無意識の距離

 初めて会った東堂さんの印象は、職人が長い時間と深い愛情をかけて作り上げた美しい人形のような人、だった。
 ぬばたまの黒髪は男子にしては長く、さらさらと風に揺れる。感情を消したガラスのような瞳は控えめな雰囲気を見せ、光の加減で藍を帯びて見えた。真白い肌に可愛らしいカチューシャで整えられた髪形のせいで、一瞬女子かと思ったくらいだ。一瞬、と表現しているのは、彼がすぐに喋り始めたからだ。少し高めだが、淡々と落ち着いた声で部長の次に挨拶を述べるのを聞いて、女子だと思う人はそう居ないだろう。ただ、男子にしても綺麗な人だと誰もが思ったに違いない。オレは綺麗過ぎてつまらなさそうとも思った。
 しかし、それは間違いだった。
 練習で校外を一緒に走った時、彼は誰よりも早く、そして綺麗に、山を登った。傾斜をものともせずに、お手本のようなフォームのまま、ほとんど音も無く登る。後々本人からは耳がタコになるくらい聞かされたことだが、スリーピングビューティーの異名は、なるほどと納得できるものだ。登りながら彼が浮かべる薄い笑みは、大層美しいものだったから。
 オレは我も忘れて後を追い、東堂さんから少し遅れて山頂へと辿り着いた。そして、そこで待ち構えていた東堂さんに捕まった。ロードから降りてヘルメットを外すと、東堂さんが声を掛けてくる。
「一年、名前は?」
「真波です。真波山岳」
「そうか! いい名前だな。山に愛されているようだ」
 オレの名前を聞いて破顔した東堂さんは、そう言ってから自信たっぷりに「オレには劣るがな!」と付け加えた。感情を消していた瞳に、鮮やかに自信が宿る。それは、初めて見た時よりきれいなものだった。
「山は好きか」
「はい。坂、好きなんで」
「うむ。坂が好きとは、天性のクライマーだな。この先が楽しみだ」
 そう言って、東堂さんは白のリドレーに乗ると、右手を悠然と掲げ、「この箱根の山を、存分に楽しむといい」と言って山を下っていった。まるで山の主であるかのようなその言動に、あっけに取られたオレはその後姿を見送る。
 ただ綺麗なだけだと思っていた先輩は、ちょっと変わった人だった。

 

 東堂さんは優しい。
 ロードに関する事には正直すぎるくらい率直に意見を述べるが、悲鳴を上げるものに決して無理強いはしない。それが、東堂さんが自慢する美貌と合わさり冷たく見えるとか言われる事もあるが、後輩の面倒見はいい方だ。問われれば答えるし、基本的に笑顔を絶やさない。
 そんな東堂さんが、インハイも終わった残暑の厳しいある日、妙に上機嫌に部室のドアを開いた。先に部室の中に一人で部室の中に居たオレは、そんな東堂さんを見て目を瞬かせる。東堂さんの機嫌の良さは見てすぐにわかった。目は嬉しさに輝いていたし、口元はゆるく弧を描いている。何より動作がいつもより五月蝿い。誰かに「どうした?」と聞いて欲しいですと言わんばかりの
オーバーリアクション気味に東堂さんは口を開いた。
「やあ真波! 元気にやっているか! 今日はいい天気だな! 空気も清々しい!」
 つらつらと並び立てられる言葉は、やはり何時もより多い。第一今日は厚い曇り空だ。雨ではないが、いい天気でもない。部室にはオレと東堂さん以外の人はいなかった為、仕方なく東堂さんに尋ねた。
「どうかしたんですか? ご機嫌ですね」
「……そうか! いやはや分かってしまうか! 常よりなお輝きを増すこのびぼ……」
「前置きはどうでもいいんで、理由だけ聞かせてもらえます?」
 東堂さんの口上を遮ってにこりと笑って見せると、東堂さんは話の腰を折られたとでも言わんばかりに片眉を顰めた。しかし何も言い返さずに自身もにこり、というより、にやりと笑う。それから長椅子に座ったオレのそばに来ると、片手で人から口元を隠すようにして耳元で囁いた。
「実はな、当たったのだ」
「何がです?」
「……デゼニーランドの一泊二日ペアチケット」
「へー」
 オレの口から間の抜けた返事が出た。薄いリアクションが気に入らなかったのか、東堂さんは両手を横に広げて声高らかに主張する。
「真波なんだその反応は! デゼニーランドといえば誰もが一度は憧れるあのテーマパークだぞ!?」
 さっき声を潜めていた人間の反応とは思えないなあと思いつつも、オレは脳内に黒いネズミがトレードマークのテーマパークを浮かべる。うん、別に興味無い。
「すいません、そういうのよくわかんなくて」
「相変わらずお前はほわほわしているな」
 仕方が無いといった風にため息を一つ吐いた東堂さんは、何かを思い出したかのように突然顔を上げた。
「そうだ、こんな事を話している暇は無い。巻ちゃんに電話しないと!」
 聞いてほしそうな顔をしていたのは自分なのに、随分な言い様だと思った。
「自慢とかウザがられるだけでしょう?」
「自慢ではない! 言っただろう、ペアチケットだって。巻ちゃんを誘わず誰を誘うのだ!」
 それもウザがられるんじゃないかなぁ。そう思って、はたと思考が停止する。
 泊まり? 巻島さんと東堂さんが一緒に?
 なんだかわからないけど癪に障った。
 東堂さんは携帯を取り出して巻島さんへ電話を掛ける。東堂さんが巻島さんに電話を掛けるときは、常にどこか嬉しそうだ。電話に出てもらえないと、必要以上に心配をする。過保護すぎる母親みたいだと他人事のように眺めていた。
 だけど、今日はちょっとムカつく。
 オレは椅子から立ち上がり、背を向けた東堂さんに近寄ると、後ろから手を伸ばしてすいっと携帯を取り上げた。コール音が鳴り響くそれを、電源ボタンを押して停止させる。
「何をする真波!」
 東堂さんが振り返ってオレから携帯を取り上げようとした。それを高く掲げて阻止したオレの口から意図しない言葉が飛び出す。
「東堂さん、オレ行きたい」
「は?」
「うん?」
 自分で言っておいて吃驚した。東堂さんも吃驚したみたいで、目を見開いてオレを見る。
「お前、さっきわからないと言っただろう」
「はい、だから行ってみたいなーって。……ダメですか?」
 飛び出た言葉を補うように言った。最後は少し視線を落として残念そうに。東堂さんから見たら、連れて行って貰えなくて残念で堪らないといった様子の後輩に見えるだろう。でもオレは内心、なんで行きたいなんて言ったんだろうと考えていた。
 東堂さんが返答に詰まる声がする。部室は少しの沈黙に包まれ、それを破ったのは東堂さんの軽いため息だった。
「そんなに行きたいのか?」
「ええ」
 落ち着いた東堂さんの声に、いつものように笑って見せたオレは、彼がくれる答えを予感していた。
「……仕方が無いな」
 そう、東堂さんは優しいから。

