午睡

  ジャンは廊下を歩いていた。

 今日は唐突に舞い込んだ休暇日で、みなそれぞれが思い思いの行動を取っている。
 そんな中ジャンはミカサの姿を探していた。ミカサはどう考えてもエレンを好いていると思えるのに、最初に刷り込まれたイメージは未だ払いがたくつい姿を追ってしまう。しかし最近は少し違った。ミカサやエレンと共にいるとつい視線がアルミンを追う。不思議なことにそれを不愉快には思わなかった。そんな自分にも少し驚いた。
 寄宿舎から外に出て辺りをぶらつく。
 今日は実にいい日和で、優しい太陽の光が世界を包んでいた。その青空を手をかざして見上げ視線を前に戻した時、茂みから誰かの靴が覗いていた。
 脱ぎ捨てられたものだろうかと茂みを回りこんでみると、そこには木を背にゆっくりと呼吸を繰り返すアルミンの姿があった。読んでいる途中なのだろう本を抱え、すやすやといった効果音がぴったりとくる様子で眠り込んでいるアルミンを見て、ジャンは呆れたようにため息をついた。
 ついこの間、ミカサから注意された件の話をしたばかりだというのにこの無防備さは何だろう。
 かといってこんなに気持ちよく眠っているアルミンを起こす気にもなれず、ジャンは立ち止まったまま考えた。このまま放って行ってしまうのも気が引けた。
 そよ風がふわりとアルミンの髪を揺らし、それをむずがゆそうに首の位置を変えたアルミンは起きる様子も無い。
 ジャンはアルミンの目の前に座り込んで、鼻に掛かった髪をすくって耳に掛けてやる。
 確かに。本当に可愛い顔してるよな。
 伏せられた大きな瞳に小さな鼻に口元、全体的に線の細いアルミンは、その眉だけが男らしかったがパーツは整っていた。
「仕方ねえか」
 呟いて、ジャンはアルミンの隣に腰掛けた。たまにはこんなゆっくりした時間を過ごしてもいいだろう。日差しはじんわりと体を温めていく。風に乗って若草の香りが舞う。ああ、これは、心地いいかもしれない。
「これは、確かに寝ちまうな……」
 隣で眠るアルミンの安らかな表情を見ると、心まで温まった。
 ぐっと背伸びをして脱力する。見上げた青空は何処までも遠く綺麗だった。

 アルミンが目覚めたのは、左肩にかかった重さに気付いてだった。
 なんだろうと寝ぼけ眼で左を見やると、色素の薄い毛玉が見えた。毛玉? なにそれ。流石に不審に思って目を擦る。するとそれは人の頭であることが理解できた。誰かが僕に寄りかかって、恐らく眠ってしまっている。
 いったい誰なんだろうと不思議に思ってゆっくり顔を確認すると、驚くべき事にそこに居たのはジャンだった。また理解出来ないことが増える。
 1、なぜジャンがここにいるのか。
 2、なぜ僕の左肩を枕にして眠っているのか。
 だかそのどちらも本人に聞かなければわからないものであった。
 ジャンとは特別仲が良い訳でも悪い訳でもない。ただ最近よく目が合うので、挨拶は欠かさなかった。だが隣で眠られる程心を許されていただろうか?
 何なんだろうな、一体。
 疑問に思いながらもアルミンは考えた。さて、この状況をどうしよう。
 もう一度ジャンの顔を見る。起きる気配は無くすやすやといった様子でよく眠っている。起すのもなんとなく気が引けた。それにしても眠っていると随分幼く可愛らしい様子になる事に驚いた。エレンに挑みかかってくる凶悪な顔の印象の所為だろうか。指先で鼻の頭を掻いてやるとむず痒そうに肩に顔を寄せてきた。子供みたいだ。
「仕方ないかぁ」
 どうせ自分はここに本を読みに来たのである。左肩が少々重いのは不便だが本を読むのに支障は無い。ジャンが起きるまで、せめてあの太陽が傾くまでここに居よう。
 そう決めると、アルミンは手に持ったままだった本を開いた。
 ぱらり、ぱらり、と本のページをめくる音だけがしばらく続いた。


