必要最低限の照明を残した薄暗い店内に、何処からともなくシックなメロディが流れ出した。パッと何かが発光したかと思うと、その光源の下には一人……いや、一匹のブタがいる。胸元を黒い蝶ネクタイで飾ったブタは、ちょこんとお辞儀をした。
「『ホーク・クラブ』へようこそ。私はオーナーのホーク。そして、ここはお客様を奥様、旦那様として接待する夢の楽園。どうぞ心ゆくまでお楽しみ下さいますように」
驚くことに喋ったブタは、ニヒルな笑みを浮かべて前足を上げた。
「『ホーク・クラブ』、開店するぜぃ!」
その声と共に各所に照明が宿り、小綺麗に飾られた<豚の帽子>亭店内と、そこにいる店員達を照らし出す。わあっと客から歓声が上がるのを、ブタ、もといホークは満足そうに聞いていた。
時は少しさかのぼる。
<豚の帽子>亭は、閑古鳥が鳴いていた。誰もいない店内にだらけきった店員。この状況はまさしくそうであろう。それを見て、ホークは皆の視線を集めやすいカウンターの上に飛び乗った。
「なんだなんだお前ら! そのだらけきった態度は。エリザベスちゃんまで欠伸して!」
「ひゃい!」
ホークの足にビシィと刺されて、ふわりと小さな欠伸をしたエリザベスが驚いた声を出す。そんなご立腹中のホークの足元で何かが動いたかと思うと、ホークが足を取られてその場ですっ転んだ。
「汚ねえ足でカウンターに乗るんじゃねえよ」
手を払う動作をしながらホークに声をかけたのはメリオダスだ。恐らくホークを転ばせたのも彼だろう。ホークは短い足をパタパタさせて起き上がると、ととんっと走って律儀にカウンターを降りた。そして床から再度主張する。
「暇だからってだらけてんじゃねえよ! 仕事しろ!」
「仕事っつってもなぁ。客が来なけりゃやることもねぇし?」
怠そうな声を出したのはバンだ。椅子に座って机に頬杖をついた彼は、ヒラヒラと片手を振る。そんなバンの足に、ホークは体当たりをした。
「客が来なけりゃ集客の手を考えるべきだろ!」
「まあまあ、落ち着いてよ。確かにオイラ達はちょっとだらけ過ぎているけれど、何も集客の手を打たなかった訳じゃないし」
バンの足元で鼻をフゴフゴさせるホークに、浮かんだクッションの上で寛ぐキングが声を掛ける。窓から中を覗き込んでいたディアンヌが、困ったように笑って言った。
「でも本当、お客さん来ないねぇ」
「来ないなら、呼びよせるまでだぜ!」
「なんだ、ホーク。お前、なんか案あるのか?」
自信満々に言ったホークに、メリオダスがカウンター越しに声を掛ける。それを待ってましたと言わんばかりに、ホークが声を上げた。
「もちのろんだぜ! ゴウセル!」
「承知した」
ホークの声掛けに反応したのは、本に視線を落としていたゴウセルだ。ゴウセルは静かに本を閉じると、立ち上がり皆の視線を集める。
「調べた所によると、この街では最近、ある接客サービスが流行っている。それはただ料理やドリンクを提供するだけでなく、特殊な空間を作り出して客を一種の夢の世界へ誘うらしい」
「夢の世界?」
ふわりとした言葉に、エリザベスとディアンヌが反応する。
「そうだ。その場では客は客ではなくなる」
「前置きはいいから、何なのか言えって」
まだ興味がなさそうなメリオダスの言葉を受けて、ゴウセルがパチリと瞬きをした。
「ようするに、店員は客の帰りを待つ執事やメイド、客は迎えられるお嬢様やお坊っちゃまとなって、仮想の貴族ごっこを楽しませる接客のことだ」
「へ~、面白そうだね!」
楽しそうな声を上げたのはディアンヌだ。彼女は窓の外で「ボクも行ってみたーい」と両手を口元に添えた。
「そこでだ! 郷に入れば郷に従えっつーだろ。<豚の帽子>亭でもそのサービスを導入するんだ。但し、場所は酒場だから設定はちょっと変えるぜ」
「どんな設定だ?」
ホークの言葉を少し聞く気になったのか、メリオダスが尋ねる。するとホークはニヤリと笑って自信満々に言った。
「ここは金持ちの集まる高級クラブ。客は奥様、旦那様と呼ばれ常連扱いで手厚い接客を受けるんだ。名付けて、『ホーク・クラブ』だぜ!」
「ダサいな」
「そ、そんなことないわ、ホークちゃん。とっても可愛いと思う」
一刀両断したメリオダスに対して、鼻息を荒げるホークに、エリザベスがフォローに入る。
「が、設定は悪くねえ」