 

 東堂さんはどこか子供っぽい所がある。
 箱根から千葉は遠い。小田原から東京を経由する約2時間半の旅路だ。東堂さんはこの日をとても楽しみにしていて、朝が得意でないオレの為にわざわざ家まで迎えに来てくれた。お陰でオレは始発列車なんてものに初めて乗る羽目になる。たかがテーマパークだ。なにもこんなに朝早くから行かなくてもいいのに。期待に目を輝かせて薄い朝日を浴びている東堂さんは、まるで遠足前の子供だと思った。
 小田原~東京間の車中では、オレは寝ていた。東堂さんの声に意識を取り戻したら、何時の間にか肩を借りていたらしい事に気付く。寝ぼけ眼でお礼を言うと、東堂さんは何時ものように綺麗に笑った。
 東京からデゼニーランドの最寄り駅へは十分少々電車に揺られる。その間、東堂さんは我慢が出来ない子供のようにきょろきょろして落ち着きが無かった。
「東堂さん、ちょっと挙動不審ですよ」
「そ、そうか!? すまんね」
 びくりと身体を揺らした東堂さんは、オレを見た後、車窓へ視線を向ける。そしてぱぁっと笑顔になった。
「まなみっ! 白亜の城だ!」
 オレの腕を引いてそう言った東堂さんは、視線を車窓に固定している。オレも窓の外を見ると、確かに遠くに悠然と聳える白亜の城が目に入った。所謂、テーマパークのシンボルというやつだ。
「大きいですね~」
「ああっ!」
 東堂さんちょっと声が大きい。なんだかほほえましい目で見られてる気がする。別に気にならないけど。
 すぐに電車は最寄り駅のホームへ滑り込む。ドアが開くと、オレでも聞き覚えのある音楽が流れ込んできた。乗客のほとんどがぞろぞろと降りていく。その波に乗って東堂さんと電車から降りた。
「凄い、凄いな! 降車音までデゼニー仕様だ!」
「うん、東堂さん五月蝿い」
「うるっ、五月蝿いとはなんだ!」
 つい本音が出ると、東堂さんはリスみたいに頬を膨らませる。ええと、どっちが年上なんだっけと思ったが、考えない事にした。立ち止まってしまった東堂さんの手を引いて先を促す。
「ほら、行きましょう」
「お前はもうちょっと先輩というものをだな……」
「わー。なんか異国みたいな雰囲気ですねー」
「人の話をき……、おおっ!」
 小言を連ねようとした東堂さんが、改札を抜けた景色を見て大きな声を出した。当然視線を集めるが気にしない。
「東堂さん、どっちですか?」
「ああ、まずは荷物を預けよう」
 進行方向を問うと、東堂さんは何かスイッチを切り替えたかのように冷静になった。明確にやるべき事があれば、途端にこうだ。東堂さんに先導してもらって、駅から出て左手に進む。すぐそばにあるウェルカムハウスという建物に入り、荷物を預けてついでにチェックインも済ませてしまう。そこはホテルのフロントが出張してきているような所で、チェックインなどを前もって行えるそうだ。便利なシステムだと思った。
 身軽になって建物を出ると、今度は来た道を戻って更に先に進んだ。その時、通路から少し離れた場所を、白くて柔らかなフォルムの電車が通る。それを見た東堂さんが、「本当はあれにも乗ってみたい」と零したので、きっとなにか特別な電車なのだろう。だが、今は自分の足で歩く事を良しとしたようだ。人の流れに沿って歩いていく。この駅で降車する人たちは皆、目的地は一緒なのだから、人波に従えば入り口に着くだろうという考えだ。
 周りには様々な人が居た。キャラクターの入った衣服を身にまとう人、これまたキャラクター入りの小さなバケツっぽい入れ物を首から下げている人、頭に獣耳カチューシャをつけている人。耳はさすがにどうかと思ったが、これが噂のデゼニーマジックというやつなのだろう。それを見た東堂さんは、またそわそわとしだしている。耳をつけた人を見て言った。
「真波! オレもアレ買うぞ!」
「えー。本気ですか」
「ここまで来て買わずにどうする!? ……仕方ないな、お前の分も買ってやろう」
 何を勘違いしたのか、東堂さんがしたり顔で言った。本当に何を勘違いしてそんな顔をしているんだろう。
「という訳で真波、ここに寄って行くぞ」
 手を引かれて、道すがらにあった大きなショップに入った。そこにはデゼニーキャラクターのグッズが目も眩むほど敷き詰めてあり、正直吃驚した。
「はー。凄いですね」
「だな! ……どうした真波、落ち着きが無いぞ」
 思わずきょろきょろと辺りを見回していたオレに、東堂さんがにやにや笑って言う。これはつまり、さっきの仕返しだろうか。なんとなくムッとして、東堂さんの頭からトレードマークのカチューシャを引き抜いた。流れるように落ちてきた黒髪が東堂さんの顔にかかる。
「こら真波! 返せ!」
「どうせ……」
 耳をつけるならいらないでしょう、と言おうとして言葉に詰まった。東堂さんは、落ちてきた前髪を掻き揚げて耳に掛けている所だった。その仕草が美しくて何故かドキリとする。見た目といい所作といい、悔しいくらい綺麗な人だ。
「……カチューシャ探すんでしょう?」
