「それは重くないのか?」
「不思議とそれ程重さは感じませんね」
頭の上に陣取った猫に似た謎の生命体を指差して言ったゴウセルの言葉に、アーサーはほんの少し首を傾げて答えた。どうやらゴウセルは、この謎の生命体に興味があるらしい。撫でたり、抓ったり、引っ張ってみたりと、様々なアクションを起こしている。だが、謎の生命体は一向にアーサーの頭の上から動かない。
「ちょっ、ゴウセルさん!?」
ゴウセルが翳した手に魔力が宿ったのを感じて、アーサーが非難の声を上げる。
「なんだ」
「どうして攻撃しようとしているのですが!」
「謎の生命体の危機管理能力に興味がある」
「物騒なことはしないでください!」
叫ぶアーサーの頭の上の生命体は、そんな二人の挙動を気にした様子もなく、その鼻先をアーサーの金髪に埋める。そこですんすんと鼻を動かす謎の生命体を見て、ゴウセルが人差し指を顎に当てて首を傾げた。
「何か匂うのか?」
「さあ……」
アーサーは地肌にかかる暖かな息を、こそばゆいと思う。
そんなアーサーに向けて、ゴウセルが一歩踏み出した。そしてアーサーの両肩に手を置くと、顔を近づける。
「え、あの、ゴウセル、さん?」
耳の裏側に鼻先を埋められて、戸惑いの声を上げる。それを気にした様子もなく、ゴウセルはすんっと鼻を鳴らした。
「石鹸と汗の香り。特に異常なものは感じないな」
「えっと、その。わっ!」
不意に耳の裏側に暖かくて柔らかなものが触れて、アーサーは思わず両手で彼を押し返した。間違いない、今のは、舌だ。
「どうした?」
「ど、どうしたって!」
耳元を抑えて顔を赤くするアーサーを見て、ゴウセルが問う。
「心拍数が上がっているぞ」
「あ、貴方がっ」
「こーら、ゴウセル。その辺にしとけ」
ごんっとゴウセルの頭に手刀を落としたのはメリオダスだ。彼はゴウセルの後ろに着地すると、そこから顔を覗かせてアーサーを見る。
「わりぃな、うちのが迷惑を掛けた」
「俺は何も迷惑をかけていないぞ?」
首をかしげるゴウセルに、メリオダスは子どもに対するように人差し指を立てて答える。
「いいか、恋人でもない相手の耳元を舐めてはいけません」
「何故だ?」
「なんでもだよ」
そう言ってメリオダスはゴウセルの背中を叩く。
「そうか。ならば、アーサー。恋人になってくれ」
「は!?」
「ああ、成る程。こう言えばそう言うのか」
驚きの声を上げるアーサーと、興味深そうに言うメリオダス。そんな彼の肩を掴んで、アーサーは焦った様子で問いかけた。
「何故そんなに落ち着いているのですか!」
「ゴウセルのこれは不治の病みたいなもんだ」
「どこか悪いのですか?」
「いや?」
なんでもない顔で首を振ると、メリオダスはゴウセルを見た。
「ゴウセルは、アーサーを愛してるのか?」
「俺には愛がわからない」
「懲りてねえな。なら恋人は諦めろ」
「……理解出来ない。何故愛を語らわねば恋人になれない」
首を傾げるゴウセルに、メリオダスは視線をアーサーに戻した。
「ま、こんな感じの知識欲の塊みたいな奴だ。気になることは実践して得ようとする」
「はぁ。なんとなく理解しました」
安心したように息を吐くと、ゴウセルが言う。
「恋人は駄目らしい」
「そうですね。……では、こうしましょう。よろしければ、私の友人になってください」
「ゆうじん」
そう言って目を丸くするゴウセルに、アーサーは笑う。
「はい、お友だちです」
「とも、か」
「貴方が不思議に思うことを、私も一緒に考えます。手助けが必要なら手を貸しましょう。如何ですか?」
首を傾げると、ゴウセルが真似をして同じように首を傾げる。
「そうだな。よろしく頼む、友よ」
「はい。お任せを」
そう言って顔を見合わせる二人を、メリオダスが頭を掻きながら見ていた。
それから、ゴウセルは何かにつけてアーサーの後をついて回るようになった。鍛錬するアーサーの真似をして剣をふりまわしてみたり、休憩するときは必ずアーサーの隣に座ったり、アーサーが食事をするときはその光景をじっと見つめたり。アーサーは最初こそ少し戸惑っていたものの、数日すると慣れた様子でゴウセルに相対していた。
「あれは、猫ちゃんに興味があるっていうより、王様個人に興味があるみたいね」
頬に手を当ててしみじみと呟くスレイダーの視線の先では、座って本を開くアーサーの姿がある。その背には、ゴウセルが覆い被さるように体を密着させて肩口から本を覗いている。傍目には、友人というにはちょっとおかしい距離感に映るが、本人達はその枠から外れている意識はないらしい。
「我が王の魅力は人外にも通じるらしいな」
