「ねえ、マーリン。お話しして」
もう眠りなさいとベッドに押し込められてランプの明かりを消され、一人きりになった部屋で潜めた声を発した。すると、中空にランプとは異なる柔らかな明かりが現れる。
「眠りなさいと言われただろう?」
「うん、けど眠くない」
「やれやれ、仕方の無い子だ」
明かりに照らされ浮かび上がった女性は、布団から顔だけを出して強請るような視線を向ける少年の傍に歩み寄った。彼が横になるベッドの端に腰掛けると、その前髪を掬い上げる。
「寝物語は一つだけだぞ」
「じゃあ、団長殿の話がいい!」
ぱっと顔を明るくした少年に、女性が小さく息を吐く。
「本当に団長殿の話が好きだな、アーサー」
「うん、好き。僕も会ってみたいなあ」
「いつか会えるだろう」
穏やかな目をして言った彼女に、少年が目を瞬かせる。それから、上目遣いで女性を見た。
「本当?」
「私がお前に嘘を吐いたことがあったかな」
「……えへへ。だとしたら、嬉しいなあ」
少年が幸せそうな笑みを浮かべると、彼女がその頭を撫でる。
「さて、今日はどの話にしようか……」
期待に目を輝かせるアーサーを見て、マーリンはにこりと笑った。
はっと目覚めると、目の前にはメリオダスの顔があった。夢と現の判別がつかず、目を瞬かせる。
「えっと。あれ?」
「なーにが、あれ? だ。仕事放っといて居眠りですか、オウサマ」
「あ、……すみません!」
改めて状況を把握しようと努める。どうやらここは執務室のようだ。自分はいつもの椅子に座って、メリオダスの言葉が正しいなら居眠りをしていたらしい。どうにも夢が現実味を帯び過ぎていて、なかなか今の状況が理解出来ない。
「お目覚めのキスが必要で?」
「え? へ!?」
にやりと意地が悪い笑顔を浮かべる彼を見て、余計に混乱に陥る。そんなアーサーの様子に満足したのか、メリオダスが一歩距離を取った。離れていく彼の顔にほんの少し安心して息を吐く。その額を彼の指が突いた。
「露骨に安心するなよ、傷付くだろ」
「いえ、そんなつもりは!」
「ならキスしてやろうか?」
「え、あの、それは。って、なんでそんな話になるのですか!」
にやにやと笑うメリオダスを見て、ようやく自分が揶揄われていることに気付いた。いつもの調子を取り戻したアーサーの頬を彼が突く。
「オレが尋ねて来たのに、居眠りしてた方が悪いんだろ」
「それは、すみませんでした」
素直に謝ると、メリオダスが頬を突く手を止める。それからアーサーの顔色を見るようにじっと見つめて来た。
「どうしました?」
「ん。体調が悪い訳じゃなさそうだな」
その言葉に、自分が心配されていたのだと気付く。謝ろうと口を開きかけたら、手で塞がれた。
「別に謝って欲しい訳じゃないぜ」
そう言って彼は優しく笑う。
「ただ、寝るんならちゃんとベッド行けよ。風邪ひくから」
メリオダスの手が口元から離れていく。
「ありがとうございます、メリオダス殿」
そう告げて笑うと、メリオダスが満足げな顔をした。
幼い頃の自分は、彼が英雄であると思っていた。
憧れていたし、尊敬していたし、眩しく思っていたのだ。けれど、実際にメリオダスと出会って、共に時を過ごし、彼の人となりに触れてからはそんなことを思えなくなった。
アーサーは今でもメリオダスを尊敬している。憧れてもいるし、眩しいとも思う。けれど、英雄という枠に入れておくことは出来なくなっていた。何故なら、彼がただの人であると気付いたからだ。
確かに彼は武勇に優れている。常人では成し得ないことも成し遂げている。けれど、だからといって一人で何もかも出来る訳ではない。弱い部分も、それを隠して強がろうとする部分もある。出会い、共に旅をし、その人となりに触れてみて初めてわかる部分があった。それは決して彼を貶める材料ではなく、むしろさらに魅力的に見せるものであったのだ。
それに気付いて、アーサーはメリオダスのことを英雄として扱うことが出来なくなった。物語の存在ではなく、同じ世界を生きているものとして見てしまったのだ。それは結果的に良かったと思う。もし自分が、彼を英雄として見続けていたら、メリオダスは気軽にキャメロットに遊びにきたりはしなかっただろう。
そんなことを考えながら、隣を歩く彼を見た。昼下がりの庭に視線を向けるメリオダスの表情は柔らかい。アーサーが彼を英雄として見ていたのなら、こんな表情すら見せてもらえなかっただろう。
視線に気付いたのか、メリオダスがアーサーを見上げる。
「どした?」
「いえ。特に何も」
「にやけてるぞ」
「えっ、そうですか?」
慌てて顔を引き締めると、彼がおかしそうに笑う。
「ははっ、変な顔してんな」
それを見て、自然と頬が緩むのを感じた。浮かんだ気持ちを、そのまま口に出す。
「幸せ、だなあって思ったのです」
「……」
すると、メリオダスが驚いたような顔をした。それから、左手で口元を覆う。
「そりゃ、良かった」
呟かれた言葉はどこか頼りなくて、ああ、この人は今照れているのかもしれないと思った。
幼き頃憧れていた英雄は、隣を歩く人となったのだ。