 オレは出来るだけ落ち着きを装って声を出した。東堂さんは不満そうに口を閉じてオレを睨め付ける。が、とりあえずの納得はしたようだ。オレからカチューシャを奪い返すと、それを鞄に仕舞った。その間にも耳からさらりと落ちてくる髪を見て、オレは手を伸ばした。掌全体で髪を掻き揚げて東堂さんの耳に掛ける。東堂さんが不思議そうにオレを見た。その視線から逃げるように店内を見回すと、一角に耳付きのカチューシャがいくつも置いてあるのが見える。
「あ、東堂さん。あそこですよ」
「う、うむ」
 東堂さんはちょっと困惑していたようだったが、カチューシャを目にするとそれに夢中になった。あれがいい、これがいいとカチューシャを選別している。オレはそんな東堂さんの傍でぼーっと店内を見回していた。オレも何か選ばねばならないんだろう。しかし耳を付ける気分ではなかった。
「よし、決めた」
 東堂さんが言った。手には丸っこい耳の付いた黄色いカチューシャを持っている。
「熊ですか?」
「ブーさんだ。お前はどうする?」
 問われてオレはもう一度店内を見回した。そして緑色をしたシルクハットに目を付ける。日よけにもなるし、あれでいいか。そう思ってそれを指差した。
「あれがいいです」
「マッドハッターか。いや、似合うと思うぞ」
 何故か東堂さんに笑われた。熊耳よりマシだと思う。
 熊カチューシャとシルクハットをレジに持っていって会計を済ませると、すぐにタグを切ってもらう。それを受け取った東堂さんは、店内の鏡を見て自分の満足いくようにカチューシャをつけた。俺はその後ろで適当に帽子を被る。これは外に出たらちょっと熱いかもしれない。東堂さんが振り向いた。そして帽子を被ったオレを見て満足そうに頷く。
「よく似合ってるぞ」
「東堂さんはかわいいですね」
「そうだろう! このオレの美しさを持ってすれば熊の耳すらかわいいものになる!」
 なにか大分捻じ曲がった方向に受け取られたが、何時もの事なので良しとする。
「行きますか」
「ああ、そうだな。思ったより時間を取った。もう開園しているぞ」
 腕時計を見た東堂さんが言った。オレも携帯をチェックすると、時間は八時十五分だった。ショップを出てまた人波に乗って歩く。雄大なパークを眺めながら、それがだんだん近付いている事に、東堂さんのテンションは明らかに上がっていた。
 入場ゲートの前まで行くと東堂さんが感極まったように言った。
「ここが、デゼニーランドか……」
 立ち止まってゲートを見上げる東堂さんを、「後ろから人が来てますから早く入りましょう」と促して手を引いてやる。東堂さんは大人しくそれに従った。一人ずつゲートを潜ってエントランスに入ると、そこはまさに別世界だった。
「おおおおお」
 東堂さんが興奮した声を上げる。目の前に広がる広い空間の中央には巨大な花壇があり、綺麗に整えられた草花と共にキャラクター達の像が飾られている。その奥には豪奢な建物が構えていた。そしてエントランスの各所で動き回っているキャラクターのきぐるみ達。きぐるみにはそれぞれに人だかりが出来ている。どうやら一緒に写真を撮っているようだ。
「ま、真波! ブーさんだ! ブーさんがいるぞ!」
 エントランスを見回していた東堂さんが、右手の黄色いきぐるみに視線を固定した。ブーさんといえば、東堂さんが買ったカチューシャのキャラクターだ。そのキャラクターが好きなんだろうか、と思っていると、腕を引かれた。
「行こう、真波。一緒に写真を撮ってもらうんだ!」
「ええー」
 腕ごと身体を持っていかれながら、オレは進む先を見た。ブーさんは結構な人に囲まれて写真をねだられている。
「だって、凄い人ですよ」
「当たり前だ。ブーさんだからな」
 気乗りしないオレをよそに、東堂さんはぐんぐん先に進んでいく。ブーさんの元まで辿り着くと、カメラ片手にアピールを始めた。
「ブーさん! 一緒に写真を撮ってくれ!」
 百七十センチを超える男が、熊耳カチューシャをつけて満面の笑顔で手を振る様はとても目立ったし、ブーさんの中の人の目にも留まったらしい。東堂さんとオレにブーさんは徐々に近付いてきて、東堂さんの肩にに腕を回した。東堂さんは感動して「ブーさん!」と言いながら抱きついている。一人置いていかれたようでちょっと不服そうにしていると、東堂さんが笑顔でオレを呼んだ。
「真波も入れ!」
 そう言って問答無用でオレをブーさんの横に置くと、東堂さんは満足したかのように頷いて、一番近くに居た女の人に写真を頼んでいた。きぐるみなんて、中に入っているのはだたのオッサンなのに、なにが楽しいんだろう。そう思っていると、オレの肩にブーさんの手が乗った。
「撮るよー。はい、チーズ」
 女の人の高い声の後、フラッシュとシャッター音が響く。オレはその時ブーさんを見ていたから、被写体としてはあまりよろしくなかっただろう。しかし、そんな事は知らない東堂さんは、よくファンに見せる綺麗な笑顔でブーさんと女の人にお礼を言っていた。
 オレは東堂さんからカメラを受け取ると、何気なくデータを確認する。東堂さんは、いつも見せる涼やかな笑顔ではなく、嬉しくて嬉しくて仕方が無いといったようなふやけた笑顔を浮かべていた。目じりは下がって口はゆるく開いている。それは東堂さんを酷く幼い子供のように見せていた。
 けれど、オレはいつもの笑顔より好きだと持った。

