我妻善逸は悩んでいた。ちょっと悩みすぎなくらい悩んでいた。いや、かなり、と言った方が正しいだろう。なにせ一月前から悩み続けて、なんの答えも出ないまま当日に至るのだから。
「あーーっ、駄目だぁ……」
「だーーっ! うじうじウジウジ鬱陶しいんだよ、鬱逸!!」
教室の座席で本当に暗雲を呼びかねないほどの空気を漂わせていた善逸に、ついに伊之助がキレて叫んだ。が、善逸はそれをチラリと横目で見やるだけで。
「なんかもう突っ込む気力もないわ」
そう言ってため息を吐く善逸に、伊之助がさらにキレかけるのを炭治郎が宥める。
「善逸。何か悩んでいるのはわかるが、俺たちには相談できないことなのか? 伊之助も俺も、流石に心配になるぞ」
「心配なんかしてねー!」と叫ぶ伊之助を、額を押さえてその場に留めながら炭治郎が言う。その優しい言葉に、善逸はじわっと涙を浮かべた。
「炭治郎〜〜! 実は……」
「ほうほう。義勇さんにクリスマスプレゼントを渡したいけど、何を渡せば喜んでもらえるのかわからない?」
「お礼も兼ねてるから、ホントは俺自身がちゃんと選びたかったんだけど……ほら……あの人欲しいものは自分で買っちゃう人だからさぁ」
べそべそと泣きながらの善逸の言葉に、炭治郎は少し思案する。
正直なところ、善逸が義勇を想って選んだものなら、あの人は宝物のように大事にするだろう。だが、それが事実であろうと、今の善逸の助けにはならないことを、炭治郎は分かっていた。うんうん悩む二人を、伊之助が一刀両断する。
「もらって嬉しいもんなんか、食い物に決まってるだろ!」
「伊之助、それだ!」
「えっ?」
炭治郎が瞳を輝かせて、訳がわからず戸惑う善逸を見る。
「クリスマスなんだから、善逸がケーキを作ってプレゼントすればいいんだ!」
「ええ〜〜? ケーキなんか買った方が美味しいぜ?」
「善逸が義勇さんの為に頑張って作ったことが大事なんだよ。何より、ケーキだと一緒に楽しめるだろう? 義勇さんなら、きっと凄く喜ぶと思う」
「そうかなぁ……」
不安そうな顔をする善逸に、炭治郎は親指を立ててにかりと笑う。
「作り方なら俺に任せてくれ! 竈門家の秘蔵レシピを教えるぞ」
「ケーキなら俺も食う!!」
「伊之助の分も作ろうな」
「えっ、なんか作る以外に選択肢がない流れ……。でも、手作りケーキか……」
顎に手をやってしばし思案した善逸は、心を決めて頭を下げた。
「よろしくお願いします、竈門先生」
放課後。善逸は竈門家のキッチンで炭治郎の指導の元、ケーキ作りに勤しんだ。
真剣な顔をしてケーキに粉糖の雪を降らせ終わった善逸は、ニヤつく口元を隠そうともせず破顔する。
「……っできた!!」
ふわっふわの丸いスポンジに真っ白なクリーム。シンプルに苺のみをデコレーションしたケーキの出来上がりに、善逸は目を輝かせた。作った本人が言うのもなんだが、ちょっと感動的な出来栄えじゃなかろうかと思ってしまう。
「うん、美味しそうだ」
「炭治郎のお陰だよ〜。ありがとな!」
今にも踊り出しそうな善逸を見て、隣に立つ炭治郎が微笑む。
「きっと義勇さんも喜ぶと思う」
「へへ、だといいな」
善逸は嬉しそうに頬を染めて笑う。その様子に、炭治郎は素直に嬉しくなった。義勇には感謝しないとな、と改めて思う。善逸がこんな風に自然と、幸せそうに笑うようになってくれたのだから。
「さて。俺はウチのと、弟たちと遊んでくれてる伊之助のケーキを仕上げる。善逸は作ったケーキを持って家に帰るといい」
「え、俺も手伝うよ?」
「こっちは大丈夫だ。それより、クリスマスに一人にしたら義勇さんが落ち込むぞ」
「あ〜〜。あの人意外と寂しがりだもんなぁ。うん、じゃあ帰るわ」
炭治郎が用意したケーキボックスに、慎重な手つきでケーキをしまうと、善逸は手を振って帰って行った。
その背を見送った後、炭治郎は思う。
「……あれは寂しがりというか、善逸に甘えてるだけだと思うけどな」
うっかり声にも出たが、それを聞くものはこの場にいなかった。
自作のケーキを片手にした帰路が、こんなにドキドキするものだなんて思わなかった。
ギリギリの距離をすれ違っていこうとする人に驚き、歩道を走る自転車のスピードに慄き、その度にケーキを守るようにして、善逸はようやく今の住まいである義勇のマンションにたどり着く。エレベーターに乗ると、そのドキドキは「受け取ってもらえるだろうか」という緊張に変わった。ケーキが出来上がった時はテンションが上がってとても美味しそうに見えていたが、いざ箱から出してみたらガッカリさせるのではなかろうか。そんなことを悶々と考えているうちに、エレベーターが目的階に到着する。
「……」
部屋の前にたどり着いて、鍵穴に鍵を差し込む直前で、善逸の手は止まってしまった。やっぱりプレゼントが素人の手作りケーキではあまりにもあんまりだろうか、という思いが大きくなってしまう。
