諍い果てての契り

 

『殴り合いの喧嘩なんて初めてした。だが、結果的にそれで良かったのだ。何故ならば、その喧嘩を通じて僕たちはより親交を深めることが出来た。言葉などいらない、真に友情というものを手にすることが出来たのだ。』

 その一文を読み上げて、ゴウセルは一人首を傾げた。

 

「アーサー。お前は殴り合いをしたことがあるか?」

 四階から降りて来て、一階でお茶を飲んでいたアーサーの前に立ち止まったゴウセルが、唐突に聞いた。

「殴り合い? 対人格闘術の基礎程度ならマスターしていますが」

「質問を変える。殴り合いの喧嘩をしたことがあるか」

 その質問に、少し思案する。昔を思い返してみても、殴り合いの喧嘩などした覚えが無かった。

「無いですね」

「そうか。ならば、アーサー。お前の初めてを俺にくれ」

 ゴウセルがそう言った瞬間、がしゃんと食器が鳴る。見ると、隣のテーブルで食事を取っていたハウザーが、フォークを取り落としてギルサンダーに叩かれていた。彼の顔は何故か赤い。確かに勘違いを招きかねない台詞だなと思って、アーサーはゴウセルに視線を戻した。

「……私と、殴り合いの喧嘩をしたい、と?」

「そうだ」

「ややこしいんだよ!」

 あっさり肯定したゴウセルに、ハウザーが叫んだ。当の本人はそれを気に留めた様子も無く、アーサーの答えを待っている。

「お断りします」

「何故だ」

 さらりと断ると、彼が納得行かないというように眉を寄せる。

「第一に、殴り合いの喧嘩をする理由がありません。第二に、私は貴方と喧嘩をすることがあっても、言葉で和解を試みたいと思っています」

「なるほど。お前の主張することは分かった。つまり、それ相応の理由があり、かつ、お前がその気になればいいということか。善処しよう」

 こちらの言い分に、彼は一人納得して踵を返した。そしてそのまま外に出て行ってしまう。

「なんだ、ありゃあ?」

「……また何かの本を読んだとしか思えませんね」

 呆れたようなハウザーの言葉に、苦笑いを漏らす。ゴウセルの出て行った扉を見ていたギルサンダーが、アーサーを見て言った。

「善処する、とか言っていましたけど、放って置いて大丈夫なのですか?」

「嫌な予感しかしませんが……。ゴウセルさんは、なんというか、暴風みたいな人なので」

「予測が出来ねえのか」

「はい」

 肩を落とすアーサーの背をハウザーが宥めるように叩く。

「お前、よくアレと友達やってられんな」

「悪い人では無いのですが……」

 そう言いながらも、胸中では胸騒ぎが止まらなかった。

 

 結論から言うと、その胸騒ぎは的中した。

 最初は小さな可愛らしい、けれど少し迷惑な悪戯であった。アーサーの衣服をあえて裏表逆さまにして畳んで置いておくとか、寝ているアーサーにフライングボディプレスをしてみたりだとか、まるで幼い子どもの戯れ合いのようなものだ。しかしそれは徐々に悪化していく。ある時はシーツの下に石を敷き詰め、ある時は大量の蛙を<豚の帽子>亭内に放ち大混乱を招き、ある時は調味料の塩と砂糖を入れ替え皆の食事を台無しにした。周囲をも巻き込む悪戯に、アーサーを始め他のメンバーも辟易しはじめていたある日のこと。

 アーサーが<豚の帽子>亭の外でエリザベスと話していると、ざぱっと音を立てて唐突に水が降って来た。避ける間もなくびしょ濡れになった二人は、お互いを見て瞬きをする。我に返ったのはアーサーの方が早かった。すぐに水の降って来た上空を見上げる。すると、予測通り、二階の窓からバケツを手にこちらを見下ろすゴウセルの姿があった。

