義勇が善逸と恋仲になって驚いたことの一つに、善逸が所謂「お付き合い」に対して、殆ど免疫がなかったことがある。本人から女性と付き合ったことがあると聞いていただけに、手を繋いだだけで真っ赤になられた時は、体調でも悪いのかと本気で心配した。よくよく聞いてみれば、付き合ってはいたが、手を繋ぐどころか指一本も触れさせてもらえなかったらしい。それは恋仲とは言わない気がしたが、面と向かって否定もできなかった。
恋人があまりに純粋すぎる。それは、思った以上に義勇を悩ませた。
善逸は手を繋いで隣を歩くだけで幸せいっぱいらしい。たまの逢瀬で、照れながらも「手を繋いでいいですか?」と言って見上げてくる様は、それはもう愛らしいものだ。「確認するな」と告げて手を握れば、それだけで彼はとても嬉しそうな笑顔を見せてくれる。義勇は、そんな恋人今すぐ抱きしめて口付けたいという自分の欲を抑えるのに、かなりの苦労をしていた。
そんなある日の逢瀬。義勇の屋敷の縁側で並んで座り、茶と会話を楽しんでいた時のことだ。不意に善逸が黙ったかと思えば、手元の湯飲みを見つめながら小さな声で尋ねてきた。
「……義勇さんは、どうして俺と付き合ってくれるんですか?」
全く予測もしなかった質問に、義勇は瞬きののち素直に答える。
「好きだと、伝えたはずだ」
「……でも」
そこで、善逸が言い淀む。続く言葉を待つ姿勢を見せると、彼は両手で湯飲みをギュッと握りしめて続けた。
「俺といる時の義勇さんから、よく辛そうな音がする、から」
思い詰めた横顔に、義勇はなんと答えれば良いか分からなくなって黙る。
善逸は極端に耳が良い。積み重ねた経験から、音で人の思っていることすら自然と読み取ってしまう程だ。だから、義勇が自分の欲を押さえ込んでいることを感じ取ってしまうのだろう。自制するのに必死になっていた義勇は、そこまで気が回らなかった己を恥じた。
「義勇さんと一緒にいると、楽しくて、幸せで。だから俺は、これからも一緒にいたいって思ってる」
「善逸……」
あまりに嬉しい恋人の言葉に、義勇は状況を忘れて感動すら覚える。けれど、続いた言葉は義勇を凍りつかせた。
「けど、義勇さんがそうじゃないなら。……無理して俺と付き合わなくたっていいです」
善逸が縋るように持っていた湯飲みをゆっくり横に置く。それから立ち上がり、悲しげに笑う。
「ありがとうございました、冨岡さん」
その言葉に、義勇の頭は一瞬真っ白になった。すぐ後、感情が烈火のように荒れ狂う。
ーー駄目だ。それは駄目だ。それだけは許容できない。絶対に。
義勇はそのまま立ち去ろうとする善逸の腕を掴んで強く引き寄せた。
体勢を崩した善逸を受け止めて、簡単に逃げられぬように縁側の床にその体を縫い止める。覆いかぶさるように肩と利き手を押さえつければ、善逸は現状が理解できないかのよう瞬いた。
「冨岡さ……」
「俺から辛そうな音がすると言ったな。……確かに自分を抑えることが辛かったかと言えばそうだろう」
ここに至っても苗字で呼び掛けようとする善逸に、義勇は己の感情を制御することが難しくなる。決して傷付けたいわけではない。その筈なのに。
「……何を、抑えてたの?」
尋ねる善逸の声はわずかに震えていたが、予想よりしっかりとしていた。純粋な琥珀の瞳が、まっすぐに見上げてくる。
ーーああ、この瞳に、俺の手で熱を灯したい。
その衝動は抑える間も無く体を支配して。
「……そんなに知りたいのなら、教えてやる」
それ以上の言葉は必要ないと、彼の唇を己のそれで塞いだ。