ひとときの交わり

 

 その古びた兜が目に入ったのは単なる偶然だった。

 

 ひとときの交わり

 

 王国誕生祭前日のこと。

 <豚の帽子>亭。その三階にある部屋のベッドの上で目を覚ましたバンは、ぼんやりとしたまま体を起こした。窓からは明るい日差しが差し込み、すでに日が高いことがわかる。同室のキングの姿は見当たらない。どこかに出掛けているのだろう。そこまで考えて、片手でがしがしと頭を掻きながら立ち上がった。眠りから醒めた体を解すように動かす。首を左右に倒したとき、それは目に入った。ベッドの傍に置かれた木製の棚。その上段に見覚えの無い兜が置かれていた。鉄製の丸い兜だ。随分古い品らしく、凹凸が目立っている。窓からの陽光を受けて鈍く光っていた。

「何だァ」

 それは何処からどう見てもガラクタの類いだ。大切そうに棚に置かれている理由がわからない。だが、不思議なことに、バンはそれをどこかで見たような気がしていた。何処で見たかは思い出せない。だが、気に留めるには十分な理由だった。

 バンは棚に近付くと、兜を手に取る。随分古いデザインの、しかし何の変哲も無いそれを、しげしげと眺めた。戯れに光に翳して中を覗き込むようにする。その時、唐突に声がした。

「あまりベタベタ触んないで欲しいだにィ」

 若い、男の声だ。バンは反射的に辺りを窺った。しかし、傍に人の気配はない。

「……誰だ?」

 それでも確かに聞こえた声に、警戒を滲ませる。だが、それに対する返事は無かった。一体何処から、誰の声が聞こえたというのだろう。バンは数秒を思案に要した。そういえば、先程の声は鉄の兜を掲げた時に聞こえなかったか。いつもと変わらない部屋で、いつもと違うものはその兜だけだ。そう思って、もう一度手に持つ兜に視線を落とした。それを持ち上げて、内側を覗き込む。

「名前を聞きたいなら、そっちから名乗るべきだと思うぜ?」

 揶揄うような調子の声に、バンは眉を潜めた。

「バン」

 端的に名前だけ告げると、ほうっと感心したような声が上がる。それから、声は「そっかそっか、チミがバンね~。手配書と違ってさっぱりしてるじゃないの」と楽しそうに言った。まるでこの兜が喋っているようだ。そんなことを考えていると、また声がした。

「ヘルブラムさ。姿が見たいなら、その兜を被ってみると良い」

 促されて、バンは手に持った兜を頭に乗せた。すると、半ばまで覆われた視界に、一人の少年の姿が見えた。奇妙な緑の上着を着た彼は、若草を思わせる髪の色をしている。つり目がちな目は琥珀色。何より特徴的なのは、その背に生える透き通った羽だ。その羽の輝きと名前に、覚えはあった。ヘルブラムといえば、ヘンドリクセン一派の名だ。バイゼルでちらりと見かけた時の姿とは異なっているが、リオネスでキングと戦っていたのは間違いなくこいつだった。

「亡霊か」

「ま、そんなとこ。今は魂って形でこの兜に宿ってるのさ」

 肩をすくめる様子からは、この世への未練など感じさせない。何故こんな兜を依り代にしてまでこの世に留まっているのか。感じた疑問を、相手はすぐに察知したようだった。小首を傾げて逆に問いかけてくる。

「何が未練だと思う?」

「そんなこと、俺が知るわきゃねえだろ」

「考えることさえしなかったねぇ」

 ヘルブラムは楽しそうに笑った。バンには何がおかしいのかわからなかったが、その笑いが収まるのを待つ。ひとしきり笑った彼は、胸の前で腕を組んで言った。

「親友の妹君に頼まれて、ね」

 親友。その言葉に、バンはリオネスでの戦いを思い出す。その戦いのさなか、キングは確かに彼を親友と言った。では、その妹というのは。

「エレインか」

「おや、目付きが変わったにィ」

 にやりと口元に笑みを浮かべるヘルブラムを見る。彼がキングの親友だというのなら、その妹であるエレインと面識があるのは当然のことだ。

「アイツは、何か……」

「残念ながら、チミへの伝言は受け取ってない」

 途中で途切れた呟きを受け取って、ヘルブラムが言う。それを受けて、口元に笑みを刷いた。彼女と交わすべき言葉は、死者の都にてすでに交わしている。伝言がないということは、つまり何の問題も無いということだ。