「ゴウセルさん!」

「どうだ、怒ったか」

 もはや定番となった台詞を口にした彼に向けて叫ぶ。

「何度も怒っています!」

 するとゴウセルは二階の窓から身を躍らせて、地に降りたつ。そして自分を指差していった。

「なら、殴ってこい」

「んじゃ、殴るぞ」

 何かを言う前に、新たな声が加わり、その瞬間ゴウセルの体が玩具かなにかのように吹っ飛んだ。アーサーとエリザベスが、綺麗な弧を描き地面にバウンドする細い体を呆然と眺める。それから、自分達の隣に視線を戻した。

「ゴウセル。お前ちょっとは懲りろ。そんなに殴り合いたいなら、オレが付き合ってやるよ」

 そこには、腕を組むメリオダスの姿がある。彼は、飛んでいったゴウセルを呆れたような顔をして見ていた。

「エリザベス、アーサー。お前らは着替えてこい。こいつの相手はしててやるから」

「あ、ありがとうございます」

 追い払うように片手を振るメリオダスへ礼を告げて、二人は<豚の帽子>亭内に入った。それから、各自部屋で新しい服に着替える。再び一階に降りてくると、窓の外では派手な殴り合いが始まっていた。先程一階にいたメンバーは、それを観戦することにしたらしい。アーサーとエリザベスが降りて来た時には誰もいなかった。

「エリザベス殿。巻き込んでしまい、申し訳ございませんでした……」

「いいえ、そんな。アーサー様は悪くありません」

 首を振り答える彼女の優しさが温かい。だが、自分とゴウセルの問題に巻き込んでしまっているのは事実だ。なんとかしなければと思うのだが、上手い解決策は何も浮かんでこない。いっそ、望み通り殴り合えば良いのかもしれないとも思った。だが、ゴウセルが望むのはただの殴り合いではなく喧嘩だ。正直な所、アーサーには殴り合いの喧嘩というものが上手く想像出来なかった。お互いの譲れない主張というものが殴り合いに発展する程にぶつかるということがわからない。話し合いでどうにか出来ないのだろうか。

「最近のゴウセル様は、アーサー様に殴られたくてあんなことをなさっているのですか?」

「よくわからないのですが、私と殴り合いの喧嘩がしたいようで」

「喧嘩……ですか」

 エリザベスが少し考えるように視線を上に逸らす。暫くして、「もしかしたら」と言った。

「ゴウセル様は、アーサー様の気を引きたいだけではないでしょうか?」

「気を引く?」

「ええ」

 彼女は胸の前で両手を合わせ、ほんの少し恥ずかしげに目を伏せる。

「実は、私も幼い頃、悪戯をして皆を困らせたことがあるのです。父の気を引きたくて様々なことをしました……」

「エリザベス殿が?」

 驚きに瞬いてエリザベスを見ると、彼女は頬を染めて小さな声で「はい」と答えた。

「全く同じとは言いませんが、ゴウセル様もアーサー様に自分を見て欲しいだけなのかもしれません。喧嘩をしたいというのも、交流を深めたいということの裏返しではないでしょうか」

「でも、何故殴り合いである必要が……」

「それは、私にもわかりませんが」

 人差し指を口元に当てて考えるような仕草をするエリザベスを見て、少し視線を下げる。もし、彼女の言う通りなのであれば、やはり必要なことは殴り合いなどではなく話し合いだと思う。自分は彼ときちんと話し合うべきなのだ。少し見えた光明に、顔を上げる。

「ありがとうございます、エリザベス殿。一度、ゴウセルさんと話し合ってみます」

「はい、是非」

 アーサーの言葉を受けて、エリザベスが花のような笑顔を見せた。

 

