冷えた空気。薄闇の朝。起床することが、ほんの少し手強くなる、季節の訪れ。
温かな布団の中で、意識の半分を眠らせた状態のまま、アーサーは緩く寝返りを打とうとした。ところがどうだろう、上手く体を動かすことが出来ない。重い瞼を何度か瞬きで動かし、ぼんやりとしていた焦点を合わせる。すると、自分の顔と、折り曲げた右腕の間にすっぽりと収まっているキャスの姿が見えた。小さな二つの瞳と視線を合わせると、キャスは鼻をヒクヒクと動かし、頬にすり寄せてくる。
「ん。……おはよ、キャス」
「キャス!」
返事のつもりか、名前の由来でもあるクシャミのような鳴き声で答えてきた。それを、素直に愛らしいと思う。その毛並みを撫でてやろうと左腕を上げる。すると、自分の胴に何かが巻き付いていることに気付いた。枕に沈んだ右頬を浮かせて、首をひねり背中の方へ視線を動かす。するとそこには、瞳を閉じた少女の姿があった。一瞬ぎょっとして固まってしまう。
「えっ?」
体に巻き付いているのは彼女の細い腕だった。混乱のあまり、うろたえた声が出る。すると少女がゆっくり目を開いた。
「朝か」
思ったよりも低い、聞き覚えがある声。そこでようやく、自らが随分寝ぼけているのだという結論に至った。
「……はい。おはようございます、ゴウセルさん」
「おはよう、アーサー」
抑揚のない声で、彼は答える。琥珀色の大きな瞳が、無感情にじっとアーサーを見つめていた。
「あの、どうして私に抱きついて……?」
「人は身を寄せ合って寒さに耐えるのではないのか?」
「まだ凍えるほどの季節じゃないと思うかな」
そう答えて、自分の間抜けな発言に気付き、心の中で「そうじゃない」と突っ込みを入れる。どうやら、体はまだ眠りを欲しているらしい。上手く頭が回らない。ぽすりと、音を立てて枕に顔を戻すと、キャスが再び先ほどのポジションに収まった。ふわふわの毛並みが温かい。意識がゆるゆると、覚醒と眠りの狭間を彷徨う。
今日は、何かすることがあった気がする。なんだっけ。布団、あったかいなあ。
眠りに傾き始めた意識は同じ場所に留まらず、まったく別のことに向いた。ゴウセルの行動について問うことは、完全に外に追いやられてしまう。
思考を溶かす眠気に、アーサーは再び身を任せてしまった。
「アーサー。起きないのか」
ゴウセルは、黙ったまま動かない相手に淡々と声を掛ける。すると、「うん」と返事がした。会話は可能と判断し、続ける。
「今日は近隣の村で開催される朝市へ、食材の調達に行かなければならないのではなかったか」
「……ふに」
「ふに? なんだそれは?」
「……」
問い返すが、答えは得られなかった。アーサーは背を向けていて顔が確認できない。そのため、得られる情報量が圧倒的に少ないのだと気付いて、彼の体に回した腕を解いて起き上がった。顔を覗き込んでみると、少年は瞳を閉じている。ゴウセルが起き上がったときに出来た隙間に入り込んできた、朝の冷たい空気のせいだろうか。ほんの少し身震いした後、薄く目が開く。
「起きた」
「さむい」
「……か?」
ぼそっと呟いた相手は、ゴウセルの首に片手を回してそのまま引き寄せた。特に抵抗もしなかった為、その体はアーサーの上に倒れる。胸元から見上げると、柔らかく頭を撫でられた。
「ん。いい、子」
すでに夢うつつの、優しい声に、ゆったりとした規則正しい呼吸。
再び眠りにつこうとするアーサーを、このまま放っておくのは恐らく不味いだろう。朝市への買い出しはメリオダスから頼まれた仕事だ。これを二度寝ですっぽかしたとあれば、二人まとめて怒られるのは確実。
「ふむ」
思案しながら視線を少し下げると、肩のあたりにいる丸い生物と目が合った。じっと、たっぷり五秒間見つめあった後、キャスはふいと視線を反らして目を閉じる。どうやらコレも眠りなおすらしい。
「アーサー」
一度、名を呼んでみる。しかし返事はない。彼の温かな手はゴウセルの頭に乗せられたままで。
アーサーを起こすことは出来る。一人だけ起きて、仕事をこなすことも出来る。
しかし、ゴウセルはそのどちらも選択をしなかった。
彼の胸に耳を当てて、その鼓動を数える。そして、ゆっくりと、一人と一匹に倣って目を閉じた。
END
*おまけ*
「……こりゃまた仲のいいことで。ゴウセル、寝たふりはまだ続けるのか?」
「ああ」
「お前らに買い出し頼んでいた気がするんだが」
「覚えている」
「じゃあ何してるんだ?」
「人は身を寄せ合って寒さに耐えるのだと書いてあった」
「そんで?」
「寒い、と言われたのでな」