花籠

 なあ、真波。オレは確かに嬉しかったんだ。お前とメガネくんが、また笑い合えたことが。

 春の芽吹きもすまぬ閉ざされた山に無理矢理連れて来たのはオレだった。お前はその場に来てもなお、帰りたそうにしていたな。宥めるのが大変だったから、覚えているぞ。寒さに震えるお前の、小さな耳や鼻の頭が、赤く染まっていたことも鮮明に思い出せる。指定通りの時間にメガネくんが現れるまで、オレはお前を飽きずに眺めていたんだよ。どうして? どうしてだろうな? その時は意識もしなかった。まあ、それはいい。

 お前とメガネくんが連れ立って走りに行った時、オレは安心した。何故って、お前はロードもメガネくんも好きだろう? IH後、お前は随分と気負って自らを閉じてしまったが、根底にある気持ちを無視することは出来んよ。ともに走れば、必ずその闇から抜けられるだろうと思った。まあ、山神の称号をどちらに譲るかという大事な用事もあったがな。ん? なんだその気の抜けたような笑いは。

 待つ時間というものも悪くはなかったな。きっとお前達は笑顔で帰ってくるだろうと思っていた。予想は的中したな。オレはお前の作り物ではない笑顔を久し振りに見たぞ。それはもう、降り積もった雪が蕩けるのではないかと思うほどの、笑顔だった。可愛かったぞ。

 こらこら、そこで引くんじゃない。話は最後まで聞け。とにかく、メガネくんの傍に立てたお前を見て、オレは嬉しかったんだ。お前がやっと、暗闇で見失っていた自分を見つけられたとな。たった1人は怖かったろう? よく頑張ったな。

 泣きそうな顔をするな。お前は笑っていれば良いんだから。

 まあ、これで万事解決したという訳だ。それで話が終われば、オレもお前も幸せだったのになぁ。なあ、真波。オレがどうしょうもない事に気付かねば、それで終わっていた話だ。だから、最後まで聞いてくれ。

 ……やはりお前の笑顔はいいな。だが、己のライバルといる時のお前はもっと輝いているぞ。気付いていないだろう。

 オレはな、それに焦がれてしまった。

 その、お前特別な笑顔を、オレに向けて欲しいと思ってしまった。

 ……違うよ。お前のライバルになりたいのではない。オレのライバルの座は巻ちゃん以外にありえない。その座はいくらお前でも譲れないな。それに、お前はまだオレに勝てたことなど無いだろう!何せオレは山神だからな。ワッハッハ!

 話を戻そうか。ありたいていにいえば、オレのそれは独占欲に近いのかもしれない。お前のその笑顔をオレだけに向けて欲しい。その手を伸ばしてオレに触れて欲しい。欲しがってばかりの、稚拙な独占欲だ。それだけならまだ良かった。たがな、真波。オレは気付いてしまったんだ。何よりも、お前の笑顔を守りたいと思っている自分に。独占欲と庇護欲の入り混じったこの感情を、オレはただの後輩への気持ちとして処理出来ないということに。

 真波、真波。……真波。

 お前は後輩としてかなり型破りな性格をしていて、正直手をかけさせられた。たが、お前の自由な走りは、オレだけでなく他の者をも魅了した。お前はとても魅力のある後輩だったよ。だから、先輩と後輩の関係が少し崩れる、この日に言わせてくれ。大丈夫、ただ聞いてくれるだけでいい。なあ、真波山岳。

「好きだ」

 愛しているよ、お前を、心から。

 だから、そうやって今にも泣きそうに歪むお前の顔は、オレだけのものだと思ってもいいだろう?

 伸ばした手は暖かな頬に触れた。そこに流れる涙は見えない。それを拭うふりをして、オレは心からの笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、東堂さん」

 感情を押し込めようとして失敗したような、真波の声がした。

 ああ、わかってる。

「坂道くんだけじゃない。オレは、東堂さんにも救われたんです。だから、凄く寂しい」

 真波が無理矢理といったように口端を上げた。

「卒業、おめでとうございます」

「ありがとう、真波」

 オレは、お前の幸福を祈るよ。

 

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