「ゴウセルさん。とりあえず、その手に持った泥団子を置いて頂けますか?」

 雨上がりの柔らかな土の上に立ったアーサーは、近付く気配を察知して振り返り言った。少し離れた所に立って、今まさに泥団子を投擲しようとしていたゴウセルは首を傾げる。

「少し、お話しましょう」

「特に話すことはないぞ」

「私が、貴方と話をしたいのです」

 真摯に告げると、彼は泥団子を持つ手を下げた。だが手から離そうとしない様子に、苦笑いを浮かべる。

「ゴウセルさんは、どうしてこんな悪戯を繰り返すのですか?」

「お前と殴り合いの喧嘩がしたい、と言わなかったか」

 泥団子を持つ方と反対の手で、彼がアーサーを指差す。

「どうして、殴り合いの喧嘩がしたいのでしょう」

「言葉で伝わるものは少ない。らしい」

 要領を得ないゴウセルの答えに、少し挫けそうになる。しかし、話し合うと決めたのだから、ここで引き下がる訳にはいかない。

「言葉にしなければ、伝わらないこともあります」

 食って掛かるような一言に、しかし彼は平然と告げる。

「ナンセンスだな。お前が言わんとしていることでは、俺の求める答えに辿り着けない」

 その言葉を聞いて、アーサーは深いため息を吐いた。話し合い自体を拒否されてしまえば、打つ手は無い。

「……わかりました。ただ、これは私と貴方の問題である筈です。他の方を巻き込むようなことをするのは止めて下さい」

「無理だ」

「どうしてですか?」

「お前のみを対象とした場合、お前が怒る確立は低いと分かったからだ」

 ゴウセルは手に持った泥団子を地面に落とした。そしてアーサーを見て言う。

「話は終わりか?」

「……はい」

「そうか」

 そう言ってゴウセルは背を向けた。そのまますたすたと歩いて<豚の帽子>亭内に入ってしまう。その背を見送って、アーサーはため息をついた。言葉で和解を試みたい。そう言っていた自分を思い出す。だが、今は言葉などなんの意味も持ってくれない。ままならない現状に、胸が苦しくなった。

 

 あの話し合いから暫く、ゴウセルは何もしてこなかった。

 もしかしたら分かってもらえたのだろうか。そんな希望は、しかしあっさりと砕かれた。事態はアーサーが思うより深刻だったのだ。

 <豚の帽子>亭一階には、現在マーリンとアーサーの姿しかなかった。彼女と談笑していると、不意に嫌な予感に襲われる。次の瞬間、アーサーの体は勝手に動いた。マーリンの魂が宿ったアルダンをさっと胸元に庇うように引き寄せる。大きな破壊音がして、先程までアルダンがあった場所が砕かれた。

「……え」

 呆然とした声が出る。目の前には、斧があった。見覚えがある。薪を割る斧だ。そこまで考えて、その斧の持ち手の方を見た。そこにはゴウセルの姿がある。ゴウセルは真っ二つになったテーブルから斧を抜いて担ぎ直す。

「失敗した」

 何時もと変わらぬ声に、アーサーの背筋に冷や汗が流れる。アルダンを抱える手が震えた。自分が咄嗟に彼女を引き寄せていなければ、一体どうなっていたのか。

「ゴウセルさん。一体、何を」

 声を震わせながら尋ねると、ゴウセルは「ふむ」と言ってアーサーを、正確にはその手の中のアルダンを見た。

「ゴウセルさん!」

 震えの次に来たのは怒りだ。眉間に皺を寄せて彼の名を叫ぶと、ゴウセルは斧を持ったまま人差し指を立てて答えた。

「……人を怒らせるには、対象の大事なものを目の前で壊せば良い。失敗したがな」

 その言葉を聞いた瞬間、アーサーは制止出来ないほどの怒りに駆られる。冷静な思考は働かず、気付けばゴウセルの頬を拳で殴りつけていた。彼の体が力に逆らわず吹っ飛び、近くの椅子と共に倒れる。

「……っこれで、満足ですか!」

 そう叫ぶと、床に倒れたゴウセルが起き上がって言った。

「いいや。俺も殴る」

 ゴウセルがノーモーションで殴り掛かって来た。早すぎて見えない拳を頬に受けて、アーサーは数歩後ろに下がる。だがすぐに怒りに燃える瞳でゴウセルを射抜く。

「こっ、の!」

「来い」

「アーサー、落ち着け!」

「おいこら何やってんだ!」

 再度拳を突き出そうとする二人へ、マーリンと、物音に飛び込んできたハウザーの制止の声が掛かる。だがその声すら聞こえた様子の無い二人に、ハウザーと、共に顔を出したギルサンダーが、咄嗟にアーサーとゴウセルを後ろから羽交い締めにする。

