月夜の義善

 義勇が初めて善逸を認識したのは、所用で蝶屋敷を訪ねた帰りの月夜のことだ。夜更けの道を歩いていると、風に乗って鼻歌が聞こえてきた。随分と楽しげな声に、足を止めて視線を向ける。その先には、揺れる明かりと人影が一つ。こんな時間に一人で出歩くとは、随分と不用心だと、自らの存在を棚上げして思う。

 人影はこちらに向かってきているようで、だんだんと輪郭がはっきりしてきた。そこで月に雲がかかる。急に闇が濃くなった為、自然とフラフラ揺れる提灯の明かりにばかり目がいってしまう。その事に、ほんの少しだけ心が苛立った。

 近付いてくる鼻歌は、心底から楽しそうで。

 その時、雲と雲の隙間から落ちた月明かりが相手をきらりと照らした。

 少年だ。

 珍しい金の髪は毛先に行くにつれ夕日の色に染まる。太い眉の下には、磨かれた琥珀のような瞳。

 その透明な瞳が、義勇の姿を捉える。不思議と、僅かにささくれた心が凪ぐ。

「ーーぅわあっ!?」

 唐突に、彼が叫んだ。義勇は一つ瞬き、己の背後に視線をやる。が、何もない。

「……いやアンタに驚いたんですけど」

 若干の呆れも含んだ少年の声に、視線を戻して小首を傾げる。

「こんな夜中に明かりも持たないで突っ立ってるとか幽霊かと思われてもおかしくないと思いますよ」

「俺は幽霊じゃない。冨岡義勇だ」

「なんで自己紹介されたの、俺」

 義勇が幽霊扱いされた事に遺憾の意を示すと、彼はぽかんとした顔をして呟いた。そんな少年を、じっと見つめる。よく見ると、身にまとっているのは鬼殺隊の隊服だ。提灯を持たぬ方の手には、何故か野花を一輪だけ、大事そうに持っていた。

「……うん、まあいいや。俺は我妻善逸です。では失礼します」

 名乗ってすぐに、彼は義勇の横をすり抜けて、蝶屋敷の方へ歩み去ろうとする。その時、義勇は反射的に善逸の提灯を持つ腕を掴んでしまった。

「わ! なんですか?」

「……」

「あの、無言を返されても困るんですけど」

 困惑を見せる彼の腕を、何故か離したくないと思ってしまい、ちらりと視線を野花に向ける。

「……その花は」

「気に入ったんですか? 街外れに沢山咲いてますよ」

 親切に咲いている場所を教えてくれたが、義勇は別にその野花が気に入ったわけではない。ただもう少し、見上げてくる琥珀を見つめていたいのだと気付いた。だが、自分にもよくわからないその衝動を説明できるほど口が達者ではない。

 結果として、再び沈黙が流れた。

「えーっと。……冨岡さん?」

 善逸が困りきった声を出す。それを聞いて申し訳ない気持ちにはなったが、腕を掴んだ手の力は弱まることはなかった。

 数秒後、長い溜息を吐いて善逸が動く。手に持った野花を、義勇の胸元のポケットに差したのだ。

「はい、あげます」

 思いがけない行動に、呆気にとられて手の力が弱まる。その隙に彼は義勇の手を逃れてしまった。そのまま蝶屋敷の方へ足早に去っていく背中を眺めていると、不意に善逸が振り向いた。

「せいぜい大事にしてくださいよ!」

 そう言って、不貞腐れたように唇を尖らせると、すぐにまた背を向けてしまう。

 善逸の後ろ姿が見えなくなってからもしばらく、義勇はその場に立ち尽くしていた。

 

 後に、義勇はその出会いを回想して思う。

 子どもと大人の境に立つ彼の、まだ円やかな頬に触れたいと思ったことに気付いたその時には、すでに呼吸もままならない程に溺れていたのではないかと。

 

 

2019/11/30

web拍手 by FC2

Return