「おかえり、善逸」
ドアの前で動けなくなっている善逸に、声が掛かった。そちらを見ると、部屋の主人である義勇が立っている。その手には、有名パティスリーの紙袋。それを見た瞬間、善逸は慌ててケーキを背後に隠して数歩退いた。
義勇はドアの前に立つと、ポケットから取り出した鍵で開錠する。
「入らないのか?」
「えっ、うん。えっと」
首を傾げて問いかけられて、なんと答えていいのか分からず善逸は戸惑う。今日はクリスマスだと言うのに、義勇がケーキを買うかもしれないことを失念していたのだ。流石に、プロのケーキと並べられては「これがプレゼントです」だなんて言えない。そんな自信は善逸にはない。
「あの、俺ちょっとコンビニ、に?」
苦しすぎる言い訳を口にしようとして、急に近付いてきた義勇の顔に驚いて口籠る。ほんの少し背を曲げて善逸の鼻先から数センチのところで止まった義勇は、鼻をすんと動かす。
「……甘い匂いがする」
「あ、えっ」
「何を持っている?」
肩越しにチラリと善逸の背後に視線をやって、義勇が問う。
駄目だ、逃げられない。きっとがっかりさせてしまう。どうしよう。どうしよう。
思わず泣きそうになりながら、善逸は俯きしどろもどろに言葉を発した。
「あの、クリスマスだから、義勇さんにプレゼントしたくて。悩んだけど、何がいいか分からなくて。……だから、その」
背後に回していたケーキボックスを、ゆっくりと正面に持ってくる。
「ケーキ、作ったんだけど……」
「…………善逸が?」
恐る恐る義勇の顔を見ると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんとしていた。
「あ……。ごめんなさい! 俺みたいな素人が作ったケーキがプレゼントとか言って! これは俺が一人で食べるから、その、ごめん……!」
混乱して早口でまくし立てる善逸の視界はわずかに滲む。その手から、義勇がそっとケーキボックスを取り上げた。それから、自分が持っていた紙袋を善逸に渡す。訳がわからず紙袋を受け取った善逸は、そのまま腕を引かれて玄関に引き入れられた。義勇はケーキボックスを靴箱の棚上に置くと、反転して善逸を抱きしめる。開いたドアが閉まるのを、善逸は音だけで把握した。
「ふぇ?」
状況が掴めず間抜けな声が出る。離してなるものかと言わんばかりにぎゅうぎゅうと抱きつく義勇は、まるで子どものようだ。
「あの。……あっ! 義勇さん! せっかく買ったケーキが潰れちゃいますよ!」
問いかけようとした途中で、善逸は渡された紙袋のことを思い出して叫ぶ。辛うじて手には持っていたが、まっすぐに持てている自信はない。それでも離れようとしない義勇に、善逸は困って眉を下げる。
「も〜〜、義勇さん!」
「……ケーキじゃない」
「え?」
「それはケーキじゃないから大丈夫だ」
そう言ってさらにぎゅうっと抱きしめてくる義勇。
「……そうなの!? いや、それはそれとしてちょっと離れてくださいってば!」
「…………わかった」
至極残念そうな声を出して、義勇が腕の力を緩めて離れていった。善逸はほっと息を吐き出し、改めてすぐそばに立つ義勇の顔を見上げる。そして、そのまま固まった。
義勇は、口元に笑みを浮かべていた。そのわずかに細められた瞳は、真っ直ぐに善逸を見つめている。大切で愛おしいものを見るかのような、優しい熱のこもった視線に耐えきれず、善逸はわずかに目を逸らした。何故かとても頬が熱い。その頬に、義勇の手が添えられる。外気にさらされていた手は冷たかったが、嫌な気はしなかった。
「お茶を淹れる。善逸の作ったケーキが食べたい」
「……でも、先にご飯食べた方がいいんじゃ?」
「善逸のケーキがいい」
義勇は真剣な声で言う。ご飯より先にケーキが食べたいなんて、子どものような我儘だ。しかし、その言葉が嬉しくて、善逸はにやけてしまう。そんな善逸を見つめながら、義勇が言った。
「ありがとう。最高のプレゼントだ」
「まだ見てもないのに……箱開けてがっかりしないでくださいよ」
「しない」
「ホントかなぁ」
「勿論だ」
そんなやりとりをしながら、二人はケーキボックスと紙袋を片手に玄関を上がってリビング向かう。リビングの電気をつけると、部屋の端に飾り付けられたクリスマスツリーが見えた。それを見て驚く善逸に、義勇が笑む。
「善逸。メリークリスマス」
「……メリークリスマス! 義勇さん」
零れ落ちそうなくらいの笑みで、善逸はクリスマスの挨拶を口にした。
「ところで、義勇さんは何を買ってきたんですか?」
「ツリーの飾りだ」
「洋菓子店で?」
「開けてみろ」
「……これ、ジンジャーブレッドクッキー? っていうか、なんか、モチーフが……俺?」
「特注した」
「バカなんですか?」
「可愛いだろう」
「うんまあ可愛い、これは可愛いけどさ……」