「そろそろ、行こうか」
マフムートが、母の埋まった地面の側で、生きている者は誰もいなくなったトゥリグルの村をじっと見つめていると、ポンと軽く肩を叩かれた。視線をやると、立派な髭をした将軍の姿。一人ぼっちになったマフムートの今後は、彼が面倒を見てくれるらしい。
子のいない夫婦に預けられるのか、部下の元に預けられるのか、孤児として施設に入れられるのか、マフムートには見当もつかなかったが、自分の生きる道は、もうそこにしかないことも分かっていた。
だから、母の身体が在る地に視線を落とし、ぎゅっと強く目を閉じる。
再び目を開くと、直ぐに身体ごと向きを変えた。
「はい」
「では、おいで」
将軍の側に駆け寄ると、大きな手がマフムートの頭を撫でた。その優しい手に、母の手を重ねて、ほんの少しだけ泣きそうになる。それをぐっとこらえて、彼の服を握った。それを見た将軍は歩き出す。マフムートの半歩前を、ゆっくりと、導くように。
そう歩かないうちに、立派な白馬の元に辿り着いた。綺麗な毛並みをして、つぶらな愛らしい瞳をしている。美しい馬だった。
馬の周りには何人もの知らない人々がいた。視線が将軍に集まり、その後、足元にいるマフムートへ注がれる。その視線が告げていた。痛ましいと。まるで底なし沼に引きずり込まれていくような、冷たく暗い感覚がマフムートを苛む。周りの音が聞こえなくなり、視界まで狭まったかのようだ。不安になって、きつく将軍の服を握り込んだ。
すると、温かいものが手に触れた。人の体温だと直ぐにわかる。将軍の手が、マフムートの手を包んでいた。いつの間にか地に落ちていた視線を上げると、すぐ隣にしゃがみ込んだ将軍が口を開く。
「君に、魔法の言葉を教えてあげよう」
「まほう…?」
「そう。心が苛まれ、暗闇に押しつぶされそうになったら、こう唱えるといい。"僕は、決して独りじゃない"と」
「でも、僕は」
「君の目の前には、誰がいる?」
そう言われて、恐る恐る将軍の顔を見上げる。この時初めて、マフムートは彼の顔をきちんと見た。
その人は、優しい皺を刻んで、笑いかける。
「君はこれから、沢山の人に出会うよ。好ましい人間もいれば、疎ましい人間もいるだろうね。その全ての出会いを糧にして、君は成長していくんだ。……君はいま、独りになったと思っている。でもほら、ボクと出会った」
マフムートの固く握り締められていた拳から、ほんの少し力が抜ける。
「口にしてごらん。言葉には、力がある」
促されて、逡巡の後、おずおずとソレを口にした。
「僕は、……けして、ひとりじゃない」
「うん。ボクもいる。この先、君の世界はもっと広くなるよ。楽しみにしておくといい」
そう言って、将軍は小さな身体を抱き上げた。そのまま、白馬の上に乗せる。そうして自分も馬に跨ると、片腕でマフムートの身体をしっかりと抱きしめた。
「そうだ、君の名前を教えてくれる?」
「マフムート……」
「素敵な名前だね。ボクはカリルだよ。よろしくね、マフムート君」
見上げずとも声音でわかる、とマフムートは思った。きっと彼は、あの柔和な笑みを浮かべているのだろう。自分の身体をしっかりと掴む手を見れば、年齢を感じさせる皺が刻まれていた。その手に、小さな手を重ねる。じわりと伝わる、他人の熱。
「うん」
そうして、マフムートは幼い返事をした。