楽しそうに笑ったのはマーリンだ。何かを含んだ視線を隣に居るメリオダスに向けると、それに気付いた彼が言う。
「まあ、色んなやつに通じる魅力があるってのは、王様としていいことなんじゃねえの?」
さして興味もなさそうなメリオダスの言葉を聞いて、マーリンは視線をアーサー達に向けた。二人と一匹は本を見ながらなにやら会話をしている。何を話しているのかはよく聞こえないが、不意にアーサーが笑った。年相応に幼い笑顔に、ゴウセルが首を傾げているのがわかる。
「まあ、私としては、可愛いコたちが戯れているのを見てると癒されるから、いいんだけど」
「だからなんでそこでオレを見るんだよ」
スレイダーの視線を受けて、メリオダスが首を傾げる。そんな彼に、「まあいいわ」と言って、スレイダーは二人と一匹に向かって歩いていく。仲間に入れてもらうことにしたらしい。
「団長殿も混ぜてもらったらどうだ?」
「何でだよ?」
笑みながらのマーリンの言葉に、メリオダスはため息を吐く。
その視線の先では、二人と一匹に合流したスレイダーが、背後からゴウセルごとアーサーを抱きしめて驚かれていた。
「俺も頭に乗ってみたい」
唐突なゴウセルの言葉に、アーサーは瞬きをした。それから、自分の頭上にいる謎の生命体のことを思い出す。頭上になにか意味があると思ったのだろうか。そう思って、苦笑いを浮かべた。
「それは、物理的に無理じゃないでしょうか?」
「そうか。残念だな」
何かを考え込むように口元に手を当てる彼を見て、笑う。
「頭の上に乗せて差し上げることはできませんけど、抱き上げる位なら出来ますよ」
「抱き上げる」
「はい。ゴウセルさんくらいの体格なら大丈夫かと」
その言葉に、ゴウセルはまた何かを考えるような仕草をする。それを見て、流石に自分の提案が唐突過ぎたと思ったアーサーが付け加えた。
「頭の上と、腕の上じゃまた違うかもしれませんが、参考程度にはなるかなと」
「なるほど。そうだな、宜しく頼む」
「はい。では失礼します」
そう言って、アーサーが少し屈んでゴウセルの腰と尻の下に手を回した。自分の体に相手の体重を乗せるようにする。
「よっ、と」
かけ声と共に持ち上げた。羽のように軽い、とはいかないが、ゴウセルの体を抱き上げることに成功する。彼は自らバランスを取るようにアーサーの頭に手を回した。頭上にいる生命体が迷惑そうな顔をする。
「意外と力があるな。アーサー」
「あはは。ありがとうございます」
ゴウセルは何時もよりほんの少し高くなった目線で辺りを見回した。それから、アーサーを見下ろす。その視線に気付いて彼を見上げた。
「どうですか?」
「少し目線が高くなったのと、この謎の生命体が不服そうな位だな」
「そうですか。下りますか?」
「ああ」
その言葉にゴウセルの体を地に下ろす。足をついたゴウセルは、アーサーの頭から手を離すと言った。
「次は俺がお前を抱こう」
「は? いえ、私は」
「遠慮することはないぞ、友よ」
どこか芝居がかった台詞を口にした彼が、アーサーの脇の下に手を回す。もう片方の手を膝の裏に回して、あっさりとその体を持ち上げた。
「わ!」
浮かんだ体に驚いた声を出す。まさか横抱きにされるとは思わず、なんとなく悔しくなった。
「ゴウセルさん、意外と力がありますね」
「俺は力持ちだからな」
「そうは見えませんが」
「そうか」
その返事を後に黙ったゴウセルを見上げる。彼はじっとアーサーを見ていた。
「あの……」
「どうした」
「下ろしてもらえますか?」
「何故だ」
何故、と言われて答えに窮した。何故も何も、抱き上げたら下ろすのが普通だろうに。戸惑っていると、そんな二人を呼ぶ声が聞こえた。ゴウセルが声の方を見て、「呼ばれている」と呟く。そして、あろうことかアーサーを抱き上げたまま歩き出した。
「え? あの、ゴウセルさん! ちょっと待って」
「何故だ、呼ばれているぞ」
「いえ、わかってます。歩けますから下ろしてください!」
流石に横抱きにされたまま皆の前に連れて行かれるのは恥ずかしい。顔を赤くしたアーサーに、彼はその歩みは止めないまま視線を合わせる。
「もう着く」
「そうじゃなくて!」
そうやって戯れているうちに、二人と一匹は<豚の帽子>亭の前に辿り着いた。二人を呼んでいたメリオダスが、その姿を前に目を瞬かせる。
「こりゃまた、随分仲良しだな」
「友人だからな」
何故か胸を張って答えるゴウセル。アーサーは消えたい思いで両手で顔を覆った。
「あら可愛らしい」
メリオダスの後ろから出て来たスレイダーが、楽しそうな声を上げる。
「お願いしますから下ろしてください……」
消え入りそうな声で言ったアーサーの言葉を、ゴウセルはようやく聞き入れて地に下ろした。