「ジャン、起きて」
 誰かの声がする。それは聞きなれた声のようでいて、知らない声のようだとジャンは思った。
「んぅ……?」
「ジャン、起きてってば」
 起こすにしては随分優しい声は耳にゆっくりなじんだ。ゆらりと揺り動かされるようにジャンの意識が覚醒する。薄く目を開けるとさらりとした金の髪が目に入った。視線を移動させると、困ったように笑うアルミンの顔が見える。
 アルミンの顔?
「あ、やべっ!」
 ジャンは腹筋に力を入れて起き上がる。それから振り向いて自分を指差して言った。
「俺、寝てた?」
「うん。よく寝てたよ。でもそろそろ日も沈むから起しちゃった。ごめんね」
 頬を掻いて謝られて、ジャンは情けない気持ちでいっぱいになった。牽制がわりに残ったというのに寝てどうするのか。
「いや、謝るのはこっちの方だ。スマン。体は大丈夫か?」
「うーん、ちょっと左腕が痺れて感覚が無いけど、まあ平気かな」
 あとちょっと腰が痛い。なんて笑ってみせるアルミンに、ジャンはひたすら申し訳無さそうに謝った。起き上がると、左腕の使えないアルミンから本を受けとり、その右腕を掴んで立ち上がらせた。
「あ、ごめん」
 ふらりと、ずっと座り込んでいて感覚をなくしたアルミンの体が、そのままジャンの胸に飛び込んできた。ふわっと香った石鹸の匂いに、また妙な感覚に襲われる。このまま抱きすくめてしまいたいような……。
 って、なんでだよオイ! 相手は男だぞ!
「あー、あぁ、大丈夫か? 立てるか」
「あー。ちょっと待ってね。もうちょっとで感覚が戻ってくるから」
 ごめんと繰り返してもぞもぞと腕の中で動くアルミンに、ジャンは気が気でなかった。何故こんなにも落ち着かないのかわからない。ただ心臓が痛かった。
「よし、オッケー」
 声と共に腕の中からアルミンの体が離れていく。それをとても寂しいと思った。
 何なんだ俺は、さっきっからどうしたってんだ。考えを振り切るように頭を振るうと、笑顔を浮かべてアルミンと向き合った。
「いや、本当悪かったな。まさか自分が寝ちまうとは思わなくて」
「それは気にしなくていいよ。でもどうしてあんなところにいたの? 僕に用事でもあった?」
 けろりとした様子で言いのけるアルミンに、ジャンは呆れたようにため息をついた。
「お前ミカサに言われた事忘れたのか? アルミンは可愛いから注意しろって」
「ああ、それ。心配しなくても今日みたいなことは今まで何回もやってるから大丈夫だよ」
「何回もやってるのかよ……」
 呆れきったジャンの呟きに、アルミンは笑顔でここ、気持ちよくってと答える。
 わかってない。駄目だこいつ。そう思った瞬間、ジャンはアルミンに足払いをかけた。あっさりと地面に転がった自分より小さな体に馬乗りになり右肩を抑える。
 衝撃でアルミンの手から離れた本が、ばさりと地面に落ちた。
「ほら、どーすんだ?」
「うわっ! ……え?」
「振り払えるのか、俺の事」
 ジャンは表情を変えずに続ける。アルミンは一瞬訳がわからないといった表情をした後、静かに笑った。
「ジャン、君は思ってたよりずっと優しいね」
 その言葉にはジャンが面食らった。自分を押し倒している相手に向かって優しいだの、どういう神経だ。
「頭でも打ったか?」
「打ってないよ。僕に注意喚起する為にこんなことしてくれてるんでしょ?」
 地面に縫いとめられたままアルミンが続ける。
「優しい人だね」
 そのどこか達観した笑顔に、ジャンは負けた。両手を挙げて降参を告げる。
「あーもーやめだやめ。てめーいつかどこかで痛い目見るぞ」
 そのまま立ち上がってアルミンに背を向ける。妙に赤くなった顔を見られたくなかった。
 アルミンは立ち上がると、落ちた本を拾ってページについた土を丁寧に払った。それからジャンに向かって言う。
「色々心配してくれてありがとうね。これでもそれなりに自衛はしてるつもりだから大丈夫……とまでは言わないけど、きっと平気だよ」
 その楽観思考は何処から来るんだと思いつつも、言い返すと藪蛇になりそうだったので黙った。その代わりに食堂に向かって歩き出す。
「もうすぐ夕食の時間だろ。早く行かないと食いっぱぐれるぞ」
「うん、そうだね」
 アルミンもジャンの背に続いた。その背に向かって声を掛ける。
「ジャン。ありがとう」
「もういい、行くぞ!」
 その日の食堂では、ジャンとアルミンという珍しい組み合わせでの登場に、ミカサとエレンが過剰反応するのだが、それはまた別のお話。

 

2013/07/14

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