カメラを持ち込めない水中に行ったの」
「!」
彼女がそこまで言ってやっと理解した様子を見せるワイルドタイガーに、深い深いため息を一つ吐いてアニエスは命じた。
「タイガー。そこに正座。反論は認めないわ」
「…………っちぇ」
容赦ない声に反論を諦めたワイルドタイガーの隣を見ると、困ったような笑みを浮かべる彼の相棒がいる。アニエスと目線が合うと軽く両手を上げてきた。この事に関しては手を出す気がないようだ。
ワイルドタイガーにはランチ後に残業でも当てておこう。
そう思考を打ち切ったアニエスは、次の相手に目を移した。
「ブルーローズ。そのメイク、とっても似合ってるわ。可愛いわよ。あと、後ろの折紙もお人形さんみたいね。いっそその路線で売り出してみる?」
「……っ、これ、は」
「や・め・て・く・だ・さ・いぃ!」
とたんに頬を朱に染めて反論に困るブルーローズ。
ファイヤーエンブレムの後ろに隠れていた折紙サイクロンは、顔だけ出して懇願した。
そのとたんに、その場の視線が彼に集まる。それに気づいたファイヤーエンブレムが、にんまり笑って折紙サイクロンの両肩を掴んで自分の前に引きずり出した。
「見て見て! かーわいいでしょ。アタシとローズの最高傑作!」
引っ張るというより、両肩をサイドから固定して持ち上げられて正面に置かれた折紙サイクロンには逃げようなど無い。
ふわりと、黒のコルセット付ロングスカートがゆるく流線型を描いて落ちた。2段レースのあしらわれたボリューミーなスカートから伸びる白く細い足の先は、艶やかな藍の生地で作られたバレエシューズに包まれている。目線を上に戻せば、純潔を表すような白さの丸襟フリルブラウスが飛び込んで来る。まるで西洋人形が着せられているような、ベルスリーブのゴージャスなデザインものだ。襟元には、バレエシューズと同じ色のシルクのリボンが綺麗な形で結ばれていた。
服装だけ見る分には、随分とレベルの高いものだ。恐らく大半の人間が服に『着られている』状態になってしまうであろう。
だが、着ているのは夜のように艶やかな黒髪と吸い込まれそうな闇色の瞳を持つ、柔く白い肌の美少女である。その少女は耳まで朱に染めて、腕ごと肩を掴まれている為に顔も覆えずその場に立ちすくんでいる。
「……っかっわいー! 折紙さんいつの間にそんな可愛くなったの?!」
「っがいます! 擬態です!!」
無邪気な賛辞を贈るドラゴンキッドに、折紙サイクロンは思わず涙目で反論した。
(見りゃわかるでしょう何でそんな何でも信じちゃうんですか僕なんかどうでもいいってことですかそうですかすみません)
「帰ります」「駄目☆」
ひとしきり脳内でネガティブ思考を展開させた後、ぽつりと呟いた一言は後ろのファイヤーエンブレムに速攻で却下される。一連のその様子に、さらに周りがどよめいていることなど、もう彼の意識には入っていない。彼にとっての敵は、今まさに全世界だ。
「アラ。ほんとに意外と行けそうじゃない」
「成る程。死にます」
「冗談よ」
アニエスの思案気な声は危険信号だ。
間髪入れずに反応した折紙サイクロンの声は鬼気迫っており、流石のアニエスも思わず一案を引っ込める。
「で、心当たり無いって?」
気を取り直して物憂げにブルーローズを見たアニエスに、少女は決まりが悪そうに唇を尖らせた後、視線を逸らして小さな声を出した。
「撮影ほったらかして衣裳部屋に籠ってごめんなさい」
「聞こえない」
まるで嫌味な先生の様な対応をするアニエスに若干イラついたのか、ブルーローズがぐっとに視線を合わせる。
「仕事を投げて折紙連れて衣裳部屋に籠りましたすみませんでした!」
息も継がずにはっきりした声で言い切ったブルローズに満足したアニエスは、形式的にファイヤーエンブレムに視線を投げる。するとぱっちんと音のしそうなウインクが返って来た。
「折紙ちゃんが可愛すぎてお仕事忘れちゃった。ごめんなさぁい」
「……みなして酷いでござる」
鬱オーラを振りまく折紙サイクロン(外見は姫仕様の美少女)を抱きすくめてよしよしと頭を撫でるファイヤーエンブレム(外見綺麗系オネエ)。絵的にちょっと危険な香りがする。
とりあえず魅入られている撮影スタッフの一人を足蹴にして写真を撮っておくように指示し、アニエスは残りの三人に目を向けた。
「アニエスさん!」
いつの間にか綺麗に背の順に並んだ三人は、アニエスが自分たちの方を向くと同時にロックバイソンから声を出す。
「洞窟探検に夢中になって撮影のコト忘れちゃって」
「すまない! そして、大変申し訳なかった!」
ドラゴンキッド、スカイハイと順番に述べ、三人同時に頭を下げる。見事なコンビネーションだ。
これ位はアニエスも予想していたが、こう来られると何も言いようがない。まあ使える写真とネタは十分ありそうだからいいのだが。
「……まあいいわ。とりあえずの目的は果たせているみたいだし?」
「ちょ、アニエスなんかそいつらに甘くねえか!?」
あっさり引き下がったアニエスに意を唱えたのは、この中で一人だけ自らの過ちを認めていない男。墓穴を掘る天才ことワイルドタイガーは、正座の命を破って右足を立て、今にも立ち上がらんとしていた。
「ワイルドタイガー?」
アニエスの重みのある声に、少し挫けそうになるワイルドタイガーだが引き下がる気はないようだ。それがどれだけ自分を不利にするのか考えもしていないのだろう。隣の相棒は額に手を添えて小さなため息を付いている。
「自分の非を認める事も出来ないなんて、随分と情けない男になったものね」
悠然と微笑むアニエスの表情に隙は無い。
その微笑みのまま、ワイルドタイガーに新たな命を下した。
「今すぐ予備の撮影スタッフを連れて再撮影してきなさい。海底で砂遊びなんてしようものなら、永遠に海の底へ沈めてあげるからそのつもりでね」
「はあ!? 待てよアニ」
「今、すぐ、行きなさい」
「…………わ、わっかりましたぁ~」
鉄壁のアニエススマイルには流石に勝ち目がないと悟ったのか、これ以上ごねても状況が悪くなるだけだという防衛本能が働いたのか、ワイルドタイガーは渋々と立ち上がり、撮影スタッフ1名を伴って灼熱の砂浜へと帰って行った。それについて行こうとした彼の相棒に、アニエスは先手を打って声を掛ける。
「バーナビーはランチを食べてからでいいわよ」
「いえ、お気遣いなく」
「食べていきなさい。アイツには残り物を詰め合わせて後で持っていくといいわ。ほら皆、奥で料理を用意してくれてるから、持ってきなさい」
アニエスは残ったヒーローズを見渡してから、カフェのキッチンを指し示して自分は席に着く。
「あなた達の罰は食事の用意と後片付けよ。わかったら準備なさい」
まるでそのカフェのオーナーであるかのような彼女の振る舞いは、何の不自然さも感じさせなかった。