続けたメリオダスの言葉で、『ホーク・クラブ』の開店が決定したのだった。
「奥様~、旦那様~。おかえりなさいませ。貴方の心のオアシス、『ホーク・クラブ』へ!」
翌日の夕刻頃。ミニマム・タブレットで小さくなったディアンヌの、元気の良い声が町のメインストリートに響いた。それに気付いた住民がなんだなんだと声の方を見やる。そこにいたのは二人の可憐な少女、ディアンヌとエリザベスだ。ディアンヌは明るいオレンジのふんわりしたスカートのドレス、エリザベスはドレープのきいたタイトで大人っぽいドレスを纏っている。
「『ホーク・クラブ』、本日開店ですっ! どうぞ、よろしければいらしてくださいね、奥様」
そう言ってエリザベスが上品に微笑めば、チラシを渡された女性がほんのりと頬を染める。
「本日のお帰りお待ちしてますね、旦那様!」
ディアンヌが小さく首を傾げて両手でチラシを差し出せば、受け取った男性もまた頬を赤くする。
あっという間にエリザベスとディアンヌの周りには人だかりができ、皆この愛らしい少女達から、奥様、旦那様と声を掛けられようとした。
そうして二人は、順調にチラシを配布し終えたのだ。
一方、<豚の帽子>亭に残ったメンバーは、揃えのスーツ姿で顔を付き合わせて最終確認を行っていた。
「バンは厨房。ホークとゴウセルは最初の出迎え。キングはホールで、オレはドリンカーだ。エリザベス達が帰ってきたらホールに回ってもらう。各自客には礼儀正しく、かつ一定の親しさを持って接するように。わかったか」
「わぁったよ」
「わかってないだろ、バンは!」
メリオダスの言葉に怠そうに返事をしたバンに、キングが詰め寄る。人差し指でバンの着崩された、というよりはだけられたスーツを指して叫んだ。
「そんな格好じゃ、礼儀も何もあったもんじゃないでしょ!」
「うるせーな。どうせ厨房から出ねえんだからいいだろ♪」
「そういう問題じゃない! それにゴウセル! 君もどうしてリボンタイを解いてるの?!」
キングの指先がバンからゴウセルへと移り、指差されたゴウセルは目を瞬いた。
「ダメか?」
「ダメだよ!」
そう言いながら、キングはゴウセルの解けたリボンタイを掴んで綺麗な蝶々結びにする。そんなキングの手元を見ながら、ゴウセルが呟いた。
「キングは世話焼きだな」
「皆がだらしないからでしょ! もー!」
柔らかそうな頬を膨らませるキングの肩に、メリオダスが手を置く。
「サンキュー、母ちゃん」
「違うし!」
「と、まあ、漫才はこれくらいにして、準備すんぞー」
メリオダスが両手を打ち鳴らすと、皆それぞれの持ち場につくために散会した。
コツコツ、と扉が叩かれたのに気付いたのは、入り口のすぐ側に立っていたゴウセルだ。エリザベスとディアンヌは戻ってきたが、まだ開店の時間には少し早い。はて、一体誰であろう。首を傾げたゴウセルは、ドアノブに手を掛けると扉を開いた。するとそこには、軽装のアーサーとマーリンの姿がある。
「こんばんは、ゴウセル殿」
「……おかえりなさいませ、旦那様、奥様」
とりあえず教え込まれた台詞を口にしたゴウセルに、アーサーが楽しげに笑う。
「マーリン、本当に面白そうなことしてる」
「息抜きには丁度いいだろう?」
アーサーの後ろでそう言ったマーリンは、アーサーの肩に両手を置いてその背を押す。店内に足を踏み入れたアーサーとマーリンに、皆が気付いた。
「あ、王様とマーリン」
「マーリンだー! アーサーも!」
キングの声に反応して、ディアンヌが嬉しそうに声を掛けた。
「お久しぶりです。アーサー様、マーリン様」
エリザベスが二人に向かって会釈すると、カウンターの奥にいたメリオダスが顔を出す。
「なんだ、客じゃねえのか」
「客にその態度はないな、団長」
「客として来たのか? そりゃ悪かった。けどまだ開店前だぜ」
「開店時間など、あってないようなものだろう?」
そう言いながら、マーリンがカウンターチェアに腰掛ける。アーサーはその後ろに立って少し申し訳なさそうな表情をした。
「開店前に訪れてすみません、メリオダス殿」
「……何も気に病まれることはありませんよ、旦那様」
「はは、旦那様だなんて言われると、なんだか照れますね」
芝居掛かったメリオダスの言葉に、アーサーは後ろ頭を掻きながら笑う。そんなアーサーに近付いたエリザベスがにこやかな笑みを浮かべながら言った。
