最初からやり直すには/欠けた愛

 なんと声を掛けて良いかなど、本当はわからなかったのだ。

 灼熱のインターハイを制したのは、総北高校の小野田坂道。掲示されたリザルトを見た東堂は、ほんの一瞬、頭が真っ白になった。インターハイ総合優勝を手にする。それは目標というにはあまりに強い意思をもって、東堂の中にあるものだった。それが、果たされなかったのだ。ほんの少しばかり自失してもおかしくはないだろう。

 その一瞬後、東堂は再度リザルトを確認して息を飲んだ。小野田坂道に続く二位には、真波山岳の文字。最後に出たのは福富ではなく真波だった。接戦だったのだろう。二人のタイムには一秒も差がない。だが、その一秒が勝敗を決する。

 ああ、負けたのだ。そう思った。

 無意識に仰いだ空は妙にぼやけた青色をしている。それに気付いて、東堂は気を引き締めた。東堂のレースはまだ終わってはいない。気持ちを切らすのはゴールしてからだ。

 そうして、東堂は個人総合三位という成績でインターハイを終えた。

 ゴールした東堂は愛車を部員に預けると、学校ごとに割り振られたテントを覗く。だが、そこには真波の姿はない。探しに行こう。そう考えてテントを出た所で足を止めた。

 真波を探して、どうするつもりなのだろう。なんと声を掛けるのか。総合優勝を逃した真波を前にして、東堂が掛ける言葉はあるのか。考えて、思った。真波へ掛ける言葉など、どこを探しても無いということを。

 二日目の夜、東堂は真波に自由に走れと言った。真波は心赴くまま自由に、全力で走ったのだろう。ならば、東堂には何も言うことなど無いのだ。

 東堂は、ただテントの前で立ち尽くしていた。

 インターハイを終えた真波は、誰から見ても思い詰めていた。

『オレが勝つことができなかったせいで、台無しにしました』

 あの日、テントに現れた真波の言葉は、自由奔放な彼らしからぬもので、東堂は酷く心を痛めたのを覚えている。インターハイはチーム戦だ。最終的に一位を取るのは個人であっても、それはチームオーダーの結果とも言える。最後にゴールを任された真波だけが背負うものではないのだ。

 そうだ。そう言ってやれば良かったのかもしれない。しかし、東堂は何も言わなかった。硝子のように傷付きやすい瞳をした真波を見て、何も言えなくなってしまったのだ。真波にゴールを任せた福富を、ほんの少し恨みたくもなった。こんな目は、真波山岳には似合わない。

 時を巻き戻して、もう一度、やり直すことが出来たら。そんなことを考えるくらいには、東堂は真波のことを大切に思っていたらしい。自分の考えに苦笑して、東堂はため息を吐いた。

 人の生は一度きり。過ぎ去ったものは戻らないし、すでに終わったことは変えようが無い。

 わかってはいても、東堂はその考えを捨てきれなかった。

 インターハイ以降、真波と東堂が顔を合わせる機会は極端に減った。東堂たち三年が部室に顔を出さなくなったせいだ。たまに顔を合わせても、真波はどこか固い表情のままだ。

 そんな顔を見たいんじゃない。東堂は強く思う。思って、そして気付いた。東堂は、自分が思っている以上に、この後輩を愛しく思っていることを。東堂の前では自然体でいてほしいだなんて、なんとおこがましいことだ。勝手さに笑いが零れる。

 自嘲の笑みを浮かべながら、東堂は思った。どうしてやればいいのだろう。真波山岳という生き物は、自由に羽ばたくようにロードレースを楽しむ男だった。東堂はそんな真波を好ましく思っていたし、その姿勢こそが真波をさらに速くすると感じていた。だが、今やその陰もない。

 思い詰めて思うように羽ばたけない真波を、どうしたらその鎖から解放してやれるのだろう。

 答えを出せないまま、東堂は追い出し親睦走行会を迎えた。

 山に入った東堂を追って来たのは、やはり真波だった。だがその顔に笑顔は無い。インターハイ前の真波が、東堂と山岳勝負が出来るなどと知ったら、それこそ尻尾を振る犬のように喜んでいたというのに。そんなことを考えて、東堂は思考を切り替えた。

 東堂が真波に与えられることは少ない。そう東堂は考えていた。ならば、この迷い子のような目をする後輩に、惜しみなく与えるべきである。

 そう思った東堂は、小野田をインターハイに呼び寄せたことを悔やむ真波をそのまま肯定した。真波の心の底は、他人である東堂にはわからない。だが、真波と小野田の関係は、そう簡単に捨てて良いものではない筈だ。

 だから東堂は言葉を尽くす。

 真波がこれ以上自分を追いつめぬよう、自ら心を傷付けぬよう、願いを込めて。

 そうして、もう一度「自由に走れ」と伝える。

 久し振りに見た真波の笑顔に、東堂は自然と笑みを浮かべた。

 真波山岳は、それでいいのだと。

 

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