それは、何気ない日常の一コマだった。
「ん。これ旨いな」
カウンターチェアに座ったメリオダスが、目の前に出されたスープを口にして呟いた。その声は、何時もより少しだけ柔らかい。
隣に座ったバンが同じように口にして、なるほど、と思った。
よく煮込んだだけあって、大きめにカットした野菜は柔らかい。風味も良いものだ。店のメニューに加えてもいい出来になっている。
メリオダスはこういう素朴な味が好きなのかと、少しだけ意外に思いながら、バンはスープをもう一口含んだ。
お酒の味に五月蝿いメリオダスだが、料理に関しては好き嫌いが無く、大抵の料理は美味しいと言った。しかし、先程のメリオダスの呟きは、何時もと違う、どこか感傷的な響きさえするものだ。
もしかしたら、何か思い出のある味なのかもしれない。
「さっき立ち寄った村で貰ったレシピのやつだ♪」
「いつの間にそんなに仲良くなってるんだ?」
「迷子のガキの親探してやったら、お礼だっつって食事に招待されたんだよ。その時に出たスープを美味いって言ったらレシピくれた」
カウンターテーブルに頬杖をつきながら答えると、隣でメリオダスが笑った気配がした。
「優しいんだな」
「ぴーぴー五月蝿かったんだよ♪」
「おや、照れておられる」
「突くな」
指先で脇腹を突いてくるメリオダスをじろりと睨む。すると彼は肩をすくめてみせた。
「これならメニューに加えてもいいぜ」
「教えてもらったレシピのままだと芸がねえから、少し手を加える」
「お前って変なとこ凝り性だよな」
そう言ったメリオダスは、楽しそうに笑っていた。
それからバンは、夜中に毎日スープを作るようになった。
貰ったレシピと、残っている材料を見てどうアレンジするかを決める。
自分でもこんなに拘るとは思ってもみなかったが、なんとなくもう少しだけ工夫してみたいと思ったのだ。
「そろそろ出来たか?」
スープが丁度いい頃合いになった時、ひょいっとメリオダスが顔を出して言った。バンがスープを作るようになってから、出来上がりのタイミングを見計らうかのように顔を出してくるようになったのだ。
「もうすぐだから椅子に座っとけ♪」
鍋を覗き込もうとするメリオダスの額を叩いて追い払い、スープの味見をする。出来は上々。店のメニューにしても文句は無いと思った。
「団ちょ、出来たぜ」
「お待ちかねだ」
器に入れたスープを持ってホールに出ると、椅子に座ってテーブルに頬杖をついていたメリオダスが、にっと笑った。その目の前にスープの器とスプーンを置いてやると、「では早速」と言ってスプーンを手に取る。
一口含んで、彼が柔らかく笑った。
「うん、旨い」
その声はとても優しく響く。長い付き合いになるが、メリオダスのこんな声は聞いたことが無い。僅かに瞼を落とし、口元で緩やかな弧を描いた彼は、更にもう一口食べた。ふっと、その新緑の瞳が隠れる。ほんの少しの間を置いて目を開けたメリオダスの表情は、いつも通りの飄々としたものに戻っていた。
「いい出来だ。店のメニューに加えるか?」
「……んー。どうすっかな」
「まだ気に入らねえのか? こんなに旨いのに」
言葉を探すように空中に視線を彷徨わせると、メリオダスが若干呆れたような声を出す。
勿論、気に入らない訳ではない。ただ、こんなに優しい顔で「旨い」と言う彼を見てしまった。この料理に、これ以上の客は居ないだろうと思ってしまうのだ。
「やっぱ、やめるわ♪」
「……そりゃ残念だ」
「けど、団ちょが食べたい時は言え。作ってやる」
そう言うと、メリオダスは驚いたような顔をした。大きな目を瞬いてバンを見上げる。
「店主専用の隠しメニューがあってもいいだろ」
彼を見下ろして言う。すると、少しの間を置いてメリオダスが笑みを浮かべた。
「おう。ありがとな、バン」
「礼なら美味い酒でいいぜ♪」
「しゃーねえなあ。とっときを出してやる」
立ち上がってカウンターに向かう彼を見て、バンは席について自分用のスープを一口食べる。
じわりと広がり染み込む温かな旨味に、満足の笑みを浮かべた。