降谷と沢村と先輩ズの話②

 夕闇迫るグラウンドには二つの影があった。
 その影は降谷と沢村で、何時もの様に一つのタイヤの取り合いが展開されているようだ。
「おい。あいつら、またタイヤの取り合いしてるぜ」
「本当、体力有り余ってるよね。練習足りないのかな」
 それを見かけた伊佐敷が呆れたように呟き、隣に居た小湊亮介もいつもと変わらない表情で続く。
「けど、なんでわざわざ同じタイヤ選ぶかねぇ」
「好きな子の持ち物に興味があって仕方ないんじゃない?」
「小学生かよ! あーでもあれだ。優しい先輩達がその問題解決してやろうぜ」
 ノリ突っ込みをしてから、伊佐敷がニヤリと悪い笑みを浮かべた。
 (多分くだらない事考えてるんだろうなぁ……)
 等と思いつつ、小湊は寮への道を歩いて行った。

 翌日の練習後、沢村がグラウンドを訪れると、彼の相棒を引いて走っている降谷に遭遇した。
 沢村が何度止めようと、降谷は沢村の名前の書いたタイヤを引く。嫌がらせのつもりは無いのかもしれないが、ここまで来ると絶対に負けたくないという思いが働いて、沢村は腕をぶんぶん振り回しながら叫んだ。
 すると走っていた降谷が沢村に気付きスピードを緩める。
「だから、俺の相棒を、取るなと、何度言ったらわかるんだ降谷!」
 ゆっくりと立ち止まった降谷が、沢村に向かって首を振った。
「……これ、僕のでもあるみたいだよ」
「は!? 何でだよ。ここに名前が……」
 ずかずかと降谷に近づいた沢村が、自分が名前を書いた位置を確認する。するとそこには、鉛筆でさわむら、と書かれた隣に、ふるや、と名前が付け足されていた。しかも名前と名前の間にはハートマークまで描かれている。
「って、なんだこれー!!」
 グラウンドに沢村の叫び声が響く。
 それを聞き取った伊佐敷が、土手の上から叫んだ。
「ああ、お前らいつも同じ事で争ってるから、喧嘩にならないように共用にしてやったぞ!」
 いやー、後輩思いのいい先輩だな。等と自分で自分を褒めている伊佐敷に向けて、沢村が叫ぶ。
「いや、1個のタイヤ共有できませんし! っていうかこの名前の間のハートマークなんなんすか!」
「あ、それ、俺。可愛いでしょ」
「まさかのお兄さーん!?」
 新たな伏兵に沢村が驚きの声を上げる。援護を求めるため振り返りながら続けた。
「おい降谷、お前もなんか言えよ……って、なんでちょっと嬉しそうなんだよ!!」
「僕のタイヤ……」
「俺、の、だ!!」
 叫びつかれて肩で息をする沢村を見て、降谷はその肩をとんとん叩きながら「落ち着いたら?」と言う。しかし、それで沢村が落ち着けるはずも無い。
 沢村は、降谷から無理やりタイヤを奪い取ると、「うおおおおお」と叫びながらグラウンドを駆けだした。
 そんな沢村を目で追いながら、先輩達は冷静に言葉を交わす。
「あ、あれは考えるのをやめたね」
「降谷は無意識に追い詰めるタイプの馬鹿だからなぁ」
「その降谷は何かに浸ってるみたいだけど……」
「背景に花が見えるね。そんなに嬉しかったのかな、お揃い」
 視線を沢村から降谷に移動すると、胸元に手を当てながら突っ立っている降谷の姿がある。
「まあ、簡単に友達作れるタイプに見えねーし?」
「確かにね」
 にこやかな小湊の同意は、沢村の叫び声にかき消された。




「それ、どうしたの?」
 もはや恒例になってきた夜のタイヤランニングにて、降谷が沢村の背中を指差しながら言った。
 それに気付いた沢村が答える。
「あー。なんか倉持先輩に、Tシャツに好きな言葉を書いて練習するのが流行ってるとか言って書かれた。そしてお前は俺の相棒返せ!」
「ふーん」
 沢村が言った後半の言葉はさらりと無視して降谷が走り出す。そして沢村の目の前を駆け抜けるときに一言。
「似合ってるね。大炎上」
「嫌味かテメェ! ちょ、待ちやがれ!」
 降谷は叫ぶ沢村を見て、(褒めたのに何で怒るんだろ……)と純粋に疑問に思いながらランニングを続けた。

 その翌日、洗濯物を干しに物干し場にやってきた降谷は、昨日沢村が来ていたTシャツが干されている事に気付いた。自分の洗濯物を干し終わると、沢村のTシャツに触れてみる。それはもう乾いていた。
 降谷は何かを思いついたかのようにぽんっと手を打つと、どこか楽しそうに自室へと戻っていった。部屋に入って自分の筆箱から油性ペンを取り出すと、それを持って物干し場に戻る。幸いその場には誰もおらず、件のTシャツは干されたままだった。
 降谷は持って来た油性ペンの蓋を取ると、大炎上の文字の横に何かを描き足す。
 暫くして満足したのか、降谷は楽しそうな様子で物干し場を後にした。
 それとほとんど入れ替わりでやってきたのは沢村である。
 自分の洗濯物を干した辺りにやって来て、既に乾いているのを確認して雑に回収していく。
 そのせいか、降谷が描き込んだ何かに気付く事はなかった。

