白い彼岸花をきみに

 じいちゃんに連れられて初めて獪岳と顔を合わせたとき、獪岳からは明らかな拒絶と、ほんの少し悲しげな音がした。まるで、花盛りを前に手折られた可憐な花のようだと思ったことを覚えている。
 それから、獪岳は俺のことを見えていないかのように扱った。その扱いが変わったのは、じいちゃんが揃いの柄の着物をあつらえ、俺と獪岳に渡してからだった。今考えると、あの時に彼の自尊心を傷付けたのだ。見えないものだった俺のことを、じいちゃんが平等に扱おうとしている。それは獪岳にとって自分を否定されるに等しかったんだろう。
 そうして、獪岳は俺のことを邪険に扱うようになった。じいちゃんの手前、直接的に暴力を振るわれるようなことはなかった。けれど、とにかく俺の存在が気にくわないようで、彼はどんどん苛立ちと怒りを募らせていった。俺が視界に入るだけで、俺の声が耳に届くだけで、獪岳の中で抑えきれない負の感情が膨らんでいく。でも、俺にはそれを止めるすべがなかった。じいちゃんは、獪岳も俺も平等に育ててくれたからだ。


 あれはいつだったか、消えろと言われ、柔い果実を投げ付けられた日の夜。俺は布団を抜け出して外に出た。空には三日月が浮かんでいて、雲はほとんどなく明るい夜だった。俯きがちにゆっくり歩く。じいちゃんの家が見えなくなるくらいまで歩いて、立ち止まった。
 存在を否定されることは、別に悲しいことではない。出来れば認めてもらいたいけれど、自分が認めてもらえるほどの人間であるとも思えない。努力はするが結果に繋がらず、すぐに泣いて逃げてしまうような奴を、認めてくれる人は希少だ。それはきちんと理解している。
「獪岳は、どうなれば満足するんだろ」
 獪岳のしあわせの箱には、穴が空いていると思う。だから、彼は他者からの承認を無制限に要求しなければならない。飢えた獣でも腹を満たせば満足するというのに、獪岳の箱には穴が空いているから、いつまでも満たされることがない。それはきっと苦しくて、辛いことだ。
 俺は獪岳のことを尊敬している。泣き言も言わず、ひたむきに努力を続ける背中を追いかけることは嫌いではない。獪岳は、俺にとって目標足り得る人物だ。
「俺が居なかったら、獪岳は満足したのかな」
 口にして、その言葉の甘ったるさにほんの少しだけ泣きたくなった。
「善逸」
 そんな俺に、声が掛かる。振り向くと、じいちゃんがゆっくりこちらに歩いて来るところだった。
「獪岳と、何かあったか」
 隣に並び、俺を見る瞳には、労わりと僅かな陰りが見える。じいちゃんは本当に優しい人だ。修行の時は死ぬほど厳しいけど。
「いつも通りだよ、じいちゃん」
 そう、いつも通りだ。石を投げられなかっただけ、獪岳は優しい。石は当たると痛いし、痛いのは嫌だ。
「そうか」
「うん」
 応えてその場にあぐらをかいて座り、夜空の月を見上げる。星々のきらめきの中に浮かぶ月は、とても美しく、けれど孤独であるように感じた。まるで獪岳のようだと思う。
「今日は逃げ出そうとした訳ではないようだな」
「というか、じいちゃんってなんで俺が逃げようとするとすぐ気付くの?」
「儂を舐めるな、この馬鹿」
「いっ!」
 ゴチン、と拳骨が落ちてきて、その痛みに俺は両手で頭を守る。また拳骨を食らっては敵わない。
「……善逸」
「ん?」
 頭を保護したままじいちゃんを見上げると、そこには俺の大好きな穏やかで優しい笑み。
「獪岳と、仲良くな」
 落とされた言葉は何度も聞いたもので、俺は頷いて「うん」と返事をした。


 仲良くしたい。獪岳と仲良くなりたい。俺はまだまだ弱いけど、いつか、肩を並べて戦いたい。
 そう、思ってたんだ。


「死んで当然なんだよオオ!! 爺も、テメェもォオ!!」
 ーー無限城に獪岳の叫びが響く。
 血鬼術で強化された雷の呼吸の技は、容赦なく俺の体を切りつけ、その箇所から傷が裂けていく。
 二の型、稲魂。
 参の型、聚蚊成雷。
 伍の型、熱界雷。
 陸ノ型、電轟雷轟。
 すべて獪岳には習得出来て、俺には出来なかった技だ。
 部屋だか廊下だか分からないところを落下しながら、俺は思う。
 どうすれば良かったのだろうと。どうすれば、彼は。
「俺は特別だ。お前とは違う! お前らとは違うんだ!」
 その叫びの裏に潜む、僅かな恐れの音を、俺の耳は嫌でも捉えてしまう。
 獪岳は特別だった。少なくとも俺にとっては、特別で、大切で、替えなんてない存在だった。
 ーーでも。
 くるんと体を回転させ、壁面の足場を捉える。
 ごめん、兄貴。
 声には出さず、獪岳を呼んだ。精一杯の愛情を込めて。
「雷の呼吸、漆ノ型。火雷神」
 瞬きの、間。
 俺の日輪刀が獪岳の頭と体を分かつ。理解が追いつかなかったのだろう獪岳が、困惑のまま落ちていく。少し後、頭だけの獪岳が叫んだ。
 ずるい。ふざけるな。馬鹿にしやがって。馬鹿にしやがって! そんな感情の音を聞きながら、俺は自分の意識が遠のいていくのを感じた。
「これは、俺の型だよ」
 体に力が入らない。ああ、俺、このまま死ぬのかな。
「この技で、いつかアンタと肩を並べて戦いたかった……」
 もう叶わないことを口にしてしまうなんて、生きるのを諦めてしまったみたいだって思って。
 目の前がじわりと暗く閉じていく。終わりって、こんなにあっさりとしているんだ。なんだが可笑しくなって、笑おうとして失敗した。
 そうして、最後に音も遠ざかっていった。


 ねえ獪岳。獪岳。俺はアンタのことが嫌いだ。
 でも、好きなところもあったんだ。
 弱音を吐かないところも、涙なんかみせないところも、努力を怠らないところも、いつも俺の先を歩いていたところも。
 いつか、俺がちゃんと強くなれたら、そうしたら獪岳も俺のことを見てくれる気がしてた。そんな夢みたいなことを考えていたんだ。
 でも、俺やじいちゃんがいくらアンタを認めていようが、アンタはなんにも満たされなかった。
 きっとアンタはずっと辛かったんだろう。不満を抱えて、怒りを抱えて、恐れを抱えて、ずっと。
 けどさ、アンタが歩み寄ってくれなきゃ、俺たちはどうすることもできないんだ。
 ねえ獪岳。ずっとずっと何かに怯えて、無制限の承認を欲していた君。
 アンタが大嫌いだよ。

 世界で唯一の、俺の兄貴。

 

2020/05/17

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