東堂尽八は真夏に生まれた。
夏といえば、からからとした空気の中、じりじり熱い太陽が天に昇り、容赦なく照りつける季節だ。
そして、保育園から小・中・高にかけて長い休みに入る時期でもある。
よって東堂の誕生日というものは、いつも家族と過ごすものであった。そこに友達というものは介在しない。何も東堂に友達が居なかったわけではない。長期休みの間に生まれた人間の、宿命のようなものだ。
これに関して、東堂が不満を抱くことは無かった。東堂の誕生日は、家族のみならず、古株の従業員は皆知っていたし、その日は朝からやわらかな祝福の言葉を幾つも貰えたのだ。夜は、あまり揃うことのない家族が揃い、お祝いの言葉とプレゼントを贈ってくれた。こんな時でもなければ食べないホールのショートケーキは、東堂の心を躍らせるには十分だ。
自分がとても大事にされている。そうした実感は、東堂を満足させた。
そうして東堂は、いくつもの誕生日を家族と過ごしてきたのである。
それは、箱根学園に入寮してからも同じだった。
部活にも夏休みはある。東堂の誕生日は、丁度そこに被るのだ。1年、2年と、休み期間中は実家に帰っていたので、当然、家族や従業員以外の誰かに直接祝われることは無かった。とはいえ、携帯電話という通信手段を得た今では、誕生日当日にお祝いメールを貰える。休み明けには、わざわざプレゼントを持って応援に来てくれるファンクラブの子が居たし、それを見て、おめでとうと声を掛けてくれるものも居た。東堂は、十分に幸せだったのだ。
それは、受験を控え、実家に帰らないことを決めた3年目の夏のこと。
規則正しい時間に目覚めた東堂は、枕元の携帯に灯るランプを見て、二つ折りのそれを開いた。そしてふっと笑みを零す。新着を知らせるそれは、母と姉からの誕生日お祝いメールだ。簡単な祝いの言葉を述べたメールには、励ましの言葉も添えてある。くすぐったく思いながらも、すぐに返信をした。
それから、東堂はいつも通りの生活を始めた。顔を洗い、朝食を食べ、朝の涼しいうちに勉強を始めた。夏休み中の寮に残っているものは少なく、寮内はとても静かだ。すぐに勉強に集中し始めた東堂は、時間を忘れて努めた。そうしてどのくらい時間が経っただろうか。東堂の腹が若干の空腹を訴え始めた頃、部屋のドアを誰かが叩いた。こつこつと響いた小さな音に、東堂は気付かない。机に向かう東堂の後方で、常に鍵のかかっていないドアが静かに開く。ドアから顔を覗かせたのは、新開だ。その後ろには荒北が続く。ドアを通った新開は、そのまま部屋に入った。そっと机に向かう東堂に近付いて、腰を折りその耳元に囁く。
「じーんぱち」
「うわぁ!?」
机に向かって集中していた東堂は、突然の外部からの刺激に、仰天して声を上げた。シャープペンシルを持ったまま、慌てたように顔を後ろへ向けると、すぐ傍に新開の顔がある。距離の近さに若干焦った東堂は、椅子ごと反対側に仰け反って言った。
「なんだ、隼人! 吃驚するだろう!」
「ははは、集中しすぎだろ」
東堂の批判もなんのその、新開は折った腰を伸ばして綺麗な笑顔を浮かべる。そんな新開の後ろに見えた荒北の姿に、東堂は目を瞬かせた。
「なんだ、荒北までどうした?」
「いちゃ、わりィのかよ」
「悪いとは言ってないだろう」
斜に構えて悪態をつく荒北に、東堂は気にした様子も無く答える。そんな東堂に対して、小さく舌打ちをした荒北が、「いいから、ちょっと付き合えヨ」と言って、東堂の右手を掴んで引いた。突然のことに、促されるまま腰を浮かせた東堂が、眉を顰めて荒北を見る。
「だから、何だと言っている」
若干語気を強めた東堂の肩を新開が叩いた。それから、東堂の右手に握られていたシャープペンシルを取り上げると、机の上に置く。
「まあまあ。一旦休憩にして、ちょっとオレらに付き合ってくれよ」
「答える気は無いのか。全く……」
