そんな未来を待っている

「いやあ、本日はお招き頂きありがとうございます」
 <豚の帽子>亭の円卓には、ささやかながらも沢山の料理が並んでいた。その円卓を前にした一人の少年が、人好きのする笑みを浮かべて礼を述べる。金髪の少年は、地味だが仕立ての良さそうな服を着ていた。その所作は丁寧で、一見して育ちが良さそうだとわかる。しかし、その顔に浮かぶ満面の笑みが、彼を随分と親しみやすく見せていた。
「おー。まぁ、たいしたもんはねぇがゆっくりしてってくれ。アーサー」
 対して、それに答えたのは、アーサーと呼ばれた少年より、さらに小さな少年だ。子どもと呼んでもいいその見た目に反して、落ち着き払った態度は彼を大人びて見せている。
 実際の所、彼、メリオダスはアーサーより随分と年上だった。
「どうぞおかまいなくっ!」
「構うだろ。お前は客なんだし」
 明るいアーサーの言葉に、メリオダスが表情を変えずに突っ込む。そんな二人を見て、小さく息を吐くように笑ったのは、美しい暗灰色の髪を流れるままにした女性だ。随分と露出の高い服を着ている。
「マーリン、お前もゆっくりしてけよ」
「ありがとう、団長殿。そうさせてもらう」
 艶めいた声でそう言ったマーリンは、その目元を細くして笑顔を作る。そこに、銀髪の青年と赤みのある紫の髪の青年が追加の料理を運んでくる。
「これで、一通り終わりっと♪」
「調理完了だ」
 テーブルの空いた所に大皿を置いた二人は、それぞれが椅子に座った。
「おー、お疲れ」
「ありがとうございます。バン殿、ゴウセル殿」
 労いの言葉を掛けたメリオダスは、視線を開かれた窓の外に向ける。外では、濃い琥珀色の柔らかそうな髪を二つに結わえた巨人族のディアンヌと、クッションとともに空に浮かぶ妖精族のキングが、その視線を受けて手を降った。
「じゃー、始めるか」
 店の主人であるメリオダスが、カウンターの中からジョッキを掲げる。みなそれに習い、自分のジョッキを掲げた。

 本来なら客の立場であるアーサーは、言われたわけでもないのにホストのようにあちらこちらと動き回っていた。バンのジョッキが空なら酒をつぎ、ゴウセルと物語の話に花を咲かせ、ディアンヌの野性味溢れる料理に舌鼓を打ち、キングの霊槍に目を輝かせ、喋る豚であるホークに興味津々だ。
 それを見ながら、メリオダスとマーリンはカウンター越しに酒を交わしていた。
「よく動くな、あいつ。ウエイターの才能あるんじゃねえ?」
「キャメロットの王をウエイター呼ばわりかい。そういえば、この店は王女に給仕をさせていたんだってね」
「働かざるもの食うべからず、だろ」
 ニヤリと笑って見せるメリオダスに、マーリンも笑みを返す。そして、彼女はゆっくり辺りを見回して言った。
「今日は、王女は居ないのかい?」
「ああ、エリザベスは仮にも王女だからなぁ。色々忙しいみたいだぞ」
 メリオダスが空になった自分のジョッキにエールを注ぎ込みながら答える。その感情の浮かばない横顔を眺めていたマーリンは、自分のジョッキに残った酒を飲み干すと、それをメリオダスの方に差し出した。ゆらりと、小さくジョッキを揺らす。
「いい加減、どうにかしてやらないのかい?」
 細く白い手で頬杖をつきながら、マーリンが主語を抜いた問いを投げる。それに対して、メリオダスは小さく首を傾げてマーリンを見た。
「どうにかするも何も、なんもねえさ」
 そう言って、メリオダスはマーリンの空いたジョッキに追加の酒を流し込む。再び満たされたジョッキに少し口をつけたマーリンは、すぐにそれをカウンターに置いた。そして酷く意地悪そうに笑う。
「逃げの一手とは団長殿らしくもないな?」
「何から逃げてんだよ」
 さらりと即答するメリオダスに、マーリンは小さくため息をつくと、その両手を組んでそこに顎を乗せた。少し懐かしむような目をして、語り始める。