「どうぞ、こちらにお掛けくださいませ」
「ありがとうございます」
アーサーがマーリンの隣に座ったのを見て、メリオダスがホールの皆に視線を投げる。
「そんじゃま、そろそろ開店と行きますか」
「はーい!」
元気の良い返事とともに、必要最低限まで照明が落とされた。
「バン、一番追加オーダー。あと三番のデザートそろそろいいよ」
「おー」
伝票をキッチンに渡しながら言ったキングに、バンは手を止めることなく返事をして、視線だけでちらりと伝票をチェックした。
店の客入りは上々。むしろこれは忙しいだろう。バンは連なる伝票を見て溜息を吐いた。料理を作るのは好きでも嫌いでもないが、忙しいのは勘弁願いたいと心から思う。
「団ちょに伝言。誰か一人寄こせ♪」
「誰かって誰さ」
「指示すれば盛り付け出来る奴」
そう言われて、キングは考える。それも一瞬で、すぐに答えを出した。
「ゴウセルでいい?」
「早く呼べ♪」
そう言ってバンは出来上がった料理をキングに差し出す。キングはそれを受け取って一番奥の伝票をスーツの内ポケットに入れた。
キングがホールに出ると、すぐにカウンターのメリオダスと目が合う。
「マスター、キッチンにゴウセル入れていい?」
小声でキングが確認すると、メリオダスはちらりと店内を見渡した。客入りは良く空いているテーブルは殆どない。とはいえ出迎え役をキッチンに回しても良いものか。ほんの一瞬迷ったものの、料理の提供を遅らせるわけにもいかないと判断し、メリオダスはキングに向かって言った。
「わかった。ゴウセルに伝えてくれ」
「了解」
返事をして、キングはホールへ向かった。
「随分と繁盛していますね」
樽からエールをジョッキに注ぐメリオダスに声を掛けたのは、カウンターに座ったアーサーだ。
「いつもご贔屓にして下さる旦那様のお陰ですよ」
メリオダスがにこやかに笑いながら告げる。すると、アーサーはほんの少し居心地が悪そうに、カウンターに置いた両手を組み合わせた。
「メリオダス殿がそのような言葉遣いをされているなんて、ちょっと違和感があります……」
「今日はそういうテーマの店だからな」
アーサーの言葉に、メリオダスはあっさり口調を改める。それに笑顔を見せて、アーサーは店内を見回した。キングもディアンヌもエリザベスも、自らをオーナーと称したホークまで、皆忙しく立ち回っている。接客を受ける客は、一様に楽しそうだ。
「こんな接客方法があるなんて、知りませんでした。ねえ、マーリン。うちでもやってみたら面白いんじゃないかな?」
「まさかお前がやるのか?アーサー」
マーリンがワインのグラスを揺らしながら笑う。マーリンの言葉に、アーサーは口元に手を当てて考え込んだ。
「城下町でやるのはまずいか。少し離れた町は……」
一人ブツブツと考え込むアーサーを見て、メリオダスが声を掛けた。
「接客してみたいのか? なら、うちで働いていけばいいんじゃねえ?」
メリオダスの言葉に、アーサーが目を瞬かせる。それからぱあっと明るい表情を見せた。
「良いのですか?」
「ゴウセルがキッチン行っちまったしな。案内くらいはできんだろ?」
「はい!」
元気な返事をするアーサーに、マーリンが言う。
「それならば、揃いの服が必要だろう」
そして、その白い手を差し出すと、そこに一揃えのスーツが現れた。
「着替えておいで」
「うん!」
スーツを受け取ったアーサーは、メリオダスに向けて「部屋お借りしますね」と言って立ち上がる。アーサーが立ち去った後、メリオダスはマーリンを見た。
「マーリンはやらねえの?」
「他人を歓待して喜ぶように見えるかい?」
その言葉に、メリオダスは首を傾げてみせる。
「意外な一面って大事だぜ」
「くどい男は嫌われるぞ」
綺麗な笑みをもって返したマーリンは、それ以上メリオダスに構うことなくグラスを傾ける。メリオダスもそれ以上話しかけることはせず、目の前の仕事をこなした。
しばらくして、二階からアーサーが降りてくる。皺一つない黒のスーツに身を包んだアーサーは、とても楽しそうだ。
「マーリン、ありがとう。ぴったりだ」
「それは良かった。所で、アーサーは今から店員だな?」
「うん」
「なら、私のことは?」
「失礼いたしました、奥様」
アーサーの言葉に、マーリンは微笑んでその肩を叩いた。