呆れたようにため息をついた東堂が立ち上がった。どうやら従うことにしたらしい。それを見て満足そうな笑顔を浮かべた新開が、東堂の後ろに回り、その目元をアイマスクで覆った。突然視界が暗くなった東堂は、驚いて空いた左手で視界を遮るものを取り除こうとする。だが、その左手はすぐに新開の手に捕らわれた。
「ちょっとの我慢な。大丈夫、オレらがちゃんとエスコートしてやるから」
「は!? 意味がわからんぞ、隼人!」
「エスコートしてやるっつってんだから、大人しく案内されりゃあイイんだよ」
「お前もか、荒北!」
「ギャーギャーうっせえ!」
混乱を極める東堂をよそに、両サイドを固めた新開と荒北が歩みだす。それに引き立てられるように、東堂も足を進めた。視界を遮られた状態で歩くという行為は、若干の恐怖を呼び起こすものだ。しかし、がっちりと両腕を固められて半ば引き摺られているお陰か、恐怖は無かった。ただ、理解が追いつかない。突然のことに、何か悪いことでもしたのだろうか、という思いさえ過ぎる。
「おい、どこへ向かっているのだ」
「秘密」
「教えたら目隠しの意味なくね?」
問いにはすぐに答えが返る。なるほど、その通りだと思いつつも、その答えは東堂を満足させるものではない。居心地も悪く歩いていると、新開が声を掛けた。
「心配することなんてないぞ、尽八。すぐ着くさ」
「隼人……」
「あともうちょいの我慢な」
その暖かい声に、東堂は深く考えるのを止める。なんの理由も無くこんなことをする奴らではない。そう思った東堂は大人しく案内に従った。
2人の歩みが止まったのは、それから少し歩いた後だ。距離的にそう遠くないのは本当だったらしい。そっと掴まれていた両腕が解かれる。
「まだ目隠しとンなよ」
離れていく体温に釘を刺されて、東堂は大人しくそれに従った。何がしたいのかはわからないが、悪いことではないのだろう。ガサガサと音がして、少しの間を置いてから新開の声がした。
「尽八、それ取ってもいいぜ」
それ、とはおそらく目隠しのことだろう。そう当たりをつけた東堂が、両手を後ろに回してアイマスクの結び目を解いた。途端に明るくなる視界に、東堂が目を細めた瞬間、軽快な破裂音が響く。それから、複数人の重なる声。
「誕生日おめでとう!」
言葉の意味を理解する前に、視界をカラフルな紙テープが覆った。細いそれは東堂の頭から肩にかけてしなだれるように掛かる。驚きに目を丸くした東堂が、紙テープ越しに見える風景を認識するのには、少し時間がかかった。
東堂は、自分がいる場所が、どうやら寮の設備である食堂だということはすぐに理解した。歩いた距離と空間の広さを鑑みてもそこしかないだろう。目の前には、先ほど一緒に歩いてきた新開、荒北に加え、福富の姿がある。少し視線を下げれば、白い布で覆われた机の上に、様々な料理やお菓子が広げられているのがわかった。その中央には、真っ赤な苺の飾られたホールのショートケーキ。ケーキの上には、チョコレートで作られたメッセージプレートが添えてある。そこには、少し歪な文字で『おたんじょうびおめでとう』と書かれていた。
それらを見下ろし、確認して、東堂は勢いよく顔を上げる。
「お、お前ら……!」
そのときの東堂は、常日頃自慢している美形も形なしの、ひどく情けない顔をしていた。驚きのあまり、感情が上手く表せないようだ。そんな東堂の顔を見た荒北が鼻で笑う。
「ブサイクな顔」
「……っ! ブサイクではないな!?」
荒北の暴言に返すいつもの言葉にさえ、東堂は詰まっていた。それほどに、東堂にとってこの光景が予想外であったのだろう。無理もない話だ。なにせ、東堂はこの年まで、自分のために開かれるサプライズパーティーというものを経験したことがなかったのだから。
「東堂、誕生日おめでとう」
動揺を隠せない東堂に、福富が落ち着いた声で言った。
「お前にはいつも世話になっているというのに、一度も祝ってやれなかった。すまない」
「これ、寿一の企画なんだぜ」
