雨宿り

 

 その日は朝から激しい雨が降り続いていた。

 所々に点在する家々は固く戸を閉ざし、人々はその中に引き蘢っている。まだ昼過ぎだというのに世界は暗く、寝静まっていた。ただ、激しい雨の音だけが際限なく続く。

 そんな外の世界を足早に歩く人影が二つあった。レインコートを身に纏い、あぜ道を歩く。先頭を進む背の低い方の人影が左手を上げた。その手の指し示す先には古びた小屋がある。すぐ後を続く背の高い方の人影が頷いて、二人はその小屋の前で立ち止まった。扉に手をかけて開く。鍵は掛かっていなかったようで、扉はすんなりと開いた。

 二人はその中へと消えていき、外にある人影は無くなった。

 

 そこは農具類を収納する為の小屋だったようだ。使い込まれた道具が小屋の中に並んでいる。

「勝手に入ってしまいましたね」

 入ってすぐ扉を閉め、レインコートのフードを脱ぎながらアーサーが言った。それを聞いて、同じようにフードを脱いだメリオダスが言う。

「こんな豪雨じゃ仕方ねえだろ。確認取ろうにも、どの家も扉を閉ざしてる」

「確かに。……すみません。無理を言ってしまい」

「急ぎだったんだ。仕方ねえよ」

 申し訳無さそうな顔をするアーサーに、気にするなと答えた。

 二人は現在<豚の帽子>亭のメンバーと一時的に別行動を取っている。その理由はマーリンの魔法具を通じて伝えられた、キャメロットからの伝令にあった。

 曰く、近隣国の王が重要な話があると尋ねて来ていると言う。

 一国の王が自ら訪れているというのに、キャメロットの王であるアーサーが対応しない訳にもいかない。マーリンの魔術を使えば一瞬でキャメロットに転移出来る。かといって、魔人族来襲の爪痕残るキャメロットに、アーサー一人を送り返す訳にもいかない。結果として、メリオダスが護衛代わりに同行することになったのだ。

 こうして、一行から一時的に二人は抜けた。マーリンの魔術でキャメロットに転移し、対応を済ませ、再びマーリンから渡された転移の玉にて<豚の帽子>亭に戻る。だが、いざ戻る段階になって問題が起こった。まず、近隣国の王との会談が思ったより長引いたこと。その為にマーリンから渡された転移の玉の有効範囲外まで<豚の帽子>亭が移動してしまったことだ。二人は仕方無く転移出来る所まで転移した。そしてそこから徒歩で移動しているという訳だ。

「この雨だとホークママも足止め食らってるだろ。それに、オレらの戻りが遅いから待っててくれてる可能性が高い。深く考えるな」

「……はい」

 返事をするアーサーの声は落ち込んでいる。近隣国の王との会談がどのようなものであったのかは聞いていないが、この様子だとそう良いものでもなかったのだろう。

「ま、雨脚が緩むまでここで待とうぜ」

 そう言ったとたん、外からごんっと大きな音がして小屋を震わす。扉の方を見ながら、メリオダスは言う。

「おー、派手なの落ちたな。ついに雷まで混じり出したか」

 そして右隣に居るアーサーを見た。だがそこにアーサーの姿はない。視線を下ろすと、彼は座り込んで頭を抱えるようにして耳を塞いでいた。

「何やってんだ?」

「わっ!」

 髪と服の隙間から見えるアーサーの項を、雨に冷えた指で突く。すると彼は驚いた声と共に顔を上げた。それからきょろきょろと周りを見回す。

「あ、いえ。なんでもありません!」

「座り込んでるぞ」

「そんな気分でして」

「体調悪ぃならちゃんと教えろよ?」

「だ、大丈」

 アーサーの言葉を、再びの落雷音がかき消した。その瞬間、彼が息を詰めてびくりと大げさに肩を震わせたのを見る。その様子に合点がいった。がしかし、一つ不思議なことがある。

「ギル坊の雷は平気なのに?」

「え、はい。魔力で制御されているものなら予測出来るから平気……」

 そこまで言って、アーサーははっと何かに気付いたかのように両手を前に突き出して振る。

「いえ! 決して雷が怖いという訳では!」

 彼は必死で否定するが、そんなものは肯定以外の何物でもない。素直すぎる様子に、メリオダスは笑った。きっと、一国の王が雷を怖がるなど情けないとでも思っているのだろう。

「いいんじゃねえ? 苦手なものがあったって」

「いえ。あの、その」

「バルトラだって、毛虫が大の苦手なんだぜ?」

 その言葉に、アーサーは呆気に取られたような顔をした。

「ついでに言うならトマトは絶対に食べない」

「……そんなこと、勝手に言いふらしてもいいのですか」

「本人が隠してねえからな」

 アーサーが思わず吹き出した。やっと和んだ空気を、しかし無情にも落雷音が裂いていく。今度の落雷は近い。先程より大きな音に、アーサーが喉の奥に張り付いたような悲鳴を上げた。

「近いな。……ちょっと周囲の様子見てくる」

 フードを被り直して言うと、彼が伏せていた顔を上げた。

「あ。わた、しも」

「怖いなら耳塞いで待ってろ」

「平気です! 行けます!」

 何が気に障ったのか、アーサーがムキになったように言った。珍しい様子に瞬きをすると、彼は口元を押さえて「大丈夫ですので」と繰り返す。まあいいか、と思って扉を開けた。外に出ると暴力的なまでの雨が襲い来る。メリオダスはまず小屋の周囲に高い木が無いことを確認した。だが、少し離れた所に森がある。先程の落雷はそこに落ちたのだろう。手早く必要な情報を収集すると、アーサーに声を掛けた。