「王女を見ていると、幼いアーサーを思い出すのさ。私の後を、親を覚えたての雛のようについてきては、好きですと囀っていたものだ」
「へえ。そりゃ随分可愛らしいな」
 興味をそそられたようなメリオダスに、気を良くしたマーリンは目を細めて続けた。
「だろう? 将来は私と結婚すると言って…」
「マーリン!!」
 調子も良く話続けるマーリンを、新たな声が遮る。二人が声の方に視線を向けると、顔を真っ赤にしたアーサーの姿があった。
「お、雛の登場だ」
 メリオダスの言葉を聞いて、赤い顔をしたアーサーが足早に2人に歩み寄る。メリオダスの正面にあるカウンターチェアの側に立つと、噛み付くように言った。
「雛ではありません! 大体そんな昔の話…」
「今は嫌われているようだ」
「そりゃひでえ」
 否定の言葉を述べるアーサーに、マーリンが少し目を伏せて悲しそうな声を出す。その演技に乗ったメリオダスが、マーリンの肩に手を置いて慰めるように言葉を重ねたせいで、アーサーは慌てた様子でマーリンに視線を向けた。
「好きに決まっています! ただ、あの頃は色々と幼くて、親愛も友情も憧れも愛情も、何もかも一緒にしていたんです」
 真摯に言葉を選んで伝えるアーサーに、マーリンが伏せた目を開く。マーリンの瞳に見つめられたアーサーが、恥じ入ったという様子で目を逸らした。
「未熟者でお恥ずかしい」
「まるで今は分別のついた大人であるかのような発言だ」
 そんなアーサーの額を小突いたマーリンは、楽しそうに言った。言葉はきついが口調は酷く柔らかい。しかし、それには気付かなかったのか、アーサーが露骨に肩を落とす。
「いいじゃねえか。こいつも頑張ってんだろ?」
 そこに助け舟を出したのはメリオダスだ。彼はアーサーに視線を向けると、ほんの少し笑みを浮かべる。
「メリオダス殿…!」
 感極まったかのようにメリオダスの名前を呼ぶアーサーに、マーリンは少し面白くなさそうに言った。
「おや、親鳥役を取られたようで悲しいな」
「ははは」
 その言葉にメリオダスが笑う。しかし、アーサーは急に、その顔に真面目な表情を浮かべてメリオダスを見た。
「お、親鳥だなんて、思っていません」
 アーサーの紫水晶の瞳がゆるりと輪郭を滲ませる。その瞳の奥に灯るものは、小さな熱だ。
 メリオダスが何も声を掛けずにいると、アーサーはふわりとした笑みを浮かべた。
「貴方は、私の……」
 最後の声は掠れて誰の耳にも届かない。ぐらり、とアーサーの身体が傾いで、カウンターテーブルに向けて倒れ込んだ。メリオダスが反射的にその頭を支えたお陰で、アーサーはテーブルとの激突を免れる。
その一部始終を見ていたのか、バンが歩み寄って来て、アーサーの隣にあるカウンターチェアに腰掛けた。
「おー、なに。アーサー潰れたの? 団ちょ」
「みてーだなぁ。そんなに飲ませたのか」
 アーサーの顔が赤かったのは、恥ずかしい昔話のせいだった訳ではない。アーサーはただ酒に酔って耳まで赤くしていただけなのだ。
「ああ。飲み比べは俺の勝ちィ♪」
「カモにするなよ」
 楽しそうなバンに、少し目を据わらせたマーリンが冷たく言い放つ。それを見たバンは楽しそうに口笛を吹いた。
「じゃ、マーリン、変わりに勝負といこうじゃねえか」
「敵うと思っているのかい?」
「イイねえ」