 

 東堂さんは雰囲気が読めない。
 オレがこんなにも不機嫌そうにしているのに、女の人と楽しく談笑をしながらアトラクションに並んでいる。
 なんでこんな事になったんだろうと思い返すと、全部東堂さんのせいだった。
 エントランスで写真を撮った後、それを撮ってくれた二人組の女の人達が声を掛けてきた。女の人は、多分オレ達より年上の、大学生くらいだろう。お揃いのキャラクターTシャツに身を包み、派手過ぎない自然なメイクをしていた。親しみやすそうな雰囲気が出ている。
「君達、初めて来たの?」
「はい」
「どこから?」
「箱根です」
「箱根! 良いとこに住んでるんだねー」
 年上とアタリをつけた東堂さんは、先生にしか見せない敬語で彼女達と談笑した。それがやけに盛り上がって、何時の間にか彼女達に案内される形に収まってしまったのだ。
 彼女達はよく来るらしく、確かにパーク内をきちんと把握していた。どこに何があるのか、効率的に乗り物に乗るにはどうすればいいのか、美味しいフードはどこだとか、初心者なオレ達にとにかく丁寧に接してくれた。別に悪い人達じゃない。変に媚を売ってくるわけじゃない。東堂さんもそれが気に入ったのか、彼女達に色々な質問をしたり世間話をしたりしていた。オレはそれがあまり楽しくない。これじゃあ、構ってもらえなくて拗ねてるみたいじゃないか。
 ふてくされていると、女の人のうちの一人が声を掛けてくれた。確か、マミさんだ。
「真波くんも、凄く早い自転車乗るの?」
「まあ……」
 正直、今はあんまり触れて欲しくない話題だった為に、ちょっと目を伏せる。それに気付いたのか、マミさんはあっさり話題を変えた。
「帽子似合うねえ。可愛い。帽子屋さん好きなの?」
「これは、東堂さんに言われて仕方なく」
「あはは、そうなんだ。後輩くんは大変だねぇ」
 マミさんは屈託無く笑った。その笑顔に、一人拗ねている自分が酷く子供のような気がしてくる。オレ達はそのままぽつぽつと世間話を交わす。そのうちにアトラクションの順番が回ってきたので乗った。
 そうしていくつかのアトラクションを終える頃には、オレもかなり打ち解けてきた。悪い人たちじゃないのだ、あまり邪険な態度ばかり取ってはいられない。時間はすでに昼を過ぎ、オレ達は食事を兼ねて休憩を取る事になった。
 四人分の席を確保し、半分に分かれてオーダーに向かう。当然のようにオレとマミさんが残って、東堂さん達が注文に向かった。オレはぼーっと東堂さんの背中を見送る。東堂さんは相変わらず楽しそうに話している。こうやって外から見ると、二人は若いカップルのようだと思った。なんだか寂しい。
「真波くん、楽しいね」
 マミさんがおっとりと話しかけてきた。オレは、視線はそのままに小さく「うん」と返した。完全に上の空だ。
「天気もいいし」
「うん」
 確かに今日は晴天だ。外に居ると汗が吹き出るが、嫌いな感覚じゃない。東堂さんは注文をするカウンターまで辿り着いて、右手を顎に当てて何かを考えている。きっとメニューに迷っているんだ。
「……そんなに東堂くん好き?」
「うん」
 無意識に答えてから、一度だけぱちんと目を閉じた。
 あれ、オレ今何言った。
 答えを求めるように、目の前に座るマミさんに視線を向けると、彼女はにっこりと綺麗に笑ってみせた。
「好きなんだねぇ。東堂くんが」
 しみじみと言った彼女の言葉に、オレの頬がじわじわと熱くなる。
 好きにも種類がある。友人的な好き。尊敬的な好き。人間的な好き。恋愛的な好き。
 彼女がどの好きを選んで言葉にしたのかは知らないが、オレは瞬間的に恋愛の好きだと思った。それはつまりどういう事なのか。じわりと広がる熱を抑える事が出来ずに、オレは下を向いた。膝の上に置いた手をぎゅっと握る。
 落ち着け。落ち着け。落ち着け。
「どうした、真波」
 何度か唱えていると突然東堂さんの声が聞こえた。反射的に顔を上げると、トレーを持った東堂さんがすぐ傍にいるのがわかる。注文を済ませてきたのだ。オレは頬がさらに熱くなる感覚に襲われる。これは、ヤバイ。
「真波……?」
「真波くん、私達もいこっか」
 マミさんが、硬く握り締めたオレの手に触れ、優しく引いて促してくれた。
 とにかくその場から離れて落ち着きたかったオレは、天の助けとばかりにのろのろとそれに従う。ゆるく手を引かれながら席を立ち、東堂さんたちを残して注文の列に並ぶ。
「真波くん、大丈夫だよ」
 マミさんがオレの目を見て言った。落ち着かせるように握った手をもう片方の手で優しく包み込む。
「好きっていい事じゃない」
 オレは、開いた片手で顔を覆った。
 ああ、そうか。オレ東堂さんが好きなんだ。

