オレは今、花の種を蒔いている。
放課後の教室。椅子に座って、可愛らしいキャラクターがプリントされたうす桃色の便箋に、何の変哲も無いシャープペンシルで文字を書く。
好きです。
それはシンプルな告白の言葉だ。
少し考えて、やっぱりこれだけでいいやと思ってペンを置く。
便箋を適当に折りたたむと、付属の封筒に入れた。糊は、と筆箱を探って、持っていない事に気付く。
まあ、いいか。どうせ開けるんだし。
軽い気持ちでそう思った。
宛名も差出人も書かず、封もしないそれを片手に持って、空いた手で鞄を持ち教室を出る。
向かう先は昇降口にある下駄箱だ。軽い足取りで廊下を進み、目的地に辿り着くと、3年生の下駄箱の一つにそれを放り込む。書かれた言葉のわりに、扱いはぞんざいだ。
それで満足したオレは、そのまま自分の下駄箱に向かい、上靴を履き替えて外に出た。
目的は果たしたから、後は部活に行くだけだ。
オレはこの行為を何度か繰り返していた。
始まりは秋の頃、短ければ1週間に1回、長ければ1ヶ月に1回の頻度で手紙を出している。差出人は書かない。別に恋の実りを期待している訳でもないから。
そうして季節は巡り、暦の上ではもう春になる。
学校も部活も休みだったので、家で惰眠を貪っていた朝と昼の間、オレの携帯に着信があった。
すぐに気付かず、携帯を手にした時には着信音が止まっていた。寝ぼけ眼で液晶画面を見ると、そこには、東堂さん、と表示されている。
なんだろうと思って、寝転んだままメールを打った。
『なんですか』
すると返信はすぐに来た。
『ちょっと会えないか』
思わぬ返信に、一気に頭が冴えた。何かあったのかな。そう思いながらも返事をする。
『いいですよ』
待ち合わせ場所は学校の裏門になった。
待ち合わせ場所に着くと、東堂さんはもうそこに居た。
「すみません、待たせました?」
「いや、今来た所だ」
東堂さんは紺のパーカーを着て白のダッフルコートを羽織っている。制服以外の東堂さんを見るのもそう無い事で、オレは今日が休みなんだと改めて思った。
「急にどうしたんですかー?」
オレが聞くと、東堂さんはポケットから封筒を取り出した。それをオレに見せる。宛名の無いその封筒は、確かに見覚えがあるものだ。
「聞きたい事があった。これは、お前か」
ストレートな言葉に、東堂さんらしいなぁと思ったらなんだか笑えて来た。そんなオレに眉を顰めた東堂さんに、望む答えをくれてやる。
「そうですよ。なんで分かったんですか?」
「お前には度々勉強を教えてやっているだろう」
「でも、文字だけで分かるなんて凄いですよ。愛ですか?」
そう言って茶化すと、東堂さんは嫌な顔一つせずに、まっすぐオレを見た。
「悪いが、この気持ちには答えられん」
まっすぐすぎる東堂さんの言葉に、オレはさらに可笑しくなる。
「知ってます。そんな事」
「なら何故こんな手紙を書き続ける」
はたから見れば奇妙な光景だろう。一人は笑っているのに、一人はとても真面目な顔をしているのだ。その状況すらも面白い。でもちょっと笑いすぎだな。そろそろ怒られる。
オレは一つ深呼吸をして、東堂さんに笑顔を向けた。
「少しでも、貴方の心に残れば、と思ったんです」
「何がだ」
「東堂さんを好きな男、ましてや、同じクライマーで自転車部の後輩ってだけじゃなくて」
言いながら近付いて、オレは東堂さんの胸元を人差し指で突いた。
「あなたのここに、真波山岳が残りますように」
藍がかった黒い瞳をまっすぐに見る。そこには、挑戦的な笑顔を浮かべたオレが映っていた。その距離に満足して、オレは一歩身を引く。
「用件はそれだけですか?」
首を傾げて尋ねると、東堂さんは戸惑ったような目をして頷いた。オレの言ってる事がよくわからないのだろうか。そんなに察しが悪い方じゃないと思うけど。
「じゃあ、オレ帰りますね」
そう言うとオレは東堂さんに背を向けた。一切振り向かずにその場を去る。
ああ、そういえば便箋と封筒の在庫が尽きかけていたな。委員長から新しいの貰わないと。
そんな事を考えていた。
オレは今、花の種を蒔いている。
それは決して咲かない花だ。
だからこそ、種は何時までもそこに残り続ける。
それが、オレの願いだ。