無骨な鎧に包まれた指先が優しく野兎の背を撫でた。野兎は逃げることなく彼の隣に座りそれを受け入れる。どこか心温まる光景を見て、思わず何故、と思った。その指先は破壊しかもたらさぬ筈だ。恐怖しか生み出さぬ筈だ。そんな優しげに動く所など見たくはないのに。幼き王はその場から動けなかった。
何故、と問うたのは先日見逃した小童だ。菫色の瞳は戸惑うように揺れている。その言葉を発したことすら気付かぬ様子で茂みの奥に立ち尽くしていた。
「何故と言ったか」
声を発すると小童の体がびくりと揺れる。瞬時にその瞳に浮かんだのは、僅かな恐れとそれ以上の怒り。
「都合が悪いか?」
そう嗤った。
問われてその意味を理解するのには時間を要した。都合が悪いと言われればそうなのだろう。冷酷無比な殺人鬼であると思い込んでいた。実際ガランの齎した被害は甚大だ。蟻でも踏み潰すような純粋な暴力。それはアーサー達と自国に深い傷を残した。そんな相手に優しさがあるなど認めては都合が悪いのだ。
幼い魂が悲鳴をあげるのを見た。純粋なばかりかと思っていた瞳に暗い闇が宿る。これは面白いと立ち上がり一歩近寄れば、相手は一歩下がる。敵わぬとわかるのだろう。今は小童と儂を隔てる守護の壁は無い。自分の機嫌を損ねればその時点で終わりだ。さて、こやつはどうするか。
鼓動が早い。自分は今まさに命の危機に立たされている。だというのに、ガランの見せた優しさだけが心を占めた。
「どうして、その優しさを人に向けられないのですか」
落ち着いた声に相手が首を傾げる。
「何かを殺さずに生きる命などあるまい」
それはごく当たり前の言葉で、アーサーは黙した。
黙り込んだ小童の瞳は凪いでいた。諦めたのか、面白くない。次の一歩で距離を詰め、その白い首を掴んだ。握り潰せば終わりだ。
「そうですね。殺した方がいい」
落ち着いた声が続ける。
「生かせば、己を倒す者となるのですから」と。
堪えきれず声を出して笑った。安い挑発だ。だがその瞳はどうだ。
ガランが笑う。声を上げて。それをただ見据えた。安い挑発だと解ってはいる。それでもこれは本心だ。ひとしきり笑った相手の手が自らの首から離れる。
「次は無いぞ、小童」
そう言って、ガランは姿を消した。音もなく。その姿が見えなくなってなお、立ち尽くす。愉しそうな笑い声がやけに耳に残った。