真面目な顔をして詫びる福富の横から、新開がウインクを飛ばしてお得意のバキュンポーズをとる。そのどれもこれもが東堂を驚かせ、普段の快活なトークを奪っていた。
「あ……その、ありがとう」
頬が熱くなる感覚に、東堂は右手で顔を覆った。やばい、嬉しい、照れくさい、恥ずかしい、なんだこれ。東堂の中で様々な感情がない交ぜになる。どういう顔をしていいのかわからなくなっている東堂を見て、福富が気遣うような表情を見せた。
「その、東堂。迷惑だっただろうか」
「そっ、んなことはないぞ! ただ、すまない。こんなことは初めてでな……」
「素直に喜んどきゃいいんだヨ、バァカ」
慌てて否定の言葉を紡ぐ東堂に、荒北が近づいてその額を小突く。それでようやく心を落ち着けた東堂が、3人の姿を見渡し、笑みをこぼした。
「ありがとう。とても、嬉しい」
それは、東堂の心からの言葉だった。
あれから、東堂は3人とささやかなパーティーを楽しんだ。料理やお菓子は出来合いのものだったが、真ん中に据えられたショートケーキは3人の手作りらしかった。それを聞いた東堂が、「道理で形が歪だと思った」と正直な感想を述べて、荒北に叩かれる。「お前はこの美形を軽率に叩き過ぎだぞ!」と反論すると、面倒くさそうな返事があった。そんな2人のやり取りを、新開と福富が親のような顔をして見守っている。ケーキは少し焦げた味がしたが、東堂が今まで食べたケーキの中で一番美味しいように感じられた。
パーティーは、始終なごやかなムードで行われていた。
3人からの誕生日プレゼントは、自転車用のグローブだった。少し前に、そろそろ買い換え時だと話していたのを、福富が覚えていたらしい。練習用のジャージに合わせた白と黒の真新しいグローブは、驚くほど東堂の手の形にフィットした。素直に喜びの言葉とお礼を述べる東堂に、3人は照れくさそうに笑みを浮かべる。
そうした、心から楽しいと感じる時間を過ごした東堂は、一人食堂を後にする。福富達は、後片付けがあると食堂に残ったのだ。東堂も手伝うと主張したが、「主役はただ祝われてればいいんだよ」という新開の言葉に甘えることにした。東堂は幸せな気分のまま、部屋に続く廊下を1人で歩いた。窓の外にはとろりと溶けていきそうな太陽が、随分低い位置に来ている。かなりの時間を食堂で過ごしていたらしい。時間の経過がわからなくなる程に、楽しいひと時だった。
部屋に帰った東堂は、プレゼントを机の上に置くと、何気なく携帯電話を取り出した。そこに灯ったランプに気付いてそれを開くと、一通のメールが来ている。差出人は、東堂の後輩である真波山岳だ。中を開いて見ると、短い言葉が表示された。
『暇になったら連絡ください。』
そっけない文章は何時ものことだが、その内容は珍しいものだった。
不思議に思いながらも、返信画面を開いてキーを押す。メールにすぐ気付かなかったことに対する詫びと、今は手が空いている旨を打つと、送信した。すると、返信はすぐに来た。
『寮の裏口にいます。』
有無を言わせない文言に、断られるという選択肢は無いのか、と苦笑しながらも、東堂は戻ってきたばかりの部屋を出た。軽い足取りで寮の裏口に向かう。誰もいない静かな廊下を抜け、裏口のドアを開けた。
「あ、来た」
「呼び出したのはお前だろう、真波」
聞こえた意外そうな声に、東堂が言う。真波は、ドアから少し離れた位置で地面に腰を下ろして座り込んでいた。耳元に寄せた右手には携帯電話が握られている。人を呼び出しておいて電話していたのか、と東堂は眉を顰める。真波は東堂を見上げてにっこりと笑みを作ってみせると、「そうでした」と左手で後ろ頭を掻いた。それから、携帯電話を耳から離し、小さなかけ声とともに立ち上がると、東堂の側に歩みを進める。
「東堂さん、今日誕生日だって聞きました」
「ああ」
「だから、プレゼント用意したんです」
そう言って、真波は自分の携帯電話を差し出した。東堂は意味がわからず小首をかしげる。
「お前の携帯がプレゼントか?」