 

 東堂さんはかわいい。
 これはきっと意見が分かれる事だろうと思う。
 現に、目の前で談笑する東堂さんの横顔は整いすぎている。かわいい、というより、綺麗だ。きっと遠くから見れば、近寄りがたい美人に見えるだろう。だが、親しくなって口を開くとその仮面がころりと落ちる。
 例えば、同級生といる東堂さんは、とても自由に振舞い、自分を否定されれば反論し、褒められれば調子に乗り、結果的に悪い事をすれば謝る。その表情はよく見ればころころと変化し、時折幼い笑顔も見せる。それがどうしようもなくかわいいのだ。
「そういえば、次に行きたいところある?」
 その一声で、オレは思考の世界から帰ってきた。東堂さんにそう尋ねたのは、声からしてマミさんじゃない。確か、ハルカさん。ハルカさんは東堂さんを見ていた。東堂さんは、その視線を受けて、一瞬オレを見る。それから、予想外の事を言った。
「すみません。ここからは別行動にしましょう」
 その言葉に、オレは目を瞬かせる。こんなに楽しそうにしているのに、これから先の誘いを断るとは思ってもみなかったのだ。ハルカさんもそうだったようで、「えー、どうしたの?」と逆に心配そうに尋ねてくる。それに対して、東堂さんは申し訳無さそうに続けた。
「原因はわからないんですが、真波が体調悪そうなので。今日は早めに切り上げます」
「そうなの、真波くん。大丈夫?」
 ハルカさんは眉を下げて尋ねてくる。なんだか申し訳ない気持ちになりながらも、「ちょっと、人に酔ったみたいで」と嘘を吐いた。マミさんは何も言わずにオレの肩をぽんぽんと叩く。
「無理しちゃ駄目だよ。連れまわしてごめんね」
「いえ……」
 なんとなくマミさんと目を合わせ辛くて、俺は下を見たまま言った。それは具合の悪い人に見えたのだろう。ハルカさんがトレーを持って立ち上がった。
「じゃあ、ここで解散にしましょ。とっても楽しかった、ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました」
 東堂さんが丁寧にお礼を述べて一礼したので、オレも頭を下げる。遅れて、「ありがとうございます」と付け加えた。
 隣の席のマミさんが、立ち上がりざまにオレの耳元に手を添えて囁いてくる。
「午後は二人で楽しんでね」
 その言葉に、少し頬が熱くなった。マミさんはそのままトレーを持ってハルカさんと談笑しながら去っていく。オレたちはそれを見送ってから、顔を見合わせた。まっすぐな視線を向けられ、なんだか悪い事をしたような気分になる。すっと目を逸らしてオレは言った。
「東堂さん、ごめんなさい」
「何故謝る」
「オレ、別に体調悪くない」
 それから思った。そうだ。オレはただ東堂さんが構ってくれなくて、オレ以外と楽しそうにしているのが嫌で、露骨に不貞腐れていただけだ。きっとあの人達も東堂さんも嫌な思いをしただろう。そもそもここにいるのは巻島さんだった筈なのに、それが気に食わなくてオレが邪魔したんだ。なんだオレ、凄く女々しい。思わずため息を吐きそうになると、なんでもないような顔をして東堂さんが言った。
「知ってる」
「え」
 驚いて東堂さんを見ると、東堂さんは腕を組んで答えた。
「お前の体調が悪い訳ではない事くらい、知っていると言ったのだ」
「じゃあ、なんで……」
 オレが呆然と呟くと、東堂さんはにやりと笑った。
「なんだ、マミさんと一緒に居たかったか?」
「そんな事言ってない!」
 茶化すような東堂さんの言葉に、オレはかっとなって叫んだ。東堂さんがぱちりと目を瞬かせる。
「なんだ、図星なのか。それなら悪い事を……」
「オレは! 東堂さんが知らない人とばかり楽しそうにしてるのにムカついてたの!」
 見当はずれな言葉を続ける東堂さんにカチンと来たオレは、つい本音を漏らしてしまう。それを聞いた東堂さんはじっとオレの目を見た。それから言う。
「それは、すまなかった」
「……っ!」
 まっすぐな謝罪に言葉を無くしたオレの目の前で、東堂さんはふわりと花が咲くように笑った。どこか擽ったそうな笑顔は、凄くかわいらしくて、オレの頬を熱くする。
「しかし、嬉しいものだな。後輩に慕われるというものは」
 嬉しくて仕方が無いといった様子でそう告げる東堂さんに、オレは言葉を無くした。
 ごめんなさい、東堂さん。オレのはそんな純粋な気持ちじゃないんです。ただのみっともない嫉妬なんです。そうは言えずに、少し俯く。すると、東堂さんが手を伸ばしオレの頭に触れた。そのままあやす様に撫ぜる。
「オレも同じだ」
「……なにがですか」
 子供みたいに駄々をこねてしまった事に決まりが悪くて、ぶっきらぼうな口調になってしまう。オレとは逆に、東堂さんは楽しそうに笑っていた。
「せっかく後輩とやって来たのだ。気を使わずに楽しみたいだろう?」
 親しい人によく見せる、幼く嬉しそうな笑顔を近距離で見てしまったオレは、顔ごと視線を逸らして今度こそ赤面した。
 駄目だ。東堂さん、かわいすぎる。