「行っておいで」
「行ってまいります」
アーサーは丁寧にお辞儀をしてマーリンに背を向ける。アーサーを見送ったマーリンに、メリオダスがぽつりと言う。
「……私も、奥様とお呼びしたほうが?」
「団長は面白いことを言うな?」
「なんでもございませんよ?」
気取った口調で答えたメリオダスは、空になったマーリンのグラスにワインを注いだ。
大した期待もせずに案内役に任命したアーサーは、予想以上の働きを見せていた。
アーサーは基本的に育ちも人当たりも良い。マナーはしっかりしていたし機転もきけば頭も悪くなかった。出迎え役であるホークと共に行われるにこやかで丁寧な接客は、奥様、旦那様方からも好感触だ。
「アーサーちゃん、なかなかやるな!」
「オーナーに褒められるなんて、光栄です」
鼻息も荒いホークの言葉にも、落ち着いた丁寧な声で返す。それが微笑ましく映るのか、入り口近くの客がクスクスと笑った。
そんな一人と一匹を見て、メリオダスがアーサーを呼んだ。すぐに返事をしてやってくるアーサーに、メリオダスはにっと笑って言う。
「どうせならホールもやってみるか?」
「はい、是非!」
気持ちの良い答えを返したアーサーに、メリオダスは良しと言ってトレーに乗った二つのグラスを差し出す。それを受け取ったアーサーは、脳内に先程入り口で見ていたキングやエリザベス、ディアンヌの接客を思い浮かべた。
「可能な限り丁寧に、優しく、親しみを持って、だ。お前が最後に案内した奥様方のとこだよ」
「わかりました」
アーサーは最後に案内した客の元へ足を向ける。それを、メリオダスとマーリンが見守った。アーサーは客のいるテーブルの側に立つと、歓談している女性の二人組に声を掛ける。
「奥様方、ご歓談中の所を失礼いたします。お飲物をお持ちいたしました」
「あら、さっきの子ね。子ブタさんは一緒じゃないの?」
ホークの話題を出されたアーサーは、にこりと笑って答える。
「オーナーはあちらで、私が下手な接客をしないか目を光らせております」
「まあ、怖いわね?」
「はい」
アーサーの言葉に、客は楽しそうに笑う。テーブルにそっとグラスを置くアーサーを見て、もう一人がアーサーに声を掛けた。
「なにかオススメの料理はあるかしら?」
「オススメですか。そうですね……」
メニューには何があっただろうと考えるアーサーの視界の端に、口を開くメリオダスが映った。視線だけ向けると、声は出さずに何かを言っている。それを読み取って、アーサーは客に向かって笑顔を浮かべた。
「当店名物のミートパイなど如何でしょう? 奥様でも食べきれる小さなサイズもございますよ」
「じゃあ、それをお願い」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
一礼して、アーサーがカウンターまで下がってくる。そしてメリオダスから渡された伝票に注文を書き込んで言った。
「オススメ料理を教えてくださってありがとうございます、メリオダス殿」
「いや、何も教えず行かせたこっちが悪かった。でもなかなか様になるな、アーサー」
褒められて、アーサーはきょとんとした顔をした。それから照れたようにはにかむ。それを見たメリオダスは、虚を突かれたような顔をした。
「……可愛いだろう、アーサーは」
酒でほんの少し頬を上気させたマーリンが悪戯っぽく微笑んでメリオダスに囁く。
「手を出すなよ、団長殿」
「まさか」
それに素っ気ない返事をして、メリオダスはアーサーにホールに戻るように指示した。
大繁盛のまま閉店を迎えたその夜のこと。「たまには女同士で話をしようではないか」という言葉とともに、エリザベスの肩を抱いてメリオダスの部屋を占拠したマーリンは、当然のように部屋の主を追い出した。追い出されたメリオダスは、やれやれと思いながら階下へ向かう。店仕舞いのすんだ一階はがらんとして物寂しい。
「メリオダス殿!」
そこに明るい声が響いた。声の方を見ると、スーツから着替えたアーサーの姿がある。アーサーは笑顔を浮かべ、メリオダスに近付いてきた。
「おやすみになられたのではなかったのですか?」
「マーリンに追い出された」
「それは……すみません」
申し訳無さそうにするアーサーに、メリオダスは「お前が謝る必要ねえよ」と言う。するとアーサーは瞬きをしてメリオダスを見た。
