「一杯付き合わないか」
そう言って誘って来たのはマーリンの方だ。果実酒の瓶を一本携えて、<豚の帽子>亭にやって来た彼女は、カウンターチェアに座ると持っていた瓶をカウンターの上に置いた。
メリオダスはその瓶をちらりと見て、棚からグラスを二つ取り出す。
置かれたグラスに、マーリンが酒瓶の封を開けて中身を注いだ。細くしなやかな指でグラスを持つ。それを見て同じようにグラスを持った。
二人はグラスを掲げて、それに口を付ける。
「……いい酒だな」
「だろう? 酒に五月蝿い団長殿のお眼鏡に適ったようで良かった」
「ああ。……それで?」
メリオダスが相槌を打って、問う。すると彼女は、「少し気が早いぞ」と微笑む。それから、視線を手元のグラスに落とした。
「……アーサーがな、結婚するのだ。ついこの間まで小さな子どもだったというのに」
その声に悲嘆は無い。落ち着いた声でそう告げたマーリンは、「ついこの間」と表現したが、それはもう数十年前の話だ。それでも、マーリンやメリオダスから見れば、ついこの間の話なのだ。
「めでたいな」
「ああ、そうだ。めでたい」
そう言って目を細めたマーリンの表情からは、わずかに寂しさが見える。
そこにあるのは、親が子に抱くような愛情ではない。愛しい人に抱く恋慕でもない。深い親愛、とでも表現すればいいのだろうか。
アーサーがその数奇な人生を着実に歩んでいく。それを見送る者の寂しさが、彼女の顔に浮かんだのだろう。
彼が妻を迎えたとしても、死地に向かおうとしても、マーリンは変わらぬ表情で見守るのだ。
彼女は気付いているのだろうか。自身がアーサーという個人に対して愛情を抱いていることを。
メリオダスはふと、バルトラの乳母だったという人物に出会った時のことを思い出した。年老いた国王の事を、未だに「あの子」と呼ぶ彼女は、確か妖精族だった。
「あの子は、いつまでたっても私の中では小さな子どもよ。どれだけ偉くなっても、どれだけ理性を身につけようとも、年を経ようとも。私は、あの子があの子であることを知っているのだから」
そう言って微笑んだ彼女も、昔はマーリンのように愛情を持て余していたのだろうか。
成長に喜びを感じながらも、わずかな寂しさを抱えていたのだろうか。
手の内から飛び立とうとする、子どもに対して。
「結婚か……。お祭り騒ぎになるな」
「ああ、国を挙げての祝い事だからな」
「祝いついでに、キャメロットに商売しに行くかな」
「団長殿が来るならアーサーも喜ぶ。そうしてやってくれ」
マーリンが空になったメリオダスのグラスに酒を注ぐ。そして、自分のグラスにも。
落ち着いた雰囲気の中、二人は時々たわいない会話をしながらグラスを傾けた。そうして持ち込まれた酒瓶が空になった頃、メリオダスが新しい酒瓶を取り出す。
飲みたい気分なのだろう。マーリンは何も言わずにその酒を受けた。
変わったな、と思う。
出会ったばかりの彼女はもっと達観していた。少なくともこんな風に酒の力を借りて話をするタイプではなかった。飲んで笑っているのに、どこか冷静な目を持つのがマーリンという女性だったのだ。
「相手にはもう会ったのか?」
「ああ。しっかりとした娘だったよ」
「良かったな」
そう伝えると、彼女は柔らかく微笑む。
「ああ」
頷くマーリンの頬は、ほんのりと赤い。
それは、メリオダスが見てきた中で、一番美しいと思えるマーリンの姿だった。