 

 東堂さんは綺麗だ。
 そんな事言うまでもないのだが、これは外見だけの話ではない。
 目を見張るのはその所作だ。一つ一つが丁寧で、洗練されている。言葉遣いは、時々古臭すぎる事はあるが、どの場面においても落ち着いた口調で喋る。それは、旅館の息子という事と関係しているのかもしれない。
 例えば、東堂さんは食べ物を口にしている時は喋らない。今は隣で一緒に買ったキャラクターのアイスキャンディーを食べているのだが、それを一口齧ると東堂さんは口の中からそれが無くなるまで大人しくなる。オレが何かを話しかけても、ちょっと待てと手で制してくる。
 それが面白くて、オレも真似してみると、東堂さんは楽しそうに笑ってくれた。
 そうやって、共に過ごす時間はあっという間に過ぎていく。
 行く前は気乗りしなかったのに、何時の間にか全力で楽しんでいたのだということに、暮れかけた日を見て気付いた。
「もう日没なんですね」
「ああ、早いな」
 オレの言葉に東堂さんが同意してくれる。
 今は、東堂さんが夜のパレードを見てみたいと言うので、その場所取りをしていた。ドリンクの大きいサイズを一つと、バケツに入ったポップコーンを抱えて、同じく場所取りをする人たちに紛れて座っている。そこからは、ライトアップされた白亜の城が見えた。とても幻想的で、ここが日本だという事を忘れそうになる。これがデゼニーマジックというやつだろうか。
「東堂さん、飲みます?」
「うむ、ありがとう」
 オレがドリンクを東堂さんに差し出すと、東堂さんはそれを受け取って一口飲む。回し飲みとかに五月蝿そうなのに、「別々に買うより大きいサイズ買った方が安いですよ」というオレの言葉にあっさり頷いてみせたのは、寮生活での慣れの仕業だろうか。
 ドリンクを飲んだ東堂さんの喉が動くのをじっと見ていると、それに気付いた東堂さんが「なんだ」と尋ねた。オレは笑って言う。
「東堂さんって、客観的に見て綺麗だなぁって思って」
「客観的に見てとはなんだ。オレはいつでも美しいぞ! いや、しかしそうか。真波もオレの美しさが分かる様になったか」
「喋らなければ完璧だと思いますよ」
 調子に乗ってぺらぺらと喋り続ける東堂さんに、釘をさすような事を言う。だけど東堂さんは聞いちゃいない。「美形とは罪だな」等と言い始めたので、その口にポップコーンを放り込んでやった。すると、子どもがお菓子を与えられたかのように静かになる。
 そうやって東堂さんと時間を潰していると、パーク全体に流れていた音楽がふっと消えた。それから、パレードの開始を告げるアナウンスが響く。遠くからは軽やかな音楽が聞こえていた。
「来るぞ!」
 東堂さんが若干前のめりになってそれを待つ。オレも遠く音の聞こえる方を見た。建物の角から、電飾で飾られた明るすぎる集団が現れると、小さな歓声が上がった。それはだんだん大きくなる音楽と共に近付き、ゆっくりとオレ達の前を通った。まるで光と音の洪水だ。様々な色の電飾で夜に浮かび上がるのは、デゼニーのキャラクターや動物達だ。そこに美しく舞うダンサーも加わり、世界がパレード一色になる。
「綺麗だな……」
 隣で東堂さんがポツリと呟いた。視線はパレードを追っている。どうやら無意識に漏れた言葉のようだ。もっとはしゃぐかと思っていたのに、東堂さんは身動きもせずただ静かにパレードを見る。
 東堂さんの横顔が、電飾の様々な明かりによって夜に浮かび上がっていた。
 白い肌が闇に映え、どこか夢を見ているような瞳に光が揺れる。
 それはとても綺麗な、オレにとっての夢のような光景で、目の前を通るパレードを忘れて東堂さんを見とれた。
 一瞬のような、とても長いような時間は、それでも終わりを迎える。
 遠くなる音と共に、魔法のような時間はゆっくりと終わった。オレ達の周りの観客も、ばらばらと立ち上がり、園内に消える。
 座ったままの東堂さんが、遠くを見ながら言った。
「綺麗だったな。夢のようだった」
 ふっと身体の力を抜いた東堂さんを見て、オレも返事を返す。
「そうですね。本当に、綺麗です」
 様々な色の光に照らされて、軽やかな音楽と光の夢に浸る東堂さんは、本当に綺麗だった。

 

