サプリメント

 それはいつからだろうか。

 東堂が後ろを向けば、そこには、へらりとした笑顔を浮かべる奴がいる。東堂の後を、刷り込みの雛のようについてくるのは真波だ。口を開けば「勝負しましょう?」とさえずる小鳥は、はたしてどうやってここまで懐いたのだろう。思いを巡らせるが、これといった答えは出てこない。真波山岳という人間は、気付けばそこにいた。いつの間にか懐に入り込んできて、東堂がその存在に馴染んでしまったくらい、人懐っこい人間なのだ。

 そう言うと、目の前で制服に着替えていた荒北は、馬鹿にしたように口を歪めて言った。

「アイツぁ野良猫だろ。小鳥なんて、愛玩用気取ってねえヨ」

「そうか? どう見ても小鳥だろう。手乗りインコの相手をしている気分になる。まあ、多少人の話を聞かない事はあるが」

 少し考えるように顎に手を当てた東堂を見て、荒北は「まァ、お前の真波に対する印象とか、どーでもいーけどォ?」とだるそうに返してくる。それから、東堂の額を人差し指で小突いて言う。

「……アレをあんまペット扱いしてると、痛い目見るぜ」

「なんの話だ?」

「何の話ですかー?」

 荒北が何か返すより先に、部室の扉が開いて第三者の声がした。真波だ。

「おつかれさまでーす」

 ジャージ姿の真波は、にこりと笑って、東堂と荒北に挨拶をする。それから、当たり前のように、着替え中の東堂の腕にじゃれついた。

「東堂さーん! また一緒に走りましょうよ」

「練習で走っているだろう」

「そうじゃなくて、もっと本気の勝負、しましょうよ!」

 東堂の腕に右手を絡めたまま、真波は左手で握りこぶしを作る。そんな真波の頭を、東堂がくしゃりと撫でた。

「まあ、機会があればな」

 その時の東堂は、ひどく優しく、甘い顔をしていた。それを見た荒北は、心の底からため息をつく。もう心まで入り込まれている奴に、何を言っても無駄である。

「お先ィ」

 先に着替え終わった荒北は、東堂に片手を上げて部室を出て行った。その背を2人が見送る。そうして、荒北の姿がドアの外に消えたとき、真波がさっと東堂から身体を離した。

「オレ、ちょっと忘れ物しちゃった!」

 そう言って無邪気に笑うと、真波は瞬きする東堂を部室に残して外へ出る。日の落ちて薄暗くなった校内を、少し先にある荒北の背中を目指して駆けた。

「あっらきったさーん!」

 その姿を捕捉して、荒北の名前を呼ぶ。振り返った荒北は、心底嫌そうな顔をした。

「あンだよ、フシギチャン」

「やだなー、それやめて下さいよ。オレ、真波山岳って名前があるんですから」

「用件」

 へらへらとした笑顔を浮かべる真波に流される事もなく、荒北が先を促す。すると、真波は一度目を閉じて、次に開いたときにはその笑顔を消していた。荒北から歩幅1つぶんの距離を置いて、真波はまっすぐに見上げてくる。

「あんまり、東堂さんに余計なこと言わないで下さい」

 空の色を映した瞳が、邪気無く荒北を見た。

「何が目的だ」

「酷いなあ、まるでオレが悪いことしてるみたいな言い草!」

 口元だけで、真波が笑う。それから、可愛らしく小首をかしげて言った。

「懐いてるのは、オレじゃなくて東堂さんの方だよ?」

 その人形のような笑顔と声に、荒北の背筋がすっと冷める。

 コイツは、ヤバイ。

 脳内に危険信号が点滅し、なんとか回避策を練ろうとするが何ひとつ浮かばない。

「せっかく、こんなに懐いてくれたんだから。壊すようなことしないでくださいねーって、言いたかったんです」

 荒北が躊躇する間にも、真波はするすると言葉を連ねる。その邪気の無い透き通った笑顔が怖いと思った。

「テメェ、東堂をどうしたいワケ?」

「だからーっ! そんな、オレが悪いことするみたいな言い方って、酷いと思います」

 そう言った真波がひと呼吸置く。それから、なんでもないことのように言った。

「東堂さんの日常に、オレを埋め込んでしまえたらって思っただけなのに」

 その声は、なんのてらいもなく響くだけに、荒北の心に戸惑いを生む。日常に埋め込みたい? 何を言ってるんだコイツ。日常も何も、お前はすでに東堂のそれにいるだろう。そんな荒北の思いを感じ取ったのか、真波が付け加えた。

「違いますよー。オレは、東堂さんの必須項目になりたいんです。毎日、その存在を感じさせるものに」

 真波の声が、荒北の頭をガンっと殴る。それはつまり、こいつは、東堂のことが、恋愛的に好きなのか? いきなりのカミングアウトに、荒北の頭はついていかない。別に差別するわけではない。ただ、恋愛というには真波のそれはあまりにも重く、偏執的だと思った。

「ふふ、何にも理解しなくていいんですよ? だって、オレはオレだから!」

 楽しそうな声で言った真波は、くるりと荒北に背を向けた。そして部室に向かって走り出す。

 東堂、お前、とんでもないのに目を付けられたな。

 その背中を、荒北は空恐ろしい思いで見つめた。

 

HP開設前

web拍手 by FC2

 Return