「お疲れ、エリザベス」
店内の掃き掃除をしていたエリザベスの背に、ここ最近で聞き慣れた声が掛かる。振り向くと、メリオダスがカウンターの中から出てくる所だった。
「お疲れ様です、メリオダス様」
笑顔で告げると、彼も口元を緩める。メリオダスはそのまま手近な椅子に座って頬杖をついてこちらを眺めてきた。何か用事があるのかと思い、首を傾げる。
「気にせず続けてくれ」
「あ、はい。もう終わりますので、少しお待ちください」
返事をして、掃き掃除を再開した。
何事も決して焦ってはいけない。時間が掛かってもいいから、落ち着いてやれば必ず出来る。
慣れない接客に失敗を繰り返すエリザベスに、そう教えてくれた人の前で焦る訳にはいかない。丁寧に床を掃いて、集めたゴミをゴミ箱に捨てる。掃除道具を仕舞うと、メリオダスの側へ向かった。
「お待たせいたしました。どうかなさいましたか?」
「ああ。明日、そこの村で朝市があるんだ。新鮮な食材が安くなるから仕入れてこようと思うんだが、エリザベスも来るか?」
朝市。その言葉にエリザベスの心は踊った。市は好きだ。沢山の人が集まり、 沢山の品物が溢れる。朝に行われる市には行ったことがなかったが、きっと賑やかで楽しいものだろう。
「はいっ!是非」
「よし決まり。明日は早朝から出かけるからな」
「わかりました。寝坊なんていたしません!」
拳を握りしめて誓うと、メリオダスが面白そうににやりと笑って「寝坊したら悪戯して起こしてやるから安心しろ」と言った。
翌朝、朝日が昇り始める少し前に、エリザベスは目を覚ました。隣を見ると、既にメリオダスの姿は無い。
ベッドの上で上半身を起こして、ぼんやりと目元を擦る。ふらふらとベッドから降りると、ぐっと両手を上げて背を伸ばした。朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、少し頭がクリアになった気がする。パジャマから<豚の帽子>亭の制服に着替えると、部屋から出た。階下に降りると、既に身支度を整えたメリオダスが迎えてくれる。
「おはよう。寝坊しなかったな」
「おはようございます、メリオダス様」
「じゃあ早速行くか」
そう言って<豚の帽子>亭から出て行こうとする彼に、慌てて声を掛ける。
「あの、バン様は起こさなくて良いのですか?」
「酒飲んだあいつがこんな朝早くに起きる訳ねえだろ? それにあいつ、食材の目利きが上手い訳でもないからな」
「そうなのですか」
「ああ。基本的にあるもので出来るものを作る奴だ。だから食材の買い出しにあいつを連れて行く必要は無いってこと」
なるほど、と納得しつつ、エリザベスはメリオダスに続いて外へ出た。太陽が顔を出し始めている世界は、朝の冷たい明るさに照らされている。とても静かだ。
村への道を歩きながら、こんなに穏やかな時間を過ごす自分がいることに驚いた。城から逃げ出して、メリオダスと出会って、短い間に色んなことがあった。伝説の七つの大罪を探す中で、実際に聖騎士に苦しめられている人々に出会い、大事な姉を亡くし、仲間と呼んでくれる存在が出来た。それはとても辛いことで、それはとても得難い物だ。
「エリザベス」
「え? はい!」
「何ぼーっとしてんだ? もう村だぜ」
どうやら考え事をしている間に村に辿り着いたらしい。聞こえてくるざわめきに、ほんの少し胸が踊った。
市が開かれているのは村唯一の大通りだ。そこは既にある程度の賑わいを見せている。行き交う人々は皆楽しそうだ。出店には様々な食材が並んでいる。美味しそうな果実を見つけて、エリザベスは一つの店の前で立ち止まった。
「どうだいお嬢ちゃん。うちのはどれも美味いよ!」
「良い匂い!」
手渡された果実から立ち上る香気に頬を緩める。すると隣から「じゃ、それ一つ」とメリオダスの声がした。驚いて彼を見ると、その視線に気付いたのかこちらを見る。
「食べたいんだろ?」
「いえ、でも、そんな」
「遠慮するなって。おっ、サンキューおっちゃん」
そう言って、彼が果実を一つ受け取る代わりに代金を支払ってしまう。そしてそれをそのままエリザベスに手渡した。
「今日、付き合ってくれた礼だ」
「あ、ありがとうございます。メリオダス様」
お礼を告げて果実を受け取る。するとメリオダスは「どういたしまして」と言って背を向けた。
「そんじゃま、買い出しといきますか」
「はい! 頑張ります!」
その言葉に元気よく返事を返すと、すれ違う人に微笑ましそうに笑われる。それがほんの少し恥ずかしくて、どこか温かかった。
この温かな光景を守る為には、立ち止まってなどいられない。一歩一歩。前に進むのだ。そう、心に誓った。