人々に求められしは復讐鬼たる巌窟王。
英霊たるこの身は、その求めに従い、恨みをもって現界する。
恩讐の彼方より出でしエクストラクラス・アヴェンジャー。
故に巌窟王は世界の全てに復讐を果たさねばならない。
しかし、それは決して他人から与えられたものであってはならないのだ。
故に。彼は、望む。
監獄塔の一室の扉を開く。囚人を拘束する為の狭く薄汚れた部屋だ。それでもベッドがあるだけで此処は十分に高待遇な部屋だろう。形だけの固いベッドの上には、この場に相応しくない小綺麗な格好の女が居た。少女と言って良い年頃の女は、先程目を覚ました所なのかぼんやりとした瞳でこちらを見る。
「アヴェンジャー」
オレを見ても動じず、欠伸などしてみせる様は間抜けと言っていいだろう。だが、このシャトー・ディフにおいてその在り方は異質だった。ここは監獄塔。魂の牢獄。故に住人は明日に希望など持たず、暗闇からいつやってくるとも知れぬものに恐怖する。そんなここに、既に七日あっても、少女は自分を見失わない。まるで、ここから出られることを確信するかのように。
ふと、少女の傍に居るはずの女が居ないことに気付いた。メルセデスと仮の名を与えた女。問えば、その時気付いたかのように部屋を見渡し、此処に居ぬなら廊下か裁きの間ではと言う。呑気極まりない言葉だ。しかし、不思議と苛立ちは無い。それどころか、変わらぬ少女に安堵に似た何かを感じる。そのことに気付き、自らの在り方を思い返した。安らぎなど、ただの異物であるのだと。
「行くぞ。準備しろ。最後の『裁きの間』の準備が整ったようだ」
言い捨てて、顔も見ずに牢獄を出る。少女が立ち上がり付いてくる気配を感じながら、暗い廊下を歩いた。
「ちょっと。アヴェンジャー!」
「なんだ」
「歩くのが早い」
見ると、後を付いてくる少女は小走りになっている。
「おまえの足が短いことをオレの所為にされても困る」
「令呪をもって口をきけなくしてあげようか?」
「仮初めのマスターの令呪がオレに通じるか試してみるがいい。ああ、それとも今から最後の戦いだと言うのに、大事な令呪の一画を消費する無謀さを自慢しているのか?」
そう言えば少女はむっと黙った。流石にそこまでの馬鹿では無いらしい。彼女はふくれっ面をして、あろうことか気安くオレのマントを掴んで引っ張った。
「ゆっくり歩いて」
その仕草に、心の何処かが淡く色付く。それを気に留めず嘲笑った。
「……まさか、『裁きの間』へ至ることを恐れているわけではあるまいな? 無理強いはしない。おまえには死に場所を選ぶ権利がある」
「五月蝿いな。ゆっくり歩けと言ってるだけ。……そんなにわたしと一緒に居るのが嫌なの?」
「好む好まざるは関係無い。オレはおまえを導くだけだ」
質問には答えず返すと、はあっと溜息を吐かれる。それから、音。
「わたしはキミのこと好きなのに」
音を意味のある言葉と受け取れず、オレは足を止めて少女を見る。
「何か言ったか」
「うん。アヴェンジャーのことは好きだよ。だって面白いから」
面白い。その言葉に瞬間的に怒りが芽生えた。
性質の悪い小説家の所為で広く世に知らしめられ、親しまれた復讐劇のお陰で、オレは特殊なクラスの英霊と呼ばれるものになった。言わば人々の面白いという想いが、共感が、憎しみが、積もり積もってアヴェンジャーを産んだ。そこにエドモンという男の意思などない。ただ憎しみの権化があるだけのはずだ。
だというのに、この少女に『面白い』と称されたことにより、傷を付けられたような思いを抱いてしまう。それに気付いての怒りの発露だった。
「フン。面白い、だと? このシャトー・ディフに囚われて気でも狂ったか」
「どうして怒ってるの? 褒めたのに。じゃあ言い替えれば良い? キミといると楽しいって」
掴んだマントを離すことなく、少女が言う。その言葉に愕然とした。
何を言っているのだこの女は。復讐鬼に向けて『共に居て楽しい』だと?