「離して下さい!」

「離せ」

 暴れる二人をなんとか宥めようとするハウザーとギルサンダー。そこに、上階からメリオダスが降りて来た。

「二人とも、そこまでだ。これ以上やるなら、まとめて追い出すぞ」

 静かな怒りを孕んだメリオダスの威圧に、怒りに支配されていたアーサーが正気に戻る。

「あ……」

 呆然とした声が出る。その時初めて、片腕にアルダンを抱えたままでもあったことに気付いた。自分は、彼女を腕にしたまま殴り合いなどしようとしていたのか。そこまで冷静さを欠いていたことに衝撃を受ける。それと同時に、彼女が無事であった事に体から力が抜けるような安心感を覚えた。

「……ハウザーさん。もう、大丈夫です。離してください」

 自分を拘束するハウザーに向かって告げる。すると彼はゆっくりと腕を緩めた。自由になった手で、アーサーはアルダンを抱きこむ。

「ゴウセル。お前はオレの部屋に来い。マーリン、そっちは頼んだぞ」

「ああ。……アーサー。少し、外に出よう」

「……うん」

 マーリンの言葉に従うように、アーサーは俯きがちに<豚の帽子>亭の外に出た。

 

 現在、<豚の帽子>亭の傍には小川があった。アーサーはその傍まで歩いていくと、川辺に座る。きらきらと陽光を反射して輝く川の水が、とても眩しいものに思え、目を細めた。

「アーサー」

「……」

「殴られた所は大丈夫か?」

 彼女の言葉に何も言えずにいると、優しい声で心配をされた。酷く情けない気持ちに襲われて苦笑いを浮かべる。

「うん、大丈夫。マーリンは?」

「お前が庇ってくれたからな。問題は無い」

 その言葉にアーサーの胸は痛んだ。確かにマーリンを庇ったのは自分だ。だが、彼女を危険に晒すような要因を作ったのも自分である。あの時もっときちんと話し合えていたら。いっそのこと、自分の考えなど曲げてゴウセルの殴り合いに付き合ってやっていれば、マーリンを危険に晒すような事は無かっただろう。

「ごめん、マーリン。私のせいで」

「何故お前が謝る。見る限りあれが一方的にちょっかいを出して来ているようだが、それはお前のせいではあるまい」

 そう言われて言葉に詰まった。確かに、彼女に謝るべきはゴウセルなのだろう。だが、アーサーは自分に非が無いとは言い切れなかった。ゴウセルの行動はどれも子どもの、俗にいう悪ガキの悪戯のようなものばかりだった。だから、どこかで彼は、やってはいけない一線を超えないと思い込んでいたのだ。自分の常識を、ゴウセルに当てはめてしまった。それは酷い思い違いだ。

「もう少し、彼とはうまくやれていると思っていたんだ……」

 そんな自分の考えの甘さに泣きたくなる。するとマーリンがアーサーの肩に手を置いた。

「お前は、あの難物相手に上手くやっていると思うが?」

「そんなことない。私がもっとしっかりしていれば、彼が君に手を出そうなんて思う前に、どうにか出来た筈だよ」

 自嘲し、俯く。するとマーリンの手が顔を上げさせるように動いた。それを見て、俯いた顔を上げる。

「アーサー。そんなに思い詰めるな」

「だって! 君が、今度こそ、本当に居なくなってしまうかと思った……」

 両腕で自分の体を掻き抱くようにする。今更になって体が震えて来た。キャメロットにガランが来襲した時、石にされたマーリンの体が砕かれるのを見た。その時の心臓が凍り付くような恐怖が、再びアーサーを襲う。