 結論。東堂さんは、かわいい綺麗だし優しいし子供っぽいから雰囲気も読めない。
 夜のパレードを見て、流石に疲れ果てたオレ達は、パークから程近いホテルへと辿り着いた。フロントで荷物を預けていた旨を伝えると、ボーイさんが荷物と共に現れて部屋まで案内してくれる。エレベーターに乗るとキャラクターの音声で案内のアナウンスが入り、それには流石の東堂さんも吃驚していたようだ。
 部屋に入ると、広々とした空間と、大きな窓から見える綺麗な夜景が目に飛び込んできた。
「うわぁ」
 オレは思わず言葉を漏らす。
 とてもシングルサイズには見えない広いベッドが二つ並んだダブルルームだ。よくあるビジネスホテルのように、部屋にベッドが詰め込まれているような印象を与える事がないよう、間も広く取られている。窓辺にはどっしりとしたアンティーク調の椅子が二つと、小さな丸テーブル。そして広く取られたガラス窓の向こうには、先程まで居たパークが一望出来る。
 東堂さんは、ふらりとした足取りで窓辺まで歩くと、そのまま右手で窓ガラスに触れた。
「夜景が自慢の部屋なんですよ」
 ボーイさんがそういいながら、荷物をテレビの横のタンスの上に置いてくれる。そして簡単に部屋の説明をして退室した。
 その間中、東堂さんはずっと窓の外を見ていた。
「あー、疲れたぁ。……東堂さん、先に風呂入ります?」
 何気なくを装って東堂さんの隣に並び、顔を覗き込む。その瞳は疲労とやわらかな熱が混在していて、オレは無意識に唾を飲み込んだ。
「……いや。真波、先に入っていいぞ」
 そんなオレに気付かず、夜景を眺める東堂さんが言う。オレは「はぁい」と返事をすると、そのまますっと東堂さんから離れた。あんな東堂さん見てるなんて、心臓に悪い。
 東堂さんに背を向けてバスルームに入ると、備え付けてあったバスジェルを浴槽にぶち込んで、全開でお湯を注ぎ込んだ。とたんに水音で満たされるバスルームで、オレはドアを背に座り込む。同時に深いため息が漏れた。
「東堂さん……ちょっと無防備すぎる」
 いや、たかが後輩との旅行で何を防備しろって話だけど、こちらとしては、まさに今日、東堂さんが好きだと気付いた身なのだ。同じ部屋でもいつもの東堂さんならよかったんだけど、あんなしとやかな雰囲気で夢見るような瞳をされると、なんだか変な気分になってしまう。ああ、変な気分ってなんだ。でも、来て良かったな、オレ。
「駄目だ。落ち着け。とりあえず風呂……」
 きっと耳まで赤くなっているだろうが、これから風呂に入ってしまえば分かりはしない。
 オレは服を脱ぐと泡立つ風呂に浸かった。ふつふつと肌に泡がまとわりつき消える。暖かな湯に浸かって初めて、自分が想像以上に疲れているのだということに気付いた。
 思えば、今日は朝からずっと動き回っている。知らない土地に来た事での疲れもあるだろう。
 手足を伸ばして緩く湯船に沈み込むと、思考がふわふわとしてきて、なんだかそのまま眠ってしまいそうになる。暫くうとうとしていると、急に口元が泡に包まれた。その苦さに我に返ると、出しっぱなしのお湯のせいで湯量が増え、バスタブから泡が溢れそうになっている事に気付く。オレは慌てて湯を止めると、溢れそうな泡を内側に寄せて風呂の栓を抜いた。低い音がして湯が吸い込まれていく。それからシャワーを出して口元をゆすいだ。そのまま備え付けのシャンプーとボディーソープを使ってざっと髪と身体を洗うと、早々に風呂からあがる。そこではたと気付いた。
「あ、オレパジャマ持ってきてないや」
 バスタオルで身体を拭きながら、まあいいかと安易に考える。使ったバスタオルを腰に巻いて外に出ると、何故か部屋の明かりは消えていた。明かりの消された部屋は窓から差し込む明かりだけを光源としている為、薄ぼんやりとしていて暗い。視線を上げると、大きな窓の外、花火が上がっているのが見えた。そういえば、花火が上がるショーもあったなと思って、窓の方に向かう。東堂さんは椅子に腰掛けていた。
「東堂さん? 何で明かりつけないんですか?」
 尋ねているのに、返事がこない。不思議に思って東堂さんを見ると、彼は深く椅子に腰掛けてその瞳を閉じていた。薄い闇に浮かび上がる東堂さんの姿に、心臓がドキリと音を立てる。
 東堂さんは、眠っていた。まるで死んでいるように静かに、呼吸の音さえ感じさせずに。
 それは、犯しがたい聖域に取り残された眠り姫のようだと思った。
「東堂さん」
 そっと呼びかけて、その白い頬に触れてみる。ほんのりと暖かく掌に馴染む。そのまま指先を口元に滑らせると、湿った息が指にかかった。
 ああ、大丈夫だ。ちゃんと生きている。
 閉じた瞳に掛かった長い前髪を掻き揚げて耳にかけ、もう一度頬に触れた。東堂さんは安らかに眠り続けている。
 キス、したいなぁ。
 ぼんやりとそんな事を思った。
 静か過ぎる部屋に、自分の呼吸音と心臓の音がやけに大きく聞こえる。
 オレはゆっくりと上半身を倒し、眠る東堂さんに顔を近付けた。薄い闇の中、近距離で見る東堂さんは、まるで消えてしまいそうに儚いと感じる。誘われる様に距離を詰めた。瞼を閉じそうになった所で、オレはぐっと思い留まる。
 やっぱりこんなのは、卑怯だ。
 それでも抑えられない感情を持て余して、オレは東堂さんの鼻先に小さく口付けを落とした。それから、薄い瞼に唇で触れる。皮膚の柔らかいところに触れられているというのに、東堂さんは起きる気配も無い。オレはそのまま耳元に口を近付けて、大きく息を吸い込んだ。
「東堂さん起きて!」
「はいっ!?」
 オレの大声に、東堂さんは大げさなくらい身体を揺らして目を開ける。すぐ近くにあるオレの顔に、状況が掴めないと言った風に、何度も大きく目を瞬かせた。
「まな、み?」
 吃驚した子どものように純粋な視線でオレを捉える。それに答えるようににっこりと笑って見せて、オレは言った。
「ほら、風呂あいたからさっさと入ってきて。それから寝る!」
「は、はい?」
「早く!」
 短い言葉で行動を促して身体を起こすと、椅子から落ちそうになっていた東堂さんが体勢を立て直す。
「わ、わかった」
 まだ状況がつかめないようだったが、自分のすべき行動は解ったようだ。わたわたと立ち上がって、タンスに備えつけられていたパジャマを手に、バスルームに消える。それを笑顔で見送ったオレは、そのままの表情で身近なベッドに倒れ込んだ。
「あー」
 ふかふかのベットに埋もれて、思わず気の抜けた声が出る。
 ヤバイなぁ、オレ。相当東堂さんに参ってる。
 オレの脳裏に、眠る東堂さんと、状況をつかめず混乱する東堂さんが交互に浮かんだ。
 だってあれ反則でしょ。かわいいでしょ。やっぱり東堂さんかわいいし。目の錯覚じゃない。
 ぐるぐると考えて、ぷつりと何かが切れた。
 もういい、めんどくさい。寝よう。
 オレは腰に巻いたタオルを床に放り投げて、適当にパジャマを羽織ると、そのまま髪も乾かさず布団に潜り込んだ。
 疲れていた身体と精神に、眠りはすぐに訪れた。