<豚の帽子>亭は、現在収容人数の限界を超えたため、各自の部屋と言う概念がなくなっていた。皆その日の気分で好きな所で眠る。彼の居住する四階は他の部屋より狭かったので、必然的に一人部屋になっていた。そんなある日、ゴウセルがアーサーの服の裾を引っ張って言った。
「友と語り明かしながら眠るという状況を体験してみたい」
そう言われれば断る理由も無い。快諾したアーサーは、その日から四階で眠るようになった。とはいえ、ゴウセルには基本的に眠るという概念が無い。狭い上に本の溢れる室内に布団を敷き、横になったアーサーの隣に彼が座り、本を語り読む。そんな光景が当たり前となっていたある日のこと。
「今日は、どんなお話を語って下さるのですか?」
布団に包まったアーサーの言葉に、ゴウセルはふむ、と思案する。
「そうだな。では、今日はこれにしよう」
そう言って本棚から一冊の本を取り出した。タイトルは「La Belle et la Bête」。一目見て異国の本だとわかった。
「ゴウセルさんは、語学に明るいのですね」
「言葉は読み聞きしているうちに覚える」
「素敵な才能です」
笑うと、ゴウセルが瞳を瞬かせる。彼は暫くアーサーを見ていた。不思議に思って声を掛けると、すぐに本に視線を戻す。
そうして、彼は本の朗読を始める。
ある屋敷に迷い込んだ商人が、その屋敷の庭に咲いていた薔薇を摘んでしまう。怒った主人である野獣に捕らえられて、身代わりとして娘を要求される。それに従い、末の娘が屋敷にやって来た。ほどなくして野獣は末娘に求婚をするが断られる。ある日、末娘は父親が重い病気に掛かっていることを知り、一時帰省を願い出る。一週間で戻ること。そう言いつけて、野獣は願いを叶えた。だが、末娘は一週間で戻ってこなかった。悲しみに暮れた野獣は物を食べずに死ぬ覚悟をする。そして十日目の夜、末娘は戻って来た。その時には野獣は虫の息であったが、末娘からの愛の言葉で人間の姿を取り戻し、幸せに暮らしたという。
読み終えたゴウセルは本を閉じる。そして隣を見ると、アーサーが静かに笑っていた。
「ゴウセルさんは、本当に本が好きなのですね」
「好き、か」
ゴウセルは手に持った本に視線を落として呟く。
「確かに、そうかもしれない。本には俺の知らない様々なことが書いてある。人間というものを学ぶのにとても役に立つな」
「そうですね。……私も、好きですよ」
優しい声に、ゴウセルは柔らかに笑むアーサーを見た。その滑らかな頬に手を伸ばして、撫でる。するとくすぐったそうに笑った。それを見て、ゴウセルはその手をアーサーの顔の横につくと、身を屈める。あっという間に互いの唇が重なって、離れた。至近距離でじっと見つめられて、アーサーの頬が朱に染まる。
「ちょ、ゴウセルさん!」
「何だ」
「そういうことは、好きな人にやることですって言いましたよね!?」
「そうか。そうだったな」
そう言いながら、ゴウセルは空いた手でアーサーの頬を撫でる。
「アーサー。愛とは何だ」
唐突な問いに、言葉に詰まった。
「え? あの、それは」
「言葉一つで人の人生を変えるものに、俺は興味がある」
真っ直ぐな瞳に見据えられる。少し考えて、眉を下げた。
「それは……私にも、まだ、わかりません」
「わからないのに、何故、愛が必要だと口にする」
「……。では、ゴウセルさんはどうしたいと?」
問いかけに、ゴウセルはほんの少し黙った。そんな彼に、アーサーは言葉を続ける。
「貴方が愛を知りたいことはよく分かりました。けれど、私に口付けて何か理解出来ましたか? 出来なかったのなら、この行為から何も得る物はありません。違いますか?」
「……なるほど。違わないな」
呟いて、ゴウセルは体を起こした。それから、アーサーに背を向けて膝を抱え込む。そんな彼を見て、なんだか子どもを虐めてしまったような気分になって、体を起こしてうなだれる頭を撫でた。
「最初に言いましたよね。分からないことは、共に考えていきましょう。私たちは友人なのですから」
その言葉に、ゴウセルが顔を上げた。振り返ると、アーサーを見る。
「アーサー」
「はい、なんでしょう」
「抱きしめてみたい」
「どうぞ?」
仕方無いと笑って、アーサーが腕を広げる。しなだれかかるように彼が体を寄せた。それを両腕で包んでやると、ゴウセルも同じようにアーサーの背に手を回す。胸元に耳を寄せた彼が言った。
「心臓の音がするな」
「ええ」
「不思議な気分だ」
ゴウセルが目を伏せる。
「だが、悪くない」
甘えるように額を擦り付ける仕草に、本当に子どもみたいだとアーサーは笑った。