メリオダスとアーサーが、所謂恋人関係になってから一月が過ぎた。
好きな人と手を繋ぐという行為にすら頬を染めるようなアーサーは、当たり前のように他人と気持ちを通い合わせたことなどなく、恋人と言っても何をするものなのかよく理解していないようだった。
そんな彼と初めて交わしたキスは、唇が一瞬重なるだけの酷く幼稚なものだ。驚くことに、最初アーサーは自分が何をされたかわからなかったようだ。談話室の椅子に腰かけたまま、ぼんやりとした目でとても近くにあるメリオダスの顔を見る。それから、その近さに驚いたように目を丸くして頬を染めたものの、キスそのものに対しては何も言わなかった。その反応を見て、メリオダスはアーサーの顎を持ち上げてもう一度唇を重ねた。リップ音と共に軽く触れて、下唇を優しく食むと、流石に理解したのか彼が反射的に体を引く。その拍子に椅子から落ちそうになった体を、メリオダスが手を伸ばして抱きしめるように支えた。そして、耳元で囁く。
「……ダメか?」
息を吹き込まれて、アーサーがびくりと体を揺らす。それから、戸惑った様子で言った。
「え、あの、駄目……じゃない、です」
その言葉を聞いて、額を合わせる。
「なら、もう一回」
低く甘い声でねだったメリオダスに、アーサーはぎゅっと目を瞑った。彼の後頭部に手を回すと、再び唇を重ねる。一度離して、再度。恋人は体を硬くして触れるだけのキスを受けた。
メリオダスが体を離すと、それに気付いたアーサーがそろりと目を開き、ホッとしたように息を吐き出す。その様子を見て言った。
「なんだ、嫌だったか?」
「いえ、そんなっ! その……正直、よくわかりませんでした」
言葉に詰まって俯く彼の耳が赤いのを見て、メリオダスはくすぐったいような気持ちになる。こんなにも初々しい反応をされては、これ以上手が出しにくいではないか。
「あんなガチガチじゃなあ」
笑みとともに言葉をこぼして、アーサーの耳元に触れた。ほの赤い耳の裏側をそっと撫ぜると、アーサーが僅かに体を震わせる。
おや。とメリオダスは思った。
そのまま肌に沿って首元に手を下ろすと、ガタンと椅子を倒して彼が立ち上がる。
「わた、しはっ、やる事がありますので失礼します!」
顔を真っ赤にしてそう言ったアーサーは、まるで逃げ出すかのように部屋の外へ向かった。騒々しく扉が開閉されて彼の姿が見えなくなる。
「……おやおや?」
残されたメリオダスは、その口元に楽しそうな笑みを浮かべた。
それから、しばらくキャメロットに滞在することにしたメリオダスは、アーサーの姿を見かけるたびにキスをねだった。それは彼の私室であったり、執務室であったり、時には廊下で人目を忍んでであったりした。初めは触れるだけだったキスが、次第に深いものになる。
そうやって幾度か重ねたキスにも、ようやく慣れてきたらしい、とメリオダスは思う。
アーサーの私室。ベッドに凭れるように座り込んだ彼の足の間に割り入り、メリオダスは膝立ちになった。アーサーの両頬に手を添え、軽く上向かせる。そして唇を数度啄み、緩く開かれた隙間から舌を差し込む。すると、彼はまだ若干の戸惑いを見せつつも、そろりと舌を差し出してくる。それを捕らえて舌を擦り合わせると、「ん」と小さな吐息が溢れた。
「は、……う、ん」
甘やかな吐息はメリオダスの耳を楽しませる。アーサーの頬に添えた左手をそっと首筋へと下ろすと、項を撫で上げるようにして後ろ頭に手を添えた。そして一度唇を離し、角度を変えてさらに深く口付ける。水音はダイレクトに聴覚へ伝わり、互いの気分を高揚させた。交わされる唾液が、アーサーの口端から溢れる。
「ふ、あ……んっ!」
急に、びくり、と彼が体を震わせた。メリオダスの胸元に添えられていた手が、その服を縋るように掴む。
「や、っ」
メリオダスが、片足をアーサーの方に押し進めていた。片膝を押し付けるようにして、柔くアーサーの股間を刺激する。その感覚に、彼は反射的に身を引こうとした。しかし、背後のベッドにそれを阻まれる。
「……アーサー」
キスの合間に名を呼んだ。その声に籠る色に、アーサーは体を硬くする。ちゅっ、と音を立てて唇を離したメリオダスが、そっと彼の肩を抱いた。そして耳元で囁く。
「ダメ、か?」
吹き込まれる熱い吐息に、アーサーはぎゅっと目を瞑る。何も答えない彼を見て、息を吐いた。
「都合よく解釈すんぞ」
そう言って左手が下がり、アーサーの服の裾から差し込まれる。肌に直接触れた他人の熱に、彼は体を震わせた。触れた手でそっと脇腹を撫で上げると、アーサーは耐えるように息を飲んだ。
「っやはり無理で……」
「アーサー」
言葉を封じるように右手の指先を彼の口元に当てた。キスに濡れた唇を、指先で柔くなぞる。
「オレが嫌いか?」
「っそんなこと!」
すかさず反論したアーサーに、頷きながら言う。
「うん、そうだよなあ。お前、オレのこと大好きだもんな」
「えっと、あの……」
なんでもないことのように自分が好かれていることを口にするメリオダス。その言葉に、アーサーは頬を赤らめて視線を逸らした。
「なのに、何がダメなんだろうな?」
メリオダスの声は優しいものだ。その左手が再び動き出す。脇腹を撫で、胸元へと伸び、その頂きを探し当てると、くるりと円を描くように指先で触れた。
「っん」
「こんなに、感じやすいのに」