「よし、戻るぞ」

 だが、その声は雨音に阻まれ、不安そうな顔で遠くの空を見るアーサーには届かなかったようだ。仕方無いと、立ち尽くすアーサーの手を取り引いた。それに気付いて、アーサーは小屋に戻るメリオダスの後をついてくる。

 中に入って扉を閉めると、濡れたレインコートを脱いで入り口の横に置いた。いくら雨具を着ていたからとはいえ、この豪雨では濡れないということは不可能だ。雨に湿って顔に張り付く髪を掻き揚げて、服の袖で顔を拭った。隣を見ると、同じようにレインコートを脱いだアーサーが、硬い表情で立ち尽くしている。

 メリオダスは一旦靴を脱いで中に溜まった水を捨てた。それからまた履き直して小さな小屋の中にあるものを物色する。小屋の隅で木炭の欠片を見つけて拾い、アーサーを呼んだ。呼ばれた彼はこちらへやってくる。

「お前、好きな動物はなんだ?」

「好きな、動物?」

「ああ、なんでもいいぜ」

 唐突な質問に、アーサーが首をひねりつつも答えた。

「動物、というか……ドラゴンは好きです」

「了解っと」

 答えを聞いてその場に座ると、手に持った木炭を使って床に絵を描いていく。床に描かれていくドラゴンっぽい絵を見て、アーサーが不思議そうな顔をした。

「おまじないだ。こいつは雷に強いドラゴンでな。ここに雷が落ちそうになったら、全部食ってくれる」

 真面目な顔をして言うと、彼は若干呆れたような顔をした。

「メリオダス殿。子どもじゃないんですから……」

「子ども騙しだと馬鹿にすんなよ? 効果はバルトラのお墨付きだぜ」

 その言葉に、アーサーは驚いたような顔をする。そんな彼に向けて続けた。

「やたら毛虫のつく木ってあるだろ? その傍を通らなきゃ行けねえって時に、このおまじないをしてやったら、木から毛虫が一度も落ちてこなかったって大好評でな」

 そう言って、メリオダスは笑う。

「だから、大丈夫だ」

「……そうですね。なんだか、そんな気がしてきました」

 アーサーがほんの少し表情を緩める。

「それでも怖いってんなら、ほれ」

 メリオダスは、アーサーに向けて両手を広げた。それを見て、彼は首を傾げる。そんなアーサーの手を引いて隣に座らせると、その濡れた頭を胸元に当てるように抱きしめる。

「こうしててやる」

「……ちょ、メリオダス殿!?」

 焦ったような声を出して、腕の中で彼が暴れた。それを強く抱きしめることによって封じてしまうと、しばらくして大人しくなる。その背をぽんぽんと叩いてやると、アーサーは体を固くした。

 一方のアーサーは、温かく自分を包む腕に混乱を極めていた。物心つく頃から、義理の両親はアーサーを自立した存在として扱っていたのだ。マーリンと出会う頃にはもう今の自分は確立されていた為、こんな風に、まるで幼い子どもにするかのように甘く扱われたことは無かった。どうしていいのかわからない。暖かな体温が、ほんの少し怖いと思った。

 そんな彼に、メリオダスは言った。

「心臓の音が聞こえるだろ。それ聞いてろ」

 言われて、アーサーは他人の鼓動の音が聞こえることに気付いた。耳のすぐ傍で脈打つ音に、神経を集中させる。すると、不思議と穏やかな気分になっていくのに気付いた。

 メリオダスは、アーサーの体から力が抜けていくのを感じる。それに笑って、ゆっくりと背を叩いてやった。

 その後も何度か落雷はあったが、それが腕の中の子どもを怯えさせることは無かった。

 

「団長。団長ってば。起きなよ!」

 聞き覚えのある声に目を開くと、そこにはキングの姿があった。

「キング?」

「寝ぼけてないで」

 夢でも見てるのかと思ったがどうやら本物らしい。キングはため息を吐くと「迎えに来たよ」と言った。

「おお、そっか。サンキュ」

「それはいいけど……。どういう状況なのさ、これ」

 キングの視線は、メリオダスの腕の中で穏やかな寝息を立てるアーサーに向けられている。

「まあ、色々あってな」

「色々って。……うん、まあいいや。王様を起こしたら戻るよ」

 興味を無くしたようにそう言って、キングは小屋の外に出て行く。メリオダスは腕の中で眠る彼を見下ろして、声を掛けた。

「アーサー」

「……ん」

「ほれ、アーサー。起きろ。雨止んでるぞ」

 優しい声で何度か名前を呼ぶ。するとアーサーは身じろぎして、薄く目を開けた。

「よっ、アーサー」

「……メリオダス、殿? ……。っすみません!」

 しばらくぼんやりとしていた目が驚きに見開かれ、彼が飛び起きる。

「おー。起きたな」

「あの、私は、その」

「起きたなら行くぞ。キングが迎えに来てくれてる」

「え! キング殿が?」

 驚くアーサーを横目に、メリオダスは立ち上がった。軽く埃を払うと、小屋の外へ通じる扉に手を掛ける。

「あの!」

 その背をアーサーが呼び止めた。顔だけ振り向くと、ほんのりと頬を染めた彼が目に入る。何かを言おうとしては口籠る様子に、ああ、と納得する。

「秘密にしといてやるよ」

「いえ、そうではなくて」

 そこで言葉を区切って、アーサーは真っ直ぐな瞳でメリオダスを見た。

「……ありがとう、ございました」

 小さな声で告げられたお礼の言葉に、笑顔を浮かべる。

「おお」

 そしてメリオダスは扉を開けた。

 

 

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