「伝言が無くて寂しいかい?」

「いや、安心した」

「おや、意外だねぇ。チミとエレインの絆は、思うより強いらしい」

 感心した、といった様子で頷く彼をよそに、バンは淡々と尋ねる。

「それで。お前の事はキングに伝えれば良いのか?」

「その必要はないさ。あの泣き虫君は、俺っちの姿を見たら泣いてしまうだろうからねぇ。ま、アイツが自分で気付くまでは黙っててよ」

 困ったような、しかし嬉しそうな笑みを浮かべるヘルブラム。その表情は、とても優しいものだ。こんな顔をする男だったのか、と思った。

 バンがヘルブラムをきちんと認識したのは、彼がキングと戦っていたときだ。お互いにぼろぼろになりながら、決定打のない攻防を続ける姿に石を投げた。そのときは、道に置かれていた障害物を退ける位の気持ちでしかなかった。必要な選択肢を実行しただけだ。だが、その後ヘルブラムが言った言葉だけがやけに耳に残ったのを覚えている。

『チミになら何度殺されてもいい』

 そんな言葉を親友に向かって言ったその心境は、どんなものであったのだろうと思ったからだ。

 目の前の少年の姿を見た。彼が何度も死を経験したというその詳しい事情は知らない。ヘルブラムからはそんな悲壮感など感じられなかった。ただ、穏やかにそこにある。バンは、その強さを好ましいと思った。その気持ちを表に出すことはせず、尋ねる。

「で。キングへの言伝って訳でもないなら、なんで俺に声を掛けた」

「独り言だよ。チミに声が聞こえるだなんて、思わなかったからね」

 そう言って、彼は両手を肩の高さに上げる。戯けた様子に、「そうか、ならいい」とだけ返して兜を脱ごうとした。もう用は済んだと思ったからだ。

「ああ、ちょっと待つにィ!」

 それを止めたのはヘルブラムの声だ。兜に手をかけたまま彼を見ると、ほんの少し照れくさそうな表情を見せる。

「あー。その。出来れば、でいいんだけどさ」

「なんだよ」

「アイツ……、キングと、仲良くしてやってくれよ」

 彼は、照れくさそうに笑みを浮かべる。柔らかい日差しのような笑顔だと思った。

「アイツは仲間だ」

「十分さ」

 満足そうなヘルブラムの声を聞き終わってから、バンは兜を脱いだ。両手に持ったそれを暫く見つめてから、ゆっくりと元あった場所に戻す。その時、コンコンと扉を叩く音がした。

「バン。起きてるか」

 聞こえたメリオダスの声に、返事をする。

「起きてるぜ」

「ちょっと下、手伝ってくれ」

 扉を開けて顔を見せたメリオダスが、部屋の中を見渡して尋ねた。

「誰か居なかったか?」

 その問いかけに、棚に兜を置いたバンは、ほんの少し間を置いてから一言「いいや」と告げる。すると相手は、ほんの少し首を傾げた。

「なーんか、嬉しそうじゃねえ?」

「気のせいだろ、団ちょ」

 告げて、メリオダスの方に向かって歩く。

 部屋を出る間際、ほんの少しだけ振り向いた。窓から差し込む日差しの中で、微笑むヘルブラムの姿が見えた気がして、バンは笑んだ。

 もう少し、アイツの存在は、自分だけのものにしていて良いのかもしれないと。

 

2015/09/13

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