◆君(あなた)がかけた魔法
「よう、アーサー」
「メリオダス殿」
執務室で公務に励むアーサーの元に顔を出したのは、キャメロットに短期滞在中のメリオダスだ。一国の主に向かうには随分とフランクな様子で話しかけて来た彼は、執務室のドアを通って中に入って来た。
「お前、今、食べ物持ってるか?」
「食べ物、ですか? 生憎持ち合わせておりません」
意図を隠した質問に、アーサーは首を傾げて素直に答える。それを聞いたメリオダスは、にやりと笑うと続けた。
「おし。じゃあ、ちょっとそのまま座ってろ」
「はい」
返事をしたアーサーは、近付いてくるメリオダスを見る。彼は、書類の積まれた大きな机を回り込んで、アーサーの座る椅子の傍までやって来た。すぐ隣に立つメリオダスを、アーサーは不思議そうに見上げる。
メリオダスは、そんなアーサーの額に手を伸ばすと、顔に掛かった前髪をそっとかきあげた。そうして、その額の真ん中に唇を触れさせる。小さなリップ音を残して、顔を上げた。対するアーサーは、状況がよくわからないのか、きょとんとした顔をしている。左手で自らの額に触れると、やっぱりよくわからなかったのか首を傾げた。そんなアーサーを見て、メリオダスは目論みが外れたと言わんばかりに眉を寄せる。
「お前な」
「はい?」
「あんまり素直なのも問題だぞ?」
小さくため息を吐く彼を、アーサーは瞬きをして眺めた。それから、にこりと明るい笑みを浮かべる。
「なんだかよくわかりませんが、ご心配頂きありがとうございます!」
悪戯を仕掛けてお礼を言われたメリオダスは、珍しく呆気にとられたような顔をしてアーサーを見た。その視線を受けたアーサーは、何を勘違いしたのか心得た顔をして、右手に持ったペンを置く。
「お腹が空いておられるのでしたら、今から食堂にでもいきませんか?」
思惑とは外れたその提案に、メリオダスはバツが悪そうに後ろ頭を掻きながらも同意した。
◆お菓子をくれなきゃ
それは、メリオダスがアーサーの執務室を訪れる数時間前のこと。
「団長殿じゃないか」
「よう、マーリン」
店の買い出しに出た帰りの街中で、メリオダスはマーリンとばったり出会った。大荷物を抱えたメリオダスを見て、彼女が面白そうに笑いながら言う。
「団長殿。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ?」
「なんだそれ」
マーリンの言葉に、メリオダスは不思議そうな顔をした。すると、彼女は楽しそうに、「収穫祭に行われる子どもの遊びだ」と説明を寄越す。
「で。お菓子はあるのか?」
「あるわけねえだろ」
「では、悪戯だな?」
マーリンが人の悪い笑みを浮かべる。メリオダスは嫌な予感に襲われたが、彼が何かするより先に彼女が動いた。荷物で両手の塞がったメリオダスの前髪を、右手でかきあげると、その額に唇を押し付ける。麗しい女性が少年の額にキスを贈った光景に、周囲の住民が響めいた。羨ましい、という声すら聞こえる。
「では、またな。団長殿」
目を丸くするメリオダスに、満足そうな顔をしたマーリンが手を振る。その後ろ姿は、すぐに人混みに掻き消えた。後に残されたのは、両手を荷物で塞がれ立ち尽くすメリオダスのみ。
結局、メリオダスは額にキスマークをつけたまま往来を歩き、店まで戻ったのだった。
◆君にしか解けない魔法
アーサーが人目を忍んでやってきたのは、メリオダスが店じまいをしている時だった。<豚の帽子>亭の扉が遠慮がちに叩かれる音に、メリオダスが気付いて扉を開く。そこには、マントに身を包んだアーサーの姿があった。
「メリオダス殿。夜分遅くに申し訳ありません」
その言葉と同様に申し訳無さそうな様子の彼を、メリオダスは中に招く。手近な椅子を勧めると、アーサーはそれを辞退した。
「何かあったのか?」
メリオダスを見下ろす彼は、どこかそわそわと落ち着きが無い。メリオダスの質問に、何時もならすぐに答えを寄越すアーサーが言葉に詰まった。珍しいこともあるものだと、メリオダスは彼を観察する。
「いえ。あの……マーリンから聞きました」
アーサーの言葉は尻窄みになり聞き取れない。メリオダスは耳に手を当ててアーサーに一歩近付いた。すると、アーサーがどこか恥ずかしそうにしながらも、小さな声で言った。
「お菓子をくれなきゃ、悪戯します」
予想外のその言葉に、メリオダスは驚く。瞬きをしてアーサーを見ると、彼は頬を染めて顔ごと視線を逸らした。その様が何やら可愛らしく見え、メリオダスは楽しそうな笑みを浮かべる。
「酒場に来てお菓子か?」
「ええと、はい」
「無いって言ったら?」
メリオダスの言葉を聞いたアーサーは、逸らした視線を合わせる。
彼の右手がメリオダスの前髪に触れた。それを遠慮がちにかきあげると、アーサーが腰を折りメリオダスの額に唇で触れる。唇は、ほんの一瞬で離れた。彼は、今度こそ耳まで赤くして顔ごと視線を逸らす。
「……悪戯です」
小さく呟いたアーサーは、そのまま身体を反転させて、ドアから外へ出る。残されたメリオダスは、彼が触れた額に手を伸ばすと、ゆるりと笑った。