まばたきの小さな闇

 3、2、1。

 ゼロ。

 その瞬間に襲ってきた感情は溢れそうな安堵だ。

 やった……ふり切った。小野田を。

 信じられないような追い上げだった。気を抜けば抜かれてもおかしくなかった。だがオレは、守りきった。この位置を。後は青八木を待つだけだ。そして二人でインターハイに……。

 感情は走馬灯のように流れる。オレは睫毛をすり抜けて落ちてきた汗に、瞬きをした。ほんの、一瞬、視界が真っ暗になる。その瞬間に車輪の回る音が右手を駆け抜けていった。

 え、何だ?

 不思議に思う間もなく現状を認識する。

 小野田だ。小野田がオレの前にいる。目を見開いているのに、まるで闇の中に落とされたように認識出来ない。そうやって、オレはどの位呆然としていたのだろう。ほんの数秒かもしれない。しかし、レースに勝つためにその数秒はあってはならないものだ。

 オレは右手で胸を叩いた。まだ、諦めてはならない。

 しかし、その決意は左右から抜き去っていく今泉と鳴子の二人と、引きつる足に奪い取られた。

 ああ、目の前が真っ暗だ。

 一年はあっという間に視界から消えていく。何故だ。そう思ったら何の事はない。オレが地面に脚をついて立ち止まっているだけだ。

 そんな事あってはならない。あってはならないのに、身体が動かない。

 薄暗い闇の中、オレのロードについたライトだけがぼんやりと明るい。永遠のような闇に飲まれていると、後方から車輪の回る音が近付いてきた。それを捕らえた耳は、脳を揺り動かし思考を取り戻す。

 青八木、だ。

 追いついた青八木は、真っ直ぐな瞳でオレを見た。その視線に耐えられず、オレはその場にくずおれる。搾り出すような声での謝罪を受けた青八木は、ほんの少しすると、一瞥もくれずに走り出した。

 そうだ。それが正しい。走れなくなったやつは置いていくのがレースだ。

 だが、それがどうしようもなく胸を締め付けた。

 キッ。

 膝をついたオレの耳に、小さな擦過音が飛び込む。それから、青八木の声。

 「うしろにつけ、オレが引っぱる」

 反射的に顔を上げると、数メートル先で立ち止まった青八木が、強い意志のこもった黒目でまっすぐにオレを見ていた。

 なんで、立ち止まってる。こんなやつ置いていけばいいだろう。溜めてた脚を使い切って、それでも一年を抑えられなかった情けないオレだ。

 青八木はオレの声を遮って続ける。強い意志で。

 「インターハイは、2人でいく。それ以外は意味ない」

 青八木の言葉に、オレは見開いた目を、一度ぱちんと閉じた。瞬きの後、暗かった視界が急にクリアになる。まるで明かりでも灯ったみたいだ。一年に追い抜かれて、不甲斐なさに何も見えなくなっていたオレに、青八木は簡単に光を与えた。

 頬を伝ったのが、涙なのか汗なのか、オレには判らなかった。ただ、与えられた光に笑みを浮かべる。

 まばたきの小さな闇。その後にあるのは必ずひかり、だ。

 

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