「まあ、耳元に当ててみて下さい」
言われるままに、東堂は真波から携帯電話を受け取って耳元に当てた。つい癖で、「もしもし」と語りかけてしまう。何をやっているのだと思う間もなく、真波の携帯電話から声が聞こえた。
『よぉ、東堂』
電話越しのそれは、とても耳になじむ、知らないはずが無い声。
「巻ちゃん!!」
東堂の表情が、ぱあっと明るくなる。その声は、誰が聞いても分かるくらい喜色にあふれていた。
『誕生日だって聞いたっショ。おめでとう、尽八』
さらりと告げられたその言葉に、東堂は胸が詰まるような気持ちになる。最高のライバルから、教えてもいない誕生日に、お祝いの言葉を貰えた。それは、今日貰う、思ってもいなかった二つ目のプレゼントだ。東堂は思わず真波の方を見た。真波は、口元に笑みをはいてただそこに立っている。その右手が胸元まで持ち上げられたかと思うと、東堂に向かってひらひらと手を振った。そしてくるりと背を向ける。
「まなっ……」
その場から去ろうとする真波を、東堂はそのシャツの裾を掴んで阻んだ。それは反射的な行動で、東堂自身も驚いて目を丸くする。だが、そうされた方はもっと驚いたようだ。真波は東堂を振り返って、握られた自分のシャツと東堂の顔を交互に見た。それは、急に抱き上げられて戸惑っている野良猫のように頼りない仕草だ。
真波の様子を見た東堂は、逃がさぬと決めて彼のシャツを握り込むと、携帯電話に向かって話しかけた。
「巻ちゃん、ありがとう! まさか、巻ちゃんからお祝いの言葉を貰えるなんて思ってもいなかった! でも、悪い。これは真波の携帯だから、また後で掛け直しても良いだろうか?」
そう一気に伝えると、目の前の真波が驚きに目を見開いた。電話口からは、小さな笑い声が漏れる。
『クハッ、了解だ』
巻島が了承して、通話は切られた。東堂が携帯電話を耳から離す。すると、真波が言った。
「まさか、切るとは思わなかった……」
それは、心の底から発せられる驚きの言葉だ。呆然とする真波の目前に、東堂が携帯電話を差し出す。それを無言で受け取った真波が、少しの間を置いてぽつりと呟いた。
「余計なお世話でした……?」
「違う、馬鹿者。嬉しいさ、嬉しいに決まってるだろ! 全く、今日は本当に幸せな日だ!」
東堂が、憤慨した様子で真波のシャツから手を離し、両手を使って真波の頬を抓る。
「いひゃいでふ、とおどーひゃん」
「こんなに素敵なプレゼントを用意しておいて、オレにお礼もさせず帰ろうとした事に対して怒っているのだ!」
真波の苦情を無視して、東堂は言い切った。それから手を離してやると、真波は両手で頬を擦る。そして不服そうに東堂を見た。
「オレがやりたくてやった事だから、そんなの気にしなくていいのに」
「そういう訳にはいかん。本当に嬉しかったからな」
そう言うと、東堂は改めて真波と向き合った。目を細め、口元に笑みを浮かべる。そうして心を込めて言った。
「ありがとう、真波」
真正面からお礼を言われた真波は、どこか居心地が悪いようにその手で口元を覆った。その隙間から、「別に」と可愛くない声が漏れる。それを気にせず、東堂は真波の頭に手を伸ばして撫でた。それが気に入らなかったのか、真波が東堂の手を払いのける。そうして、払いのけた手とは反対の手で東堂の額にかかる前髪を掬った。晒された綺麗な形の額に、真波が自身の唇を一瞬だけ押し付ける。その感触に、驚いた顔をした東堂を見て、真波が楽しそうに笑った。
「誕生日おめでとう、東堂さん」
END
「そういえば、どうして巻ちゃんの携帯番号を知っていたのだ?」
「荒北さんから聞きました」
「荒北がなぜ巻ちゃんの番号を知っている!」
「なんか、東堂さんに電話が掛かってきたときに、携帯に表示されてた番号覚えたみたいですよ。東堂さんが暴走したときに連絡つくようにって」
「あいつは頭がいいのか悪いのかどっちだ!?」
「そこまでさせる東堂さんも東堂さんですよね」