ごく稀に、こっそり<豚の帽子>亭に訪れることのあるソイツは、来て早々に、軽い挨拶のような口ぶりで言った。
「メリオダス殿。私の恋人の真似事をしてくれませんか?」
「ダメ」
即断する短く完全な否定。
それを聞いた目前の人間は「ですよね」と苦笑いを浮かべる。
「断られることがわかってたんじゃねえか」
カウンターの内側で、グラス磨きを再開しながら呆れ顔をすると、彼は視線を斜め上に逸らした。
「貴方の気まぐれに期待しなくもなかったような?」
「面白がってOKしてやっても良かったけど、あっさり引き下がったし、ナシな」
「ははは」
なにが面白いのか、相手は爽やかに笑ってみせる。
「要件はそれだけか?」
「いいえ、もう一つ」
「どーぞ」
先を促すと、彼は出会った頃と変わらない真っ直ぐな瞳でこちらを見た。そして片手を差し出す。
「私と、付き合ってください」
迷いのない声に、ほんの少し呆気に取られてしまったのは仕方のないことだろう。
「……断ったよな?」
「真似事は断られてしまいましたね」
「あー……確かにな」
彼の言葉に嘘は無い。
出会った少年の頃は、不器用なくらい真面目だったが、あれから数年を経て立ち回りは上手くなっている。本心では無い言葉を、極めて平静に口にする技術も身につけていた。とはいえ、自分に看破出来ぬレベルでは無い。
「はい。では返事を聞いても?」
だってほら、こいつは今、断られることを予測しておいてなお、怖がっている。
ほんの少し、常人にはわからぬ程度に張り詰めた声。
「そうだな、いいぜ」
差し出された手を、軽く握り返してやる。すると、相手は何度か瞬きをした。
「……。あれ、いいんですか?」
「不満なのか?」
「まさか! 嬉しいです。今までの人生で一番の戦果ですよ!」
子どものように破顔して、握った手を両手で握り返してくる。自然と距離を詰めてきた顔。その額を、空いた手の人差し指で押し返しながら、聞いた。
「そりゃ良かった。で? 何が望みだ、アーサー」
そもそも、ただ告白がしたかっただけなのであれば、『恋人の真似事』などを持ち掛けてくる理由がない。真似事を頼んだ以上、それに付随する望みがなければおかしいだろう。
すると、彼は握っていた両手を離し、「かなわないなぁ」と頬を掻く。
「着飾って、私と舞踏会に出ていただければ。もちろん、恋人として」
「それなら、女装ってことか」
「ええ、そうなりますね。実は少し面倒なことになっておりまして……。自衛が出来て秘密も守れる女性を探す時間もなくて、困っていたのです」
「ふぅん。それで終わり?」
面倒だという理由に首を突っ込む気はないので、先を促してみる。そこを流されると思わなかったのか、アーサーはほんの少しの思案ののち言った。
「そのあとは、そうですね、私の部屋でお茶会でもしませんか?」
にこりと笑んでの言葉は純粋なものだろう。だからこそ、ほんの少し弄ってやりたくなるのも、人の心情というものだ。
「付き合ってすぐ部屋に誘うとは、お前やるなぁ」
相手はその言葉の意味がすぐには分からなかったようだ。ゆるく首をかしげて、視線を上方へやる。しばし考え、ようやくその意味に至ったようで、その頬にじんわりと朱がさした。
「え? あっ、あのっ、そういう意味ではなく! 単純にゆっくりお話がしたいと!」
懸命に言い訳じみた言葉を口にする彼に、さらに追い打ちをかける。
「そういう意味って、どういう意味なんだ?」
「め、メリオダス殿! からかってますよね?!」
眉を寄せてほんの少し怒ったような雰囲気を出そうが、頬が赤い果実のように染まっていては可愛らしさしか感じないことは、恐らく理解してはいまい。
「別にからかってねえけど?」
「……とにかく、言葉通りの意味ですから」
相手はすっかり拗ねてしまったのか、唇を尖らせ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。年にそぐわぬ、まるで子どものような仕草は、それだけ心を許されているような気がして悪いものではないと思う。
そう思う時点で、自分はアーサーのことをそれなりに好んでいるらしい。
まあ、好意的に思っていなければ、相手の真摯な思いに、たとえ気まぐれであろうと答えようとは思わないわけだが。
「……メリオダス殿、何がおかしいんですか」
いつの間にか笑っていたらしい。横目で見て、不服そうに言う彼の頬に手を伸ばした。柔らかな肌を、人差し指と親指でつまんでやんわり伸ばす。
「いや。いつ、お前が機嫌直すかなって」
「私の機嫌を取りたいのであれば、頬を引っ張らないでください」
「えー?」
「えー、じゃなくて」
「ん。じゃあさ、もうちょいコッチ」
手招きすると、アーサーは渋々といった様子でカウンター側に身を寄せた。その近づいた首元にするりと手を回して、ぐっと引き寄せる。
「わ!」
カウンターに上半身を乗り上げる形になった彼の、無防備な鼻先を唇で食む。驚いたのか、びくりと体を揺らした相手に構わず、さらに引き寄せて唇の端にリップ音を立てて触れた。少し離れ、額同士を触れ合わせる。
「どうだ?」
瞳を見つめながら訪ねてやれば、アメジストの宝石に若干の照れが混じる。
「……って。何が、ですか」
「機嫌は直ったか?」
すると、彼は不服そうに口元を引き結んだ。
「まだご機嫌斜めなら、そうだな」
笑みを深くして、アーサーの耳元に囁く。
「今なら誰もいないから、オレの部屋に来るか?」
声に含まれた色を感じ取ったのか、目の前の耳まで薄赤く染まった。
それと同時。彼が腕を突っ張り、無理やり距離を置かれる。その力に逆らわずに離れてやると、カウンターから二歩離れたところに、視線を斜め下にやって囁きを込めた耳を押さえたアーサーの姿が見えた。真っ赤になりながらも、どこか悔しそうにしている。
「返事は?」
「行きません。この後、お願いした件について打ち合わせ等もしたいので」
「そりゃ残念」
おどけて肩をすくめてみせると、相手は背を向けていくつか並んだ円卓の椅子に座る。それを見て、自分もそちらに向かおうとカウンターを出た時。
「……私室には、機会を改めてお誘いします」
わずかに震える声がそう言った。
足を止めて彼の方を見ると、こちらに背を向けて姿勢よく椅子に座っている。その為、彼の表情は見えない。
しかし、その髪の隙間から覗く耳は、変わらず熱を持ち。
「楽しみにしてるぜ、アーサー」
自然と笑みを浮かべ、メリオダスは軽い足取りで席に着いた。
END
*おまけ*
「その話し合い、私も参加しても構わないだろう?」
「マーリン、いたのかよ」
「団長殿は、我が王が護衛も付けず、キャメロットから離れた場所へ突然現れたと思っていたのか」
「お前、ほとんど顔見せねえからな」
「そういえばそうだね。どうして? マーリン」
「それはな。甘すぎる砂糖菓子は、時折味わうだけで十分だからさ」