 あの時、自分は守られるばかりだった。彼女の手によって安全な場所に隔離され、ただ皆が倒れていくのを目に焼き付けるばかりだったのだ。

 あんなに自分の弱さを悔いたことはない。

 あれほどの恐怖に襲われたこともなかった。

 そして、今また彼女を危険に晒した。自分が上手く立ち回れなかったせいで。

「……心配をかけてすまない」

「マーリンが謝ることなんてない! 私が……」

「アーサー」

 マーリンが言葉を遮るように名を呼んだ。

「お前は、優しいいい子だよ。ゴウセルと一番簡単に付き合うには、あれを天災か何かだと思えば良い。だが、お前はきちんと一人の人間として向き合おうとしている。だから、あれもお前に執着を見せるのかもしれんな」

「……」

 黙り込んだアーサーに向かって、マーリンは微笑んだ。

「私が知る限りでは、あれに友人というものが出来たことはない。というより、友人と言う概念自体がなかったと言った方が正しい。あいつはお前が提案した新たな関係性が気になって仕方が無いのであろうよ」

「そうだとしても、やっていいことと悪いことが」

「それを一から教えてやらねばならんのが、あいつの面倒な所だな」

 そう言うマーリンはどこか楽しそうだ。ゴウセルに殺されかけたというのに、なぜ彼を思って笑えるのかが分からない。

「なあ。アーサー」

「何?」

「良ければもう少し、ゴウセルに付き合ってやってはくれないか?」

 優しい瞳でこちらを見てくる彼女に、アーサーは少し黙ってからふいっと顔を背けた。

「これで断ったら、私が聞き分けの無い子どもみたいじゃないか」

 拗ねたような声が出る。

 彼女の願い事は、今の自分への贈り物のような気がした。

 だって、ここまでされても、ゴウセルを嫌ってしまうことが出来ないのだから。

 そんなアーサーを見て、マーリンが再び笑った。

 

 一方、<豚の帽子>亭二階では、ゴウセルとメリオダスが向き合っていた。

「ゴウセル。お前はアーサーと殺し合いでもしたかったのか?」

 扉を入った所に立つゴウセルに、ベッドに腰掛けたメリオダスが問いかける。すると彼は心底不思議そうな顔をした。

「殺し合い? そんなものに興味はない」

「なら、何故マーリンを狙った」

「アーサーが大事にしていたからだ。人は大事なものを壊されると怒りを覚える。オレが一時的に世話になっていた村の子どもは、よくそれで怒られていた」

 それを聞いて、メリオダスは内心舌打ちした。ゴウセルのこれまでの悪戯が妙に子どもじみていたのは、人間の模倣だったようだ。それはいいのだが、問題は彼の中で、大事なものと、大事な人の区別がついていないことだ。物が壊れることと、人が死ぬことの違いがわからないのだろう。

 彼は基本的な所で、生物の死というものを理解していない。単純に、存在する物がいずれ壊れることと同じように捕らえている節がある。

 しかし、これは他人が言葉であれこれと教えて理解出来るものではない。それこそ、長い時間をかけて、誰かとしっかり向き合うことにより、少しずつ学んでいくものだ。少なくとも、メリオダスはそうして来た。多数の人間とのふれあいの中で、人の感情というものを覚え、理解し、人を知った。今や遠い昔のことだ。自分はゴウセルより人の振りが上手かった。適切な距離を取りながら、人の輪に加わり、その中で毎日を送った。そんな自分に、大事な感情を教えてくれたのは「彼女」だ。

 そこまで考えて、ああそうかと思った。

 ゴウセルが執拗にアーサーを追いかけている様子が気にかかるのは、彼がどこか自分と似たような問題を抱えているからだ。そう思えば、自分がゴウセルに出来るアドバイスは一つだと思った。