「メリオダス殿はお優しいですね」
そう言って口元を緩めるアーサーに、メリオダスは思わず黙り込んだ。メリオダスの脳裏に、「可愛いだろう」というマーリンの言葉が過る。確かに、幼子のように信頼を寄せてくるアーサーは非常に可愛らしくメリオダスの目に映った。黙り込んだメリオダスを不思議に思ったのか、アーサーがもう一歩メリオダスに近付く。メリオダスはすぐ傍に立つアーサーの顔を見上げて言う。
「アーサー、ちょっとそこ座れ」
「はい」
手近な椅子に座ったアーサーを満足そうな顔で見て、メリオダスはアーサーの頭に手を置いた。そしてその髪を撫で付ける。
「今日はお疲れさん。助かったぜ」
「ええと。……こちらこそありがとうございました。とても楽しかったです」
頭を撫でられたアーサーは、ほんの少し戸惑ったようだが、すぐに笑みを見せた。その笑みは接客の為にホールに立っていた時とは異なるものだ。尊敬する人に褒められて嬉しい。そんな言葉が聞こえて来そうな笑みに、メリオダスは呆れたような気持ちになった。
「お前、そんなにわかりやすくて大丈夫か」
「何がですか?」
全く解っていない様子のアーサーの額に、メリオダスが指を軽く当てる。
「まあ、いいんだけどな。相手は選べよ」
「はい?」
「それはそうと、オレらの寝る場所を確保しなきゃなー。バンのベッドでいいか」
疑問符を浮かべるアーサーを放って、メリオダスは一人呟いた。そうして、階段へ向かいながらアーサーを手招きする。
「寝るぞー」
「いえ。私は別に、ここでも」
「オレがマーリンにどやされる。いいから来いって」
「……わかりました」
メリオダスの言葉に、アーサーが立ち上がる。後をついてくるのを確認して、メリオダスは二階に上がった。特に確認もなくドアを開けると、窓辺にいたキングが声を掛けてくる。
「団長。どうしたの?」
「マーリンに部屋から追い出された。バンは寝てるか?」
メリオダスがちらりとベッドを確認すると、バンが大の字で寝転がっている。
「いつも通り酔いつぶれてぐっすりだよ」
「そりゃ良かった」
メリオダスはベッドに近付くと、バンの体を転がして床に落とす。突然の荷重に床が軋んだのと、アーサーが驚きの声を上げたのは同時だった。
「よっし。アーサー、寝ようぜ」
「いや、メリオダス殿。流石にそれは。私は床でも構いませんので」
なんでもないように言うメリオダスに、アーサーは慌てて首を振る。そして床に落とされたバンに近寄った。
「あの、大丈夫ですか?」
アーサーがバンの様子を窺う。ベッドから落とされたというのに、バンは気持ち良さそうな寝息を立てていた。戸惑うアーサーにキングが声を掛ける。
「大丈夫だよ。バンは一度酔いつぶれたら朝まで起きないから」
「しかし、床では体が冷えてしまいます」
「それも平気だ。バンはよくベッドから転がり落ちてるしな」
遠慮がちなアーサーに、メリオダスは言う。そして自分はさっさとベッドに潜り込んだ。
「オレは先に寝るぞ」
それだけ言って、メリオダスはアーサーに背を向ける。いまだ戸惑う気配の後、少ししてアーサーの溜息が聞こえた。
「……失礼します」
小さな声とともに、衣擦れの音がしてアーサーがベッドに入ってきたのがわかる。
「おやすみなさい」
ぽつりと呟くような言葉の後、部屋には静かな時間が訪れた。
メリオダスは背中を向けたままアーサーの寝息を感じる。それが一定のリズムに落ち着いた後、メリオダスが体を反転させてアーサーを見た。近くで見るアーサーの寝顔は、随分幼いものだ。そっと手を伸ばして、頬に触れると、若い肌は柔らかくメリオダスの手を楽しませた。頬を撫で、そのまま顔のラインに手を沿わせると、くすぐったかったのかアーサーが身じろぎする。それを気にせずメリオダスは頬から顎まで沿わせた手をアーサーの首元に寄せた。指先に小さな鼓動を感じる。
ふっとメリオダスが優しい吐息を零した。
「団長」
そこにキングの小さな声が掛かる。
「オイラまだ起きてるからね?」
その声に、メリオダスはにやりと笑って言う。
「知ってる」
「うわ、タチ悪い」
嫌そうに呟いたキングの言葉を無視して、メリオダスはもう一度アーサーの頬を撫でてから手を離した。
「おやすみ、アーサー」
優しい声は、深い眠りの中にあるアーサーには届かなかった。