 その描き込みが気付かれたのは数日後の事。気付いたのは同室で『大炎上』の作者である倉持だった。
「ヒャハハ、なんだその愉快な絵!」
 沢村の背中を指差しながら笑い転げる倉持に、「アンタが書いたんじゃないッスか!」と沢村が顔を赤くして叫ぶ。
「俺はそんな絵なんて描いてねーよ?」
「絵……?」
 あーおもしれ、と言いながら否定の言葉を返す倉持に、沢村は着ていたTシャツを脱いで背面を確認した。
 そこには、倉持が書いた大炎上の文字。そしてその隣に謎の生物がいた。顔が一体になった丸い体からは、手のようなものが上に伸びている。
「……な」
 Tシャツを持った沢村の手が怒りに震えた。
「何じゃこりゃー! 降谷あの野郎!!」
 べちーん、と、Tシャツを床に叩きつけながら叫んだ沢村に、倉持が笑うのをやめて聞く。
「いや、何で降谷だってわかんだよ」
 すると沢村は何故か自信満々に「こんなワケわかんねー絵を描くヤツなんて、あいつしかいねーッス!」と答えて、床に放ったTシャツを拾った。
「とっちめてやる!」
 憤慨しながらどすどすと部屋から出て行く沢村を見送って、倉持が増子を見る。
「あれ、もう両思いなんじゃねーッスか」
「ウム……」
 困ったような表情で同意を示す増子。
 倉持は開け放たれたままのドアを見て言った。
「てゆーか、アイツ半裸で出て行きやがった」

「降谷ー! 降谷出てこーい!」
「……五月蝿い」
 降谷の部屋の前で「たのもー」と叫ぶ沢村に、すぐに反応した降谷は、ベットから降りて先輩達の邪魔にならないよう部屋の外に出た。
「何、君って露出狂だったの」
「ちがうわい! これだ! このTシャツ、どういう事だよ!!」
 降谷の、上半身裸の沢村に驚いての言葉に、沢村は顔を赤くしながらTシャツを広げた。そして背面に描かれた絵を指差す。
「あ、それ、僕の……」
「僕の、じゃねえよ!!」
 あっさりと犯行を認めた降谷に、憤慨したままの沢村が突っ込んだ。
「何なんだよお前、そんなに俺が嫌いかー!」
「別に嫌いじゃないけど。何でそんなに怒ってるの? 五月蝿いよ」
 もう夜遅いのに、と正論を続けた降谷に、沢村は慌てて声を抑える。
「……人の服に落書きするのが趣味なのかよ」
「え。流行ってるんでしょ? ソレ」
 意外そうに言う降谷に、沢村は「だからって人のものに勝手に描いていい訳あるかっ」と、ぐっと抑えた声で答える。そんな沢村の様子を、降谷は暫く黙って見つめていた。
 その視線に居心地の悪くなった沢村が、こいつと話していてもらちが明かないと思って切り上げようとした時、降谷が動いた。沢村の手にしたTシャツを取り上げて、そのまま沢村に被せて着せる。
「風邪ひくよ。……馬鹿でも」
「……喧嘩を売るのがお上手だなあ、降谷くんっ」
 付け足された言葉に沢村が、顔を引きつらせる。それに「売ってない」と答えた降谷が「ちょっと待って」と沢村に静止の声を掛けてから室内に戻った。そしてすぐに出てくる。その手には、落書きに使った油性ペンがあった。
「はい」
 そのペンを沢村に差し出して、降谷が沢村に背を向けた。
 意味がわからない沢村は「何だよこれ?」と尋ねる。すると、降谷が顔だけ振り向く。
「何か落書きしたらいいよ」
「それで相殺しろってか」
「うん」
 あっさりとした返事を返す降谷に、沢村は押し黙った。手にした油性ペンのキャップを取り、えいやっといった様子で降谷の背にペンを走らせた。
「出来た!」
「ん」
 沢村の言葉に振り向いた降谷が右手を伸ばす。沢村はその手に油性ペンを返すと、「これからは勝手に落書きするんじゃねーぞ」という言葉を残して降谷に背を向けて帰っていった。
 室内に戻った降谷は、同室の先輩に「喧嘩かー?」声を掛けられて「なんでもありません」と答える。そんな降谷の背中を見た先輩が面白そうに笑った。
「降谷、背中に『野球バカ』って書いてあるぞ」
 その言葉に、降谷はTシャツを脱いで背面を確認する。
 そこには思い切りの良い文字で『野球バカ』と書かれており、末尾に人の顔のような奇妙な絵が付け足されていた。降谷は、胸から暖かいものが溢れていくような奇妙な感情を味わう。
「……下手な絵」
 言葉とは裏腹に、降谷は緩やかな笑みを浮かべていた。

 

2013/11/27

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