 立ち上がったマーリンは、バンを連れ立って酒瓶の並ぶテーブルへと向かう。そんな二人の背を見送ってから、メリオダスはアーサーに視線を戻した。アーサーは、幼さのにじみ出る健やかな顔で眠りについている。その様子に、小さくため息をついたメリオダスは、アーサーをカウンターに寄りかからせてカウンターの外に出た。アーサーの元へ回り込むと、その身体を軽々と両肩に担ぎ上げる。メリオダスはちらりとマーリン達の様子を見た。彼女らは、既にジョッキを傾けている。ゴウセルはジョッキを傾ける二人の傍でジャッジを任されているようだ。声を掛けても無駄だろうと判断して、メリオダスは階段に向かった。自分より体格に恵まれている大の男を担いでいるというのに、普段と変わりないような足取りで階段を登る。そうして2階の自室に辿り着くと、足でドアを開けて中に入った。ベッドの傍まで歩いて行くと、担いだアーサーを乱雑にベッドに落とす。「ぐ」と短いアーサーのうめき声がした。メリオダスは軽く首を左右に振ると、アーサーに背を向けて部屋を出ようとする。だが、その背に声が掛かったことによって、それは阻まれた。
「まっ、て」
 掠れたその声は、静かな部屋にやけに大きく響いたような気がして、メリオダスは振り向く。視線の先には、ベッドに埋もれているアーサーが居た。
「なんだ、起きたのか。いいからそのまま寝てろよ」
 メリオダスが声を掛けると、アーサーはやっとメリオダスの姿を認めることが出来たようで、その顔に幼い笑みを浮かべた。そうして、心から、と言った様子で言葉を紡ぐ。
「私は、貴方のことを、好いています」
「そりゃ、どうも」
 メリオダスはどうとも取れないような言葉を返した。すると、アーサーは少し眉根を寄せて唸る。
「そうじゃなくて、……ああ、うまく頭が回らない」
「だから寝ろって」
 ベッドに倒れ込んだまま思い悩むアーサーに、メリオダスは再度就寝を促す。だが、アーサーはその言葉を聞かなかった。酒に溶けた瞳で、一心にメリオダスを見る。まるで視線を外せば居なくなってしまうとでもいわんばかりだ。
「メリオダス殿。これは、親への愛情じゃなくて、友人への愛情でもない。貴方だけへの、愛情です」
「……」
「僕は、貴方が好きです」
 そう言って、アーサーは溶けるような笑顔を浮かべた。その笑顔を見たメリオダスが、ほんの一瞬、目を見張る。そして、口を開いてすぐに閉じた。メリオダスはその顔に宥めるような笑みを浮かべると、再度口を開いた。
「……マーリンから聞いたぜ。お前、俺のファンだったんだろ。それは、その延長線上でしかない感情だ」
 それは、否定でも肯定でもない言葉だ。だが、この場合、肯定でないということは否定なのかもしれない。メリオダスの表情からは、感情は読み取れない。だた、その口元に笑みを浮かべていた。
「……そう、ですね。貴方がそう言うなら、貴方にとってはそうかもしれない」
 アーサーはシーツに埋もれるようにして、そう呟いた。それはどこか独白めいている。それから、アーサーはよろよろとした動作で、ベッドの上に半身を起こす。そうして、態度を改めた。
「我が国の聖騎士長になってほしいという話は、覚えておられますか?」
「ああ」
 急に毅然と話し出したアーサーに、メリオダスは変わらぬ態度で明確な返答をした。その言葉に、アーサーはほっと息を吐き出す。
「良かった。……私は、諦めてはいません。貴方は我が国に必要な人だと、そう確信していますから」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳に、メリオダスは両腕を組んで首を傾げた。それから、率直な言葉を返す。
「お前、俺に何を求めているんだ」
 それはきっとメリオダスの本心だろう。その言葉を受け取ったアーサーは、間髪入れずに答えた。
「色々ありますが、一番は、私が道を誤った時に止めてくれることを望んでいます」
「止めるって言われてもな……。お前にはマーリンが居るだろ?」
 アーサーの言葉に、メリオダスは右手で後ろ頭を掻いた。あくまでも自分である必要はないと主張するメリオダスに、アーサーは少し困ったように笑う。
「彼女は、私に優しすぎます」
「そうか?」
