零れる王冠

 豊かに茂った木の上には、金色の王冠がひとつ、成っていた。

 それは光を絶え間なく放ち、同時に濃い陰を織りあげる。

 オレはその陰の中で、光り輝く王冠を見上げた。遠い遠い、それでもそこにあるもの。確かに、オレたちのすぐ側にあるもの。大切で、尊い。輝く証。

 陰に立つオレの目の前で、王冠の成る木が、ゆるりとやせ衰えていく。次第に頭に乗せた王冠の重さに堪え難いとでも言うように、その枝葉を撓らせる。

 ああ、駄目だ。あれでは零れ落ちてしまう。春に咲く桜の花のように、風が吹いただけで散ってしまいそうだ。

 それだけは、あってはならない。

 あの王冠は、総北が、先輩と一年たちが手にした栄光の象徴だ。オレはそれを守り通すべきで、落ちることなど許してはならない。

 そう、あの王冠は、総北という木の上で、さらに輝くべきなのだ。

 また、あの夢だ。

 オレはベッドの上で寝返りをうって、左手で目元を覆う。最近は同じ夢ばかり見る。それは決まって、木の上に輝く王冠が落ちそうになる夢。豊かな木が、ゆっくりと衰えていく夢だった。オレはそれをどうにかして押しとどめたいと願うのだが、木が作り出す陰から出ることが出来ない。木のそばに行って支えようとしても、全体的に衰えるものをどうしていいかわからない。ただ歯がゆく思うだけだ。

 こんな夢を見始めたのは、金城さんから主将を預かってからだ。自分でも情けないと感じる。この夢は、オレが心の奥底で抱える不安をそのまま表しているような気がして、自嘲を交えた笑みが浮かぶ。

 ああ、本当に、何を弱気になっているんだ。こんな心持ちでは、強豪の揃うIHでの連覇など叶わないだろう。しっかりしろ、純太。

 目を開いてベッドの上に起き上がり、窓のカーテンを開いた。朝日が、暗い部屋に差し込み、溢れる。夢の中の王冠が放つ光も、この朝日のように清廉で美しかった。その光を失わないように、オレは更に強い総北を作らねばならない。

 そう、もう一度心に誓った。

「純太」

 放課後。部活も終了して、自主練に入ろうとしていたオレに、青八木が声を掛けてきた。

「一緒に走ろう」

 突然の青八木の申し出に、オレは目を瞬かせる。

「オレ、裏門坂何本か走ろうと思ってるんだけど」

「構わない」

 青八木は気にした様子も無くそう答える。青八木はスプリンターとしての才能を開花させつつある。山岳の練習が不要だなんて言わないが、脚質に合った練習を行った方が効率はいい筈だ。何か、話でもあるんだろうか。

「そんじゃ、違うコースで行こうぜ」

「いいのか?」

「ここんとこ坂登ってばっかだったしな」

 そう言って、オレは手に持っていたヘルメットを被った。青八木が頷いてそれに倣う。そうして、オレたちはコースを確認しあってから走り出した。

 裏門坂を下って、市街地を走る。幾つめかの信号で停まったとき、青八木がオレに声を掛けた。

「最近、眠れているか」

 唐突な青八木の言葉に、オレは目を見開いた。確かに夢見は悪いが、他人が見て分かるほど寝不足に陥っていた自覚は無い。顔にも出ていない筈だ。

「どうしたんだ、いきなり」

「気のせいならいい」

 青八木はその理由を言わなかった。ただの勘なのかもしれない。だとしたら鋭すぎる。

 青八木が相手なら下手なごまかしも効かないだろう。オレは肩をすくめて、なんでもないことのように言った。

「最近、ちょっと夢見が悪いんだ。けど、寝不足って程じゃねーんだけどな」

「そうか」

 そこで信号が青に変わった。オレたちは一列になって走り始める。青八木が先頭で、オレがそれに続く形だ。自然と会話は途切れる。その話はそれで終わったと、オレは思っていた。

「どんな夢だ」

 自主練を終え、部室の前に戻ってきたとき、青八木が尋ねてきた。

 もう終わった話だと思っていたオレは、一瞬何のことを言われているのか分からず反応が遅れる。やっと思い至って、苦笑いを浮かべた。

「たいした夢じゃねーよ」

「純太が倒れたら困る」

「体調管理くらい出来るぜ?」

 首を傾げて言うと、青八木がまっすぐな瞳でじっとオレを見た。その視線には弱くて、オレは小さくため息を零す。全く、青八木にはかなわねーな。

 オレが夢の内容を話すのを、青八木は静かに聞いていた。奇妙な夢だというのに、笑うこともしない。青八木のこういう真面目な所は、好きだった。

 夢の話を終えたオレは、「変な夢だろ」と茶化すように付け加えた。すると、青八木がオレの両手を捕らえて、ぎゅっと握り込む。

「大丈夫だ」

 しっかりとした声で、青八木が続ける。

「その木を支えるのは、純太だけじゃない。今泉も、鳴子も、小野田もいる」

 青八木は握った手を離すと、拳を作って自らの胸元を叩く。

「オレがいる」

 その強い意志の灯った瞳を、オレは瞬きも忘れて見ていた。

 ああ、そうだ。オレは一人で王冠を守るんじゃない。総北にいる一人一人の力をもって、それを成そうとしているのだ。プレッシャーで濁った視界が、流水で洗われたようだった。

「……ああ」

 オレは拳を握る。それを青八木の目の前に掲げると、青八木が握った拳をオレのそれに当てた。

「オレたちは、勝つ」

 重ね合わせた声は、夜の空気に静かに響いた。

 

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