「んで。どうだったんだ? 殴り合いの喧嘩をして」

 メリオダスが尋ねると、ゴウセルは何かを考えるように「ふむ」と呟いた。

「出来たんだろう? 怒ったアーサーに一発殴られて、殴り返したんじゃねえのか?」

「……そうだな。殴り合いの喧嘩は出来た。目標は達成したと言っていいだろう。しかし、アーサーのことや、友情というものを理解出来たかと言うと、さっぱりだな」

 眉間に皺を寄せるゴウセルを見て、笑う。

「ゴウセル。特別に一つアドバイスをやろう」

 人差し指を立てて見せ、言い聞かせるように伝える。

「対象に嫌われてしまえば、それ以降の接触は難しくなるぞ」

「……嫌われる?」

「ああ、そうだ。傍に行くと嫌悪の目を向けられ、話し掛けても無視される。何より、友達じゃなくなっちまうぜ? それは、お前にとって重要なことなんだろ?」

 その言葉に、ゴウセルは素直に頷いた。

「ああ。それは不本意だ」

「なら、自分でも何が悪かったのかを考えて、謝って、仲直りするんだな」

「……なるほど。了解した」

「そんじゃ、早速謝って来い。こういうのは早い方がいいぞ」

 そう言って、メリオダスは立ち上がり、ゴウセルの背を押す。彼は「いってくる」と言うと、部屋の外に出て行った。それを見送って、ため息を一つ吐く。

「……オレもヤキがまわったもんだ」

 後ろ頭を掻くメリオダスの声は、誰にも聞き取られることは無かった。

 

「私はそろそろ戻るが、お前はどうする?」

 隣に居るマーリンが尋ねて来た。それに少し笑って答える。

「うん。もう少し頭を冷やしてから戻るよ」

「そうか」

 そう言って彼女はゆっくりとその場から立ち去っていった。

 アーサーは目の前の小川をぼうっと眺める。

 暫くすると、誰かが近付いてくる気配がした。しかしそちらに視線を向けることはなく、ただ小川の流れを見つめる。

「アーサー」

 すぐ後ろで気配は止まった。名を呼ばれても、返事はしない。すると、声の主であるゴウセルはもう一歩踏み出すと、アーサーの隣に膝を抱えて座った。

「ごめんなさい」

「……何に対して、謝っているのですか」

 視線を向けることなく問う。その問いに、ゴウセルはアーサーの横顔を見て答えた。

「お前を怒らせたかったが、嫌われたかった訳ではない」

「悪いことをしたと思っているから、謝ったのではないのですか?」

 静かに問うと、ゴウセルはほんの少し間を置いてから淡々と言った。

「何故お前が自分の考えを曲げる程に怒ったのかを考えてみた。だが、よくわからない。団長は、マーリンを壊そうとしたからだと言う。しかし、この世に存在する物は、いつか壊れるだろう。それが現在か未来か、というだけの話ではないのか? 教えてくれ、友よ」

 ゴウセルの言葉に、アーサーは彼に友人になろうと言ったときのことを思い出す。分からないことがあれば、共に答えを考えようと口にしたのは自分だ。そっと視線を彼に向ける。ゴウセルは首を傾げて、濁りの無い真っ直ぐな瞳でアーサーのことを見ていた。

「ゴウセルさん。生き物は壊れるのではありません。死ぬのです。一度死ねば、元には戻らない。死体は土に還り、もう二度と会えない」

 ゆっくりと自分の考えを噛み砕くように話しながら、ふいに泣きたいような気持ちに襲われた。

「マーリンと二度と話せなくなる。会えなくなる。そんなこと、考えただけでも恐ろしい。私は彼女に助けてもらうばかりで、まだ何も返せていないのに」

 絞り出すような、悲痛さの滲む声で、続ける。

「確かに、不死でもない限り、彼女もいつかは死にます。けれど、私はまだ、彼女に生きていて欲しいのです」

 ほんの少し目を伏せて、自らの胸元をきつく握りしめた。

「けれど、この胸の痛みは私の中にあるもの。貴方に伝える言葉は見つかりません」

 そうだ、自分はこの痛みの三分の一も言葉にできない。この痛みの裏には彼女との思い出がある。嬉しいときも、悲しいときも、そっと傍で支えてくれたマーリン。どれほど尊く得難いものなのか、それはきっとアーサーであるからこそ理解出来るものだろう。

 ゴウセルとアーサーは違う存在だ。そうである以上、簡単に分かり合える筈は無いのだ。

「ゴウセルさん。私たちには、時間が必要なのだと思います。貴方が私の言葉を理解出来ないように、私も貴方について知らないことが沢山ある。それは、少しの話し合いで、ましてや殴り合いなんかで分かるものではない」

