「我妻、今日は一緒に帰るぞ」
その珍しすぎる、というより一緒に暮らし始めて初めて聞いた一言に、その時の俺は吃驚して目を見開いた。別に拒否する理由もないから、今は学校の図書室で自習をしながら待っている。窓の外はすでに夕日が沈みだし、夜の時間が訪れようとしていた。
「そろそろかなぁ。急に一緒に帰るだなんて、どうしたんだろ」
図書室にはもう善逸の姿しかない。だから、疑問を口に出した。無論、その疑問に答えるものはいない。
「待たせた」
それから数分後、リュックを背負った冨岡さんが図書室に現れる。
「あ、冨岡先生。終わりました?」
「お前を待たせていると言ったら、煉獄たちに早く帰れと言われた」
「別にいいのに」
外で待っていろと言われたら困ってたかもしれないけれど、学校の図書室で待っている分には金銭的にも困らないから気にならないのにな。
ともあれ、早く帰れるならそれに越したことはない。俺は椅子から立ち上がって、鞄とプレゼントの詰まった紙袋を持った。冨岡さんの視線が、その紙袋に注がれる。
「炭治郎たちが、プレゼントをくれたんです。誕生日だからって」
「……校内への不要物の持ち込みは」
「不要物だなんて、そんな言い方しないでくださいよ」
「……すまない」
「冨岡先生に悪気がないのはわかってますから、謝らなくていいです。じゃあ、帰りましょう」
俺の言葉に、冨岡さんは頷いて歩き出す。二人で学校を出て、並んで帰路を歩いた。冨岡さんは口数の多いタイプではないから、一緒に帰っているのに静かだ。だが、気まずい時間ではない。むしろ、妙に安心する。
「……我妻」
ポケットから取り出したスマホを見た冨岡さんが、立ち止まり俺を呼び止めた。
「なんですか?」
「あの店に寄りたい」
冨岡さんが指差したのは、一軒の雑貨屋だ。ファンシーなキャラクターのぬいぐるみが店先で出迎えている。
「え? いいですけど」
「行こう」
冨岡さんはその店を目指して歩いていき、俺はその後を追う。
扉を開けると、そこは、可愛らしいデコレーションと愛くるしいキャラクターの雑貨が並んでいた。何故か、ここに行きたいと言った冨岡さんが入り口で固まって立ち止まったので、その背を押して「ここにいると邪魔だから、中に入ってくださいね」と先へ進むよう促す。
おずおず、といった様子で店内に入る冨岡さん。
寄りたいと言った割には、どんな店であるかを理解していなかったようだ。
「冨岡さん、可愛いもの好きなんですか?」
「……」
「入りたいって言ったのは冨岡さんなのに、固まらないでください」
店内で固まってしまった冨岡さんは、珍しくてちょっと可愛いと思う。
「我妻は?」
「俺は嫌いじゃないですよ。あ、ほら、このウーパールーパーのぬいぐるみ、ちょっと冨岡さんっぽい」
「……俺は人間だ」
「冨岡さんが人間なのは知ってます」
冨岡さんがあまりにその場で固まり続けているので、俺は気ままに店内を見て回った。すると、冨岡さんは俺の後ろを所在なげに付いてくる。いったい何がしたかったんだろ、冨岡さん。
ゆっくりと店内を一周し終えて、ウーパールーパーのぬいぐるみのあるところまで戻ってくると、俺はなんとなくそのぬいぐるみを手にとって冨岡さんの方に掲げ、見比べてみた。
「うん、やっぱり似てますよ」
「似てない」
「そうかなぁ」
「……。気に入ったのか」
「え? まあ、割と」
「わかった」
冨岡さんは頷いて、俺の手からぬいぐるみを取り上げた。それを持って、レジの方へ向かう。
「これを貰おう。そのままでいい」
「ありがとうございます。せっかくなので、首元にリボンだけつけておきますね」
「ああ」
レジの可愛いお姉さんが、タグを切ったぬいぐるみの首元を青いリボンで飾ってくれる。冨岡さんはお金を支払いそれを受け取って、そのまま俺に手渡してきた。
「誕生日のプレゼントだ。おめでとう」
「へ……」
予想外の言葉に、ぽかんとしてしまう。そんな俺を見て、冨岡さんが首を傾げた。
「これが気に入ったのだろう」
「え。うん。……あ。ありがと」
手渡されたぬいぐるみを受け取って、両手でぎゅっと抱きしめる。ふわふわして柔らかい。
冨岡さんに誕生日を祝ってもらえることが、なんだかもの凄く嬉しくて、へにゃっと頬が緩む。そんな俺を見て、冨岡さんが珍しく笑った。もらえると思っていなかったプレゼントと、綺麗な笑顔。
「幸せだなあ、俺」
たまらず零せば、冨岡さんは俺の頭をポンポンと優しく叩いた。こんなに良くしてもらえて、なんだか泣いてしまいそうだ。
「帰るぞ」
「うん」
店のドアを開けて外に出る。外はすっかり日が暮れてしまっていた。
「今日の晩御飯は、鮭大根にしましょうか」
「ぐ。……いや、今日の主役はお前だ。今日は何もしなくていい」
感謝の気持ちを込めて、冨岡さんの好きなものでも作ろうと思って言ったら、心底残念そうに冨岡さんが言う。
「じゃあ、晩御飯は冨岡さんが作ってくれるんですか?」
「いや。……ともかく、帰ろう」
問いかけに対する明確な答えはない。あまり突っ込んで欲しくないのかと思い、俺は新たな提案をした。
「いいですけど……。じゃあ鮭大根は明日にしましょうね」
「! ああ」
表情はあまり変わらないものの、嬉しげに尻尾を振る犬のように目を輝かせる冨岡さん。
その可愛らしさと、当たり前に俺と過ごす明日を許容してくれている事実が、たまらなく嬉しくて、俺は心の底から笑顔を浮かべた。
ーーその後、帰宅した俺を、蔦子さんがクラッカーを鳴らして出迎え、サプライズ誕生日パーティーが開かれるのは、また別のお話。