アーサーは、生まれてこの方、眠れぬと悩んだことはなかった。
どんな時でも眠らなければならない時は眠れたし、眠ることによって切り替えが出来ていたように思う。しかし、メリオダス達と共にキャメロットを出てからは、上手く眠れぬ日々が続いていた。なかなか寝付けず、眠りも浅い。その為にぼんやりとすることが多かった。それを表には出さないように気をつけてはいたが、きっとマーリンには見抜かれているだろう。
ため息を零して起き上がると、割り当てられた部屋を抜け出した。少し外の空気を吸って来よう。そう思って、ゆっくりと音を立てないように階段を降りていく。一階に辿り着くと、驚くことにキッチンに灯りがついていた。もう真夜中だというのに、一体誰が居るのだろう。そっと覗いてみると、メリオダスの後ろ姿が見えた。彼は、すぐにこちらに気付いて振り返る。
「アーサー? なんだ、お前も眠れないのか?」
お前も、ということは、彼も眠れずにここに居るのだろうか。そう思って、尋ねる。
「はい。……メリオダス殿も?」
「ああ。丁度いい所に来たな。ついでにお前の分も作ってやる」
そう言って、メリオダスが小鍋を手に取る。見るとかまどには火がついていた。
「こんな時間に、何を作るのですか?」
「ホットミルク」
それだけ言って、彼はミルクを入れた鍋を火にかけた。煮立つまでの間に、カップを二つと蜂蜜の入った小瓶を用意する。黄金色の液体が入った瓶を不思議に思って見ていると、メリオダスが瓶の蓋を指先で叩いて言った。
「ちょいと入れると美味いんだ」
そうしているうちに温まったミルクをカップに注ぐ。そこに蜂蜜を落として混ぜた。出来上がったホットミルクのカップを、アーサーに向けて差し出す。
「ほれ、お前の」
「ありがとうございます」
受け取って、一口飲む。まろやかで優しい甘みが口内に広がった。温かくて、ほっとする。
「どうだ?」
「美味しいです」
素直な感想を告げると、彼が穏やかな笑みを浮かべた。
「そりゃ、良かった。昔ならこういう夜は一杯やっていたんだけどな。マーリンに癖になるから止めておけって言われたんだ。酒を飲まないと眠れないようになるぞ、ってな。これはその時教えてもらった」
「マーリンが……」
その言葉を、少し意外に思う。
かつてのアーサーにとって、メリオダスという存在は純粋な憧れだった。マーリンから聞いた<七つの大罪>の団長は、強く賢く、冒険物語の主人公のような人だ。そして、そんな人物ならば是非会ってみたいと思っていた。勿論、今でもその人物像は大きく変容はしていない。しかし、考えてみれば当たり前のことなのだが、彼にも色々な側面があるのだ。眠れない夜があって、そんな夜に仲間から声を掛けられた経験がある。そんなことを、ここに来て初めて知った。アーサーは、自分が思っている以上この人のことを知らないのだと気付く。
「メリオダス殿にも、眠れぬ夜があるのですね」
「まあな。生きてりゃ色々あるさ」
そう言ってカップを傾けるメリオダスを見て、なんだか妙にほっとする。こんなに凄い人でも、ままならない夜はあるのだ。遥か高みで輝いていた人が、自分と変わらぬ悩みを抱えている。アーサーは、安心したように笑った。
そうして二人は、カップの中のミルクが無くなるまでの少しの間、キッチンで温かな時間を過ごす。
「ごちそうさまでした」
「おう」
ミルクを飲み終わったアーサーに、メリオダスが手を差し出す。その手にカップを渡すと、彼は自分のカップと一緒に流し台に置いた。
「片付けとくから、体が温まっているうちに布団に入れよ」
「あ、私も手伝います」
「すぐ終わるからいいって」
申し出を断られて、少し迷ったがメリオダスの言葉に従うことにした。「おやすみなさい」と口にすると、「おやすみ」と短く言葉が返ってくる。キッチンから出ようと彼に背を向けると、もう一度声が掛かった。
「眠れるといいな」
その言葉は、優しく響く。
自分を思って告げられたであろう言葉に、自然と笑みが浮かび、体だけでなく心まで温かくなったように感じる。
「メリオダス殿も、眠れますように」
振り向き、片付けをする彼の背に声を掛けるとキッチンを出た。
心配するでもなく、命令するでもない。寄り添うようなメリオダスの言葉を、嬉しく感じながら。
なんとなく、今日はよく眠れそうだと思った。