幸せが壊れる時は血の匂いがすると、いつだったか炭治郎が言っていた。
それを聞いた時、その通りだと思ったのを覚えている。
血の匂いのする場所は、誰かのそれが壊れる場所だ。
救援が間に合わなかった時。
死の合間に横たわる隊員を見た時。
その震える唇が誰かの名を形作った時。
俺は確かに壊れゆくものを見たから。
濃い血液の匂いがする。もしや、甘く芳しいのではないかと錯覚するような、香り。そんな筈はない。だが、意識がそれに集中する。
周囲では誰かが何かを叫んでいたが、俺は意味のある言葉として受け取れない。無理だ。だって、腕の中で血を流し続ける人は。
「ぜん、いつ」
名を口にして、強い吐き気を覚えた。そんな訳がないと、感情が意味のない駄々をこねる。
頭は理解しているのだ。ーー目の前の人は、今にも死ぬと。
はくり、と腕の中の彼の唇が動いた。
焦点の定らなかった瞳に、ぼうっと意志の光が灯る。
その眼は、確かに俺を見た。
『うご、け』
声を伴わぬ言葉が、ざくりと俺を切りつける。聞きたくない。そんな言葉は聞きたくないんだ。だって俺は。錆兎から受け取ったものを繋いでいくって決めたけど。でも。俺だって無理だ。大切な存在を失う。そう、俺が三度目には耐えられない!
「むりだ」
かすれた声は驚くほど弱々しい。懇願の響きすらする。そんな俺を見て、彼が笑った気がした。もう一度、振り絞るようにその唇が動く。
『動けよ、水柱』
ガンっと強く頭を殴られたような衝撃が走る。水柱、と彼は俺を呼んだ。個人に逃げることなど許さないといった風に。義勇は動けなくとも、水柱は動けるだろうと。そんな酷いことを言うのだ。
ーーなんて、なんて、残酷なひと。
俺は顔を伏せて、彼の血だらけの唇に自分のそれを押し付け舌を差し入れる。その口内は鉄の味しかしなかったが、まだ温かかった。
息が止まるというのなら。死んでしまうというならば。いっそ俺の手で冷たくなってしまえば。
そうして、義勇も一緒に連れて行ってくれ。
腕の中の人へ夢中で口付けていると、ふっとその身体が僅かに軽くなった気がした。
冷えた水を掛けられたかのように、急に思考が冷静さを取り戻し、やるべきことがはっきりする。
ああ、出来る。やれるとも。
そっと唇を離した。二人を繋いでいた赤い唾液がぷつりと切れる。
抱いていたその人を横たえ、彼の開いたままだった目を指先で撫でるようにして瞼を下ろす。
「どうか、安らかに」
口にしてから、袖で口元を拭った。
そうして、己を宣言する。
「"水柱"、参る」
ここに在るのは、鬼殺隊の柱が一人、水柱であるのだと。