その言葉に、アーサーは一瞬傷付いたような顔をした。それから服の下に入り込んだ手を握り込む。彼の手は僅かに震えていた。
「怖い、です」
「……何が怖い?」
メリオダスが優しい声で問いかけると、アーサーはぎゅっと目を瞑る。
「貴方に、嫌われるのが」
予想外の答えに、目を瞬かせた。そもそも好いていなければ手を出そうなんて思わない。この状況でどうして嫌われるという言葉が出てくるのか。
「どうして、嫌われるなんて思うんだ?」
「……私は、その、他の人より、感じやすいみたいで。女性みたいだって。恥ずかしいって言われたことがあって」
「ん? ちょっと待て」
たどたどしい言葉に、一瞬思考がフリーズした。キスにも慣れていない様子のアーサーが、その感度を指摘されるような状況とは如何なるものなのか。
「誰に、言われた?」
ほんの少し口調が強くなる。その変化に気付いて、彼はメリオダスが怒っていると思ったのか、「すみません」と謝った。
「そうじゃない、アーサー。お前にそんなことを言ったのは誰か、教えて欲しいだけだ」
「……私が幼い頃、家に出入りしていたメイドの一人、です」
「そいつに、襲われたのか?」
びくりとアーサーが体を揺らした。メリオダスの左手を掴む手に力が籠る。
「あの、時は。まだ何もわからなくて。けれど、今考えたら、そうなのかもしれません」
そう言って彼は俯いてしまう。
「体中、あちこち触られて、訳が解らなくて、怖いのに、逆らえなくて。何度目かに、彼女が言ったんです。こんな体じゃ、好きな人が出来ても嫌われてしまうねって」
だんだんと小さくなっていく声を聞いて、思わず右手で彼の頭を抱き寄せた。
「そっか。怖かったな」
出来るだけ優しい声で言う。メリオダスの言葉を聞いて、アーサーは小さく頷いた。
「なあ、アーサー。そんな奴の言うことに囚われるな」
「でも。……声が、離れなくて」
「オレのしたことで感じてくれるんなら、むしろ嬉しいぜ?」
その言葉に、腕の中の恋人は黙り込んだ。掴んだままだったメリオダスの左手を離して、顔を上げる。
「メリオダス殿。……好きです」
「ああ。オレも好きだよ」
右手で頭を撫でてやりながら言うと、アーサーは幼い笑みを見せた。それを見て、彼から体を離す。立ち上がり一歩後ろに下がって距離を取った。
「お前が怖いなら、これ以上は触れない」
はっきりとした言葉に、彼は戸惑いの表情を浮かべた。それに笑いかけてやりながら、メリオダスが続ける。
「でも、オレはお前を抱きたいと思ってるぜ」
「……わた、しは、その」
「無理すんなって。じゃあな」
そう言って背を向けた。外に出ようと扉に手をかけた所で、呼び止められる。軽く振り向くと、アーサーが胸元を握りしめて立ち竦んでいた。
「行かないで下さい」
「アーサー」
「今夜は、傍に、居て欲しいです」
顔を赤くして懸命に告げる姿に、メリオダスは困ったように笑う。
「手を出さないでいる自信がねえ」
「……構いません」
「バーカ。無理すんなって言ったろ」
優しい声で告げて、再び背を向け扉を開く。するとアーサーが駆け寄って来て、右手を取った。
「無理します。貴方に触れられることが、嫌な訳じゃないのですから」
その言葉に、一瞬迷った後で開いた扉を閉める。ゆっくり振り向くと、彼がどこかほっとした顔をした。
「わかった。今晩は傍に居てやる」
「ありがとうございます」
「手も出さない。けど次は知らねえぞ」
「……はい」
小さな返事を聞いて、メリオダスは仕方が無さそうに笑う。アーサーの傍に近寄ると、その背を軽く叩いた。
「一緒にいてやるから、今日はもう寝ちまえ」
「手を、握っていても良いですか?」
「ああ」
快諾すると、アーサーが安心したように笑う。それを見て、彼の手を引きベッドに誘った。それから、手近な椅子をベッドサイドに移動させる。ベッドの上から、彼が不思議そうな顔をした。
「メリオダス殿は、寝ないんですか?」
「王様は添い寝をご要望で?」
「……駄目でしょうか」
ほんの少し寂しそうな顔をするアーサーの額を、メリオダスが突く。
「お前、ちょっとは警戒心を持ってくれ」
その言葉に、彼は瞬きをした。そして首を傾げる。
「メリオダス殿の何に警戒すればいいのでしょう」
無垢な信頼を向けてくる彼に、思わずため息が出た。あんまり信用されても困るんだけどな。そう思いつつ、両手を上げる。
「わかった。オレも一緒に寝る」
「はい!」
嬉しそうに顔を綻ばせるアーサー。メリオダスはベッドに上がると一緒に布団に潜り込んだ。それから、そっと手を握ってやる。すると握り返された。彼がこちらを向く。
「こんな風に、誰かと一緒に眠るのは、本当に久し振りです」
「随分嬉しそうだな」
「はい。貴方が隣に居てくれるから、嬉しいです」
そう言って、アーサーが空いた手でメリオダスの頬に触れた。そのまま顔を近づけて触れるだけのキスをする。
「おやすみなさい」
至近距離ではにかんで、アーサーは枕に顔を埋めた。瞬きをして、瞳を閉じてしまった恋人を見る。メリオダスから彼にキスをすることは幾度もあった。しかし、その反対は今まで一度も無い。所謂おやすみのキスというものだと解ってはいるが、頭を抱えたくなった。そんな可愛いことをされて、手を出すなというのか。
「……おやすみ」
メリオダスは内心の葛藤を押さえ込んで、それだけを口にした。