 

 翌日。オレが起きると、東堂さんはすでに目覚めていた。窓辺で椅子に座って新聞を読んでいる。新聞なんて読むのかこの人、と思ってその横顔をぼーっと眺めていたら、視線に気付いたのか、東堂さんが顔を上げた。
「おはよう、真波」
「……おはよう、ございます」
 備え付けのゆったりとしたパジャマのまま、柔らかい朝日の中でおはようと言われて、なんだか照れくさいような気分になる。
 それから、準備を整えたオレ達は、ホテルをチェックアウトしてもう一度パークに向かった。東堂さんが、パーク内のレストランで販売されているモーニングメニューを食べたいと言っていたからだ。キャラクターの型で焼き上げた甘い香りのパンケーキを、美味しそうに頬張る東堂さんはまるでリスのようで可愛らしかった。
 それを眺めていて、ふと、幸せだなと思う。
 朝食を食べ終えると、オレたちは腹ごなしにパークを散策した。朝も早いというのに相変わらずの混雑具合だ。行き交う人々は、皆同様に楽しそうである。
「そういえば、土産を買わないとな」
 思い出したように言った東堂さんの言葉に同意して、オレ達はショップ巡りを開始した。このデゼニーランドには、様々なテーマを持ったショップが幾つもあり、その店ごとに置いてある商品が微妙に異なっている。オレは家と委員長に買えればいいかと思っていたので、早々に決めてしまったが、東堂さんはそうは行かなかったらしい。巻島さん、寮生、部活仲間、家族に加え、住み込みの従業員の分まで見繕っているのだから大変そうだ。そこまでしなくてもいいのに。そう思って土産物の間をふらふらする東堂さんに付き合っていると、その歩みが止まった。立ち止まった東堂さんの視線の先には、様々な携帯ストラップが飾られている。瞳をキラキラさせてキャラクターストラップを眺めては、何か迷うよ
うに考え込んで、それからまたちらりと見る。明らかに欲しそうなのに、何故か手に取るのは戸惑っているようだ。
「どうしたんですか?」
 尋ねると、東堂さんはぐっと押し黙った。それから、なんでもない、と言ってそこから離れる。オレは若干首を傾げて、離れていく東堂さんの背中を見た。
 欲しいのなら買えばいいのに。お金でも足りないんだろうか。そういえば結構使ってるからなぁ。
 少し考え込んだ後、オレは、東堂さんが見つめていたと思われるストラップを二つ手にとってこっそり会計をした。
 結局、あれでもないこれでもないと土産物を選び、購入し終えた頃には昼前になっていた。
 オレ達は当初の予定通り早めに引き上げる事にして、帰りの電車に乗った。まだ早い時間のせいか、東京方面への電車は空いている。東堂さんは、電車の窓から遠く彼方へ消えていく白亜の城を見ていた。それが見えなくなった頃、ふっとオレを見る。
「お前と旅行とは、どうなる事かと思ったが……」
 そう言って、東堂さんはくしゃりと笑った。
「楽しかったぞ」
 その言葉に、胸が詰まる。言い知れない感情は、多分喜びだ。
「オレも、です」
 自然と、オレの口端が上がって微笑みを形作っていた。
「本当に楽しかったです。……ありがとうございました」
 そう言って、オレは手に持った袋から今日買ったストラップの入った袋を一つ取り出す。そしてそれを東堂さんに手渡した。
「これ、お礼です」
 東堂さんは一瞬意味がわからなかったようできょとんとしたが、すぐにそれを受け取ってくれる。
「ありがとう。開けていいか」
 それに「どうぞ」と返すと、東堂さんが袋を開けた。中身を見て、東堂さんの顔に喜色に溢れる。オレは心の中で自分のセレクトが正解だった事を褒めた。

 

 一限目の授業を終えた後、オレは委員長にお土産を渡しに行った。その時、オレのポケットに入った携帯にぶら下がるストラップに気付いた委員長が不思議そうな顔をして尋ねてくる。
「山岳、それ、ストラップ?」
「うん」
 携帯を取り出して自慢するように見せると、「あら、ブーさんじゃない」と委員長は目を瞬かせた。その視線をストラップからオレに移す。
「でも、山岳って、ストラップはじゃらじゃらしてうっとおしいって言ってつけなかったわよね。いきなりどうしたの?」
 純粋な疑問をぶつけてきた委員長に、オレはにっこりと笑って言った。
「うん、そうだけど。これは特別、かな」
 そう、これは東堂さんとお揃いだから。

 

 発行日:2014/08/10

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