「ならば、いつ分かる?」

「そうやって、すぐ答えを求めるのは、貴方の癖なのかもしれませんね。けれど、それは私にもわかりません」

 そう言って、アーサーは再びゴウセルを見て微笑む。

「この世に生を受けて、色んなことを考え、様々な人に出会いました。けれど、分かったことより分からないことの方が多いのです。だから、貴方を知り、私を知ってもらうまでに、どのくらいの時間が掛かるのかは想像が出来ません」

 その言葉に、ゴウセルはアーサーから視線を外した。眉を寄せて難しい顔をしながら思う。

 彼の言わんとすることはよく理解出来ない。分かったことと言えば、マーリンが「死ぬ」ことを怖がっているということと、アーサーが何かを伝えようとしているということ、そして、それが自分には理解出来ないということだ。

 だが、どうやら「嫌われる」ことは回避出来たらしいと納得して、ゴウセルはもう一度、隣に座る少年を見た。

 アーサーは口元に笑みを浮かべたまま首を傾げてみせる。

「貴方と、私で、時間を掛けて理解していくことは出来ませんか?」

「……そうだな。では、それまでお前に嫌われないようにしよう」

 ゴウセルが右手をアーサーの頬に伸ばした。優しく撫でられて瞬くと、彼が再び口を開く。

「俺はお前を怖がらせたようだな。すまない」

 その言葉を聞いて、急に恥ずかしさに襲われた。ゴウセルの言っていることは間違っていない。しかし、こんな風に謝られるとは思わなかったのだ。泣く子どもを宥めているような彼の仕草は、妙に様になっていた。

「間違っていたか?」

「いいえ。その……。えっと、そうだ。そろそろ戻りましょう」

「何故そんなに慌てる?」

 慌てて立ち上がろうとすると、腕を掴み下に引かれてその場に留められる。ゴウセルが不思議そうにアーサーの名を呼んだ。

「頬が赤い」

「……子どものように扱われて、少し恥ずかしかっただけです」

 彼の疑問にそっぽを向いて答えると、ゴウセルは首を傾げる。

「お前の羞恥ポイントはよくわからないな」

「いいですよ、そんなことを理解しなくても……」

 長い息を吐いて今度こそ立ち上がる。そして座る彼に向けて手を差し出した。

「戻りましょう、ゴウセルさん。戻って、皆さんに謝りましょう。沢山迷惑をかけてごめんなさいって」

 差し出された手をゴウセルが握って立ち上がる。立ち上がった彼を見上げて、笑いかけた。

「それから、きちんと仲直り出来ましたって伝えましょう」

「ああ」

「そうだ。仲直りに当たって、一つだけ約束して下さい。他人の大切なものは壊さないって」

 空いた方の手の人差し指を立てて言うと、ゴウセルはじっとアーサーの目を見る。

「出来る限り、努力しよう」

 そう言って、彼は握った手に力を込め、<豚の帽子>亭に向けて歩み出した。

 

 皆への謝罪と仲直りの報告を告げたその夜、ゴウセルは眠るアーサーの隣で、今回の事件の発端となった本を開いた。真の友情というものが何であるのか、結局は分からずじまいだ。けれど、それ以外で得るものはあったと思う。やはり何事も実戦してみることが、理解への一番の近道なのであろう。

 本を閉じて、眠る少年の頬を撫でた。子ども扱いが恥ずかしいと言っていたことを思い出す。では、大人扱いとはどのような扱いなのであろう。

「ん……」

 アーサーが小さな吐息を漏らした。それを聞いて、頬を撫でる手を止める。彼の目は開かない。起こした訳ではないようだ。

 健やかな眠りの中にある友人の、薄く開いた柔らかな唇に口付けを落としてゴウセルは呟く。

「お前はいつか、愛も教えてくれるのか。友よ」

 その問いかけに対する答えは無かった。

 

2015/09/22

web拍手 by FC2

 Return