「私は人生の半分以上の時間をマーリンと過ごしています。彼女は私にとってかけがえのない人です。彼女にとっても、私の存在は小さくないと思っています。それに、彼女は元々愛情深い人だ。一度懐に入れてしまえば、ひどく優しい」
 メリオダスは少し目を伏せて語るアーサーを見た。何もわかっていないようでいて、よく人を見ていると思う。アーサーが喋り終わったせいで、部屋には沈黙が訪れた。メリオダスは、暫く無言でアーサーを眺める。そして言った。
「肝心の俺が、暴走したらどうするんだ?」
「その時は、私が貴方を止めます」
 問いかけに、アーサーは即答した。真っ直ぐな偽りの無い言葉だ。メリオダスには眩しい位に感じて、口を閉ざした。すると、それをなんと思ったのか、アーサーがにっこりと笑顔を浮かべる。
「大丈夫ですよ。これからどんどん強くなる予定ですから」
 胸を叩いてそう言ったアーサーに、メリオダスから自然と笑みが零れた。
「そりゃ、頼もしいな」
 発した声は楽しげに揺れる。そんなメリオダスに、アーサーは少し身体の力を抜いた。
「ええ、頼りにして下さい。……あなたに頼りにされるなら、誰から頼られても倒れないで居られる」
 ベッドの上で静かな微笑みを浮かべるアーサーの言葉に、メリオダスがその足をベッドに向ける。すたすたと歩いてアーサーの傍にやってくると、その右腕を伸ばした。
「アーサー」
「はい」
 優しい声でアーサーの名を呼んだメリオダスは、伸ばした手のひらで彼の額に触れる。そのままベッドに押し付けるように力を加えた。特に何の抵抗もなく、アーサーはベッドに倒れる。
 メリオダスはそのまま手を目元にずらして、アーサーの瞳を柔らかく覆って言った。
「今日はもう寝ろ。……寂しければ、寝るまでそばにいてやる」
 メリオダスの手のひらを、アーサーの睫毛がくすぐる甘い感覚がした。アーサーが小さく息を漏らす。笑ったのだろう。
「子どもじゃないんですから、大丈夫です」
「そっか。じゃあ、おやすみ、アーサー」
 アーサーの言葉に、メリオダスはあっさりと引き下がった。アーサーの目元からそっと手を離すと、その顔を見ることなく背を向ける。
「はい、おやすみなさい」
 その背に声を掛けたアーサーは、どこか寂しそうに目を細めてメリオダスを見送った。

「なんだ、団長殿。戻ってきたのか」
 メリオダスが階下に戻ると、酒に酔って上機嫌なマーリンが迎えてくれた。バンは机に突っ伏して眠っている。勝負はマーリンが勝ったのだろう。メリオダスは「ああ」と言ってマーリン達の居るテーブルに向かうと、ゴウセルが意外そうに声を掛けてきた。
「そのまま抜けるのかと思っていた」
「振られちまった」
「それはそれは、御愁傷様」
 からっとしたメリオダスの答えに、マーリンが楽しそうに笑う。ゆるりと目を細めて、メリオダスに向けて持っていたジョッキを差し出した。まだ酒の残ったそれを受け取ったメリオダスは、気にせずそれを煽る。中は、舌に残る甘みのあるエールだった。
「あの子は結構固いからね。つまみ食いはさせてくれないさ」
 空になったジョッキを受け取りながら、マーリンが言う。その言葉に、メリオダスは後ろ頭を掻きながら、天井を見上げた。
「別に、そんなつもりはねーんだけど」
 小首を傾げるメリオダスを、ゴウセルが無機質な瞳で観察する。
「団長は、アーサーが好きなのか」
 ゴウセルが言った瞬間、マーリンが勢い良く吹き出した。耐えられない、とばかりに笑い続けるマーリンを見ながら、メリオダスが答える。
「どうだかな」
 あっさりとした返答は、どちらにも取れるようなもので。
 答えを保留されたゴウセルは、ぱちりと一つ瞬きをした。 

 

2014/10/26

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