「やはり気が狂ったか。無理もない。常人はこの空間に居るだけで精神を削り取られる」
「……わかった。照れてるね、アヴェンジャー」
にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて見上げてくる少女の顔が憎らしく映る。しかし、生憎とそんな言葉に乗ってやる程オレは易しくない。マントを掴む手を振り払って歩みを再開する。心持ち足が緩んだのは気のせいだ。
くだらない会話は、それで、終わり。
終幕となる第七の『裁きの間』は、もう間もなく。
◇
叫ぶ彼は、耐えられない、と叫んでいるようだ。
「決してこのオレではない。我が身はアヴェンジャー、永久の復讐者なれば! ヒトとして生きて死んだ人間の名なぞ! 相応しい筈があるまいよ!」
それは、悲しいまでに心に迫る言葉だった。
わたしは深い怒りの刻まれた顔を見ながら、一呼吸する。そして、問うた。
「――キミの、真名がそれか?」
その言葉に、彼が一瞬だけ悲しみの感情を浮かべる。
ああ、言葉を間違えたな。そう感じたが、既に遅い。
彼は口にしたではないか。永久の復讐者、アヴェンジャーであると。なら、それ以外の正体など無いのだ。少なくとも、私と彼の間には。
そこで『彼』の話は終わった。
シャトー・ディフは七つの裁きを破壊されて役目を終える。ここがシャトー・ディフであるのならば、外界へ歩み出せるのはただ一人。
ここを出られるのは一人だけなのだ。
ならば、それはわたしでなければならない。
たとえ、この監獄に再び彼を繋ぎ止めることになっても。
この監獄と共に、彼が消えることになろうとも。
わたしはただ真っ直ぐに彼の人の瞳を見据える。その視線が気に入ったのだろうか。彼が僅かに笑んだような気がした。
「幕としよう。最後の舞台で、おまえの魂は真に堕ち果てるのだ」
彼を黒い霧が包む。もう、その表情は窺えない。彼は言う。悪を倒せと。しかし、真に善悪を決められる者などいない。彼は敢えて自らを悪としているのではないだろうか。そこまで考えて、頭を振った。善悪など関係がない。わたしはここから出なければならない。ならば、答えは一つの筈だ。
「ここから脱出する」
それが、戦闘開始の合図だった。
◇
喉の奥で押し殺したような笑いが漏れた。
戦いは終わり、勝敗は決する。
彼女の魂はカルデアの体へと戻り、あの少女は『世界を救う』などと言う崇高な使命に命を燃やすのだろう。ああ、それは。
「馬鹿げている」
少女の最後の言葉を思い出す。僅かに震える声で、しかしはっきりと事実を確認するように。
「――キミは、永遠に消えるの?」
哀れの滲む声だった。愚かすぎる問いだった。そんなことは、戦いの前から分かっていたことだろうに。
だが、その問いがまさに心地よかった。
この監獄塔にあって、自らを貫き続けた少女。その少女が最後に見せた、一欠片の弱さ。人間が当たり前に持ち得るもの。
だからこそ、仮初めのマスターへ告げた。
“――待て、しかして希望せよ”と。
それは自らにも掛けた言葉であった。
シャトー・ディフは時空の隙間に閉ざされる。ここから出る術は無い。何故ならここには、魔術の王によりそうなるべく力が働いている。この世界は彼の王に作られた。そして魔術の王が滅べば、闇に消えるであろう。
「ハ、ハハハッ!」
考えてみれば都合がいい。この監獄の消える時、それは少女が見事使命を果たした時だ。ならばオレは祝福を持って最後を迎えられよう。
「その時を、楽しみにしているぞ。マスター」
その声は、誰にも届くことはなく。
アヴェンジャーは一人、監獄塔にて終幕を待ち焦がれる。