それは、俺と冨岡さんが偶然同じ藤の家にお世話になっていた時のこと。
「好き、なんです」
その、切ないくらいに思いの篭った女の子の声を聞いてしまったのは全くの偶然だ。
確かに俺は、冨岡さん宛に届いた文を渡す為に彼を探していたけれど、こんな場面に遭遇するなんて思ってもみなかった。慌てて物陰に隠れる。あれ、これなんか俺が悪いことしてるみたいじゃね?
「そうか」
そんなことを思っていると、冨岡さんの落ち着いた声がした。女の子からの告白を受けたというのに、彼の音は全く揺らがない。これだからモテるやつは。っていうか「そうか」ってなんだよ。ほら、彼女も困ってんじゃん。
「あの、よかったら、……付き合ってください」
普通女の子にそこまで言わせる? ちょっとどうかと思うんですけど。そんなことを思って聞いていれば、全く揺れる様子のない冨岡さんが、はっきりと言った。
「無理だ」
「ーー! ……わかり、ました」
女の子は泣きそうな声で答えて、走り去る。っていうか、頑張って我慢してたけどあれは泣いていた。
「……何か用か」
残された冨岡さんが、俺のいる方を見て尋ねてくる。俺がいることには気づいているとは思ってたから驚かないけど。
「冨岡さんに文が届いたので、渡しにきただけですから」
「ああ、ありがとう」
大人しく物陰から出て、文を渡す。お礼を口にした冨岡さんは、受け取った文をその場で開いて目を通し始めた。
全く、彼女にとっては一世一代の告白だったろうに、この男にとってはもう終わったことなのだろうか。なんとなくむかつく。いくらなんでも無神経というものだ。
「冨岡さん、もうちょっと返事の仕方を考えた方がいいと思いますよ」
「何がだ」
「告白された後のことですよ」
そう言うと、冨岡さんが俺を見た。そして、「事実だ」と口にする。
ーーいや、事実かもしれないけど言い方ってものがさあ。
そう思った時に、ふと、思い立った。この人、俺が『好き』って言ったらどうするんだろ。それは、ちょっとした悪戯心のようなもので。
「ねぇ、……好きって、言ったらどうしますか?」
「……何が」
「俺が、冨岡さんのこと、好きだって言っーーわっ!?」
突然、本当に突然に彼に抱きしめられた。肩と後頭部に回された手によって、冨岡さんの胸元に抱き込まれる。俺の顔のすぐ横、耳元で、声。
「ぜんいつ」
どこか舌っ足らずにも聞こえる声は、信じられないほど熱っぽく耳を犯す。ぞわっと、背筋に痺れが走って腰が抜けそうになり、俺は一瞬で混乱に落とされた。心音がうるさい。甘やかな音がする。それは、俺の音なのか、彼の音なのか、近すぎて何もわからない。
「もう一度」
そう、冨岡さんが乞うた。だが、混乱を極めている俺には応えられない。
無理。近い。怖い。何これ。待って。
「……っや」
代わりに、引きつった声が漏れた。視界が涙で滲む。
その小さな声が届いたのか、冨岡さんがばっと体を離した。それから、俺を見てその表情を悲しげに曇らせる。
「……すまなかった」
謝罪の声が終わると共に、彼は足早にその場を去った。
俺は体に力が入らず、座り込んで両耳を塞ぐ。ひどく傷ついた音と共に告げられた謝罪の声が、俺の耳から離れない。
「無神経なの、俺じゃん」
ーー震える声は、